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人は操れず、自らになにができるかを問う

 僕はこれまで個人や小さな集団で過ごしてきた。だから、組織の力学がよくわかっていない。小さな集団においては内側で問題が起こっても、高が知れているので、コミュニケーションさえ間違えなければ、比較的簡単に解決策が取れる。

 そんな僕が、いま短期的に関わっている組織がある。
 僕はそこでとても良い勉強をさせてもらっている。環境としては恵まれているとはお世辞にも言えないのだが、だからこそマネジメントはなぜ必要なのか、自分の言動が全体に対してどのような影響を及ぼすかが実体験としてわかる。

 自分なりに試行錯誤しながら立ち回っているのだが、なかなかどうしてたくさんの思惑が錯綜する集団においては、一筋縄ではいかない。

 俯瞰的に見てみると、必要悪が生まれる構造がわかる。順調に動いていない組織においては不満が溜まりやすく、蓄積した不満は吐き出し口を求める。すると、要領の悪い弱い人へ向けられたり、権力者へのルサンチマンとなったりしていく。

 必要悪となる人がいれば、それ以外の人々は、形式的に団結できてしまう。本当は互いにも不満は感じていたとしても、共通の敵を持つことで「敵の敵は味方」だと思い込めるのだ。

 ただ、この構造が悲劇的なのは、求められているのは「必要悪」の役割なのだ。たとえみんなから不満がられている人を排除したとしても、一時的な解決にしかならず、また次の必要悪たる犠牲者が生み出されるだけなのだ。

 構造やその下にある組織のメンタルモデルを変えていく必要があるのだろう。そのために自分ができることはなにかと行動するのが、とても大変だが、学びになっている。

 トップダウン式の権力構造はてっきりトップの問題だけだと思っていた。その影響力が大きいのは確かだが、最終的にはそこに従っている人々も含めて形成されている。これは僕として目から鱗なことで、全体として変わっていく必要があるのだろう。

 

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