気にしているけど、気にしない
一回自分で判断を下してから、それを否定する。
どう考えても二度手間なことを人間はする。最初から、それを否定すればいいのにと思うけれど、それは本人なりの必死の抵抗なのかもしれない。
「自分のネガティブな過去をネタにして、エネルギーに変えてやる」
そう言っていた人がいる。noteでもそういう記事をたまに見かける。
僕はそれに違和感を覚えた。無理にそう思い込もうとしている感覚がヒシヒシとしていた。
ただ、その正体がわからなくて、言語化できなかったのだけど、ちょっと前に書いた記事をきっかけに思考がつながった。
簡単に言ってしまえば、事実と主観をわけて考えられていないのだ。
だって「過去をネガティブ」だと自分で認めてしまっている。
その上で、ポジティブなエネルギーに反転すると言っている。僕にはその変換効率が良いとは思えないのだ。
それを自分の動力の源泉にするのは、毎回「嫌だった過去」を思い出さなくてはいけない。自らを切りつけた傷口から溢れる血で動くのと変わらない。
それならば、もう気にしなければいいのに。
傍から見て辛い過去を持っていても、ものすごく明るくいきている人がいて、その人は自分の過去のことなんて、一切気にしていなかった。過去を語る時も湿り気なく、カラカラと口にする。
「気にしているけど、気にしないんだ」
みたいなダブルバインドを自分にしかけるよりも、まずは「気にしている」事実を認めてあげた方が楽になれるんじゃないだろうか。
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