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言葉の獲得を助ける

先日、友人やその知り合いを集めて食事会を企画しました。
想定以上に人が集まり、非常に楽しい時間になりました。

その時に、僕に感想を伝えてくれた人から、「なぜこのようなことをするのか?」と尋ねられました。
「このようなこと」がなにを指すのかわかりませんでしたが、話を聞いてみると好意的な意味合いだったようで、かなり時間を割いて意図や背景までを説明した覚えがあります。

その説明をしている時に、自分じゃないような感覚がありました。
僕が尊敬している人が話しているようで、しかしその言葉は借り物ではなく、ちゃんと僕自身の体験の重みが乗っていました。

その瞬間、僕は「やっと尊敬している人の言葉が理解できるようになったのだ」と思いました。

本を読んだ後に、その内容について説明を求められると言い淀んでしまうように、人間は全然わかっていないのに「わかった」と感じてしまいます。

他者にそれが伝えられるようになった時、初めてそれが理解できたと言えるのでしょう。

そして、伝えられたからと言って相手が理解できているとは限りません。
だから、本当に理解してほしい内容であれば、それが理解できるまでを待ち、何度も言葉をかけることが必要になってくるのでしょう。

道は長く、しかしてやる価値はきっとあります。

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