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好きになってもやらない理由

 〇〇が好きになる。

 そういう類の煽り文句が苦手だ。最近進学塾のチラシに「勉強が好きになる」と書いてあって違和感を覚えた。「好き」を強制されるのは息苦しい。大なり小なり好き嫌いはあると思う。なんでもかんでも好きにならなくていい。

 野球もサッカーもバトミントンも陸上も、卓球もテニスも全部好き。自信を持ってそう言える人は素晴らしいが、どれかが嫌いだっていいじゃないか。

 なぜそんなにも好きにさせたいかと言われれば、好きになったら取り組むだろうと打算があるのだ。けれど、そもそも好きになったらやるかと言われたら、そうじゃないのだ。以前「勉強は好きだよ」と言っていた子がいて、「じゃあ、家でもたくさん勉強してるんだ?」と尋ねたら、首を振った。

 家では自分から進んで勉強はせず、ゲームをやるという。

 たとえ好きになったとしても、もっと好きな対象があれば、そちらに時間とエネルギーを注ぐのは自然な流れだ。だから、好きになろうと努力するよりも、好き嫌いは一旦脇に置いておいて、淡々と取り組むのが大事なのだろう。

 歯磨きを好きだからやるという人は多くないだろう。でも、必要性を感じているからやる。そうやって取り組めるようになっていけばいいのだ。


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