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優しくされると、変わろうとする

 僕が仕事として人に関わるようになって、最初にしたのは説教だった。ここをこうした方がいい。この点は変えた方がいい。伝え方は配慮していたけれど、自分から見える他者の問題点をあげつらい、それを変えるように求めた。

 しかし、それではダメだった。相手は変わるどころか意固地になり、関係性が悪化するだけで、嫌な気分が残った。

 だから、人の話を聞くようになった。相手を知らなさすぎるから、無神経な物言いをしてしまう。少しでも知り、相手の視点に立つように心がけると他者との関係がこじれることはなくなった。

 ただ、関係性が良くなったからといって、自分も他者も変わるわけではなかった。日常の強烈な力によって、変わる決意はたやすく押し込められてしまう。

 しかし、いま僕は「このままじゃいけない」という気持ちが日に日に強くなっている。それは複数の優しさに触れたからだ。

 自分を気遣い、付かず離れずで温かく見守ってくれる人々に触れれば触れるほど、僕にできることはなにかという問いが、大きく鳴り響く。

 優しさと甘やかすの仕分けは難しいとずっと思っていた。一歩間違えれば、それは逆転する。

 でも今なら、その違いがわかる。

 甘やかされると、人はそのままであろうとする。
 優しくされると、人は変わろうとする。

 とても単純だ。しかし、それはあくまでも受取手の問題であるのかもしれない。つまり、優しさと思ってしたことが甘やかしているかもしれないし、甘やかしていたつもりが優しさとして受け取られているかもしれない。

 だから、自分が働きかける時にできるのは精々が誠心誠意人に向かい合うってことだけなのだ。

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