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虚構を生きる私は今日もすれ違い

「明日ばあちゃんに会ってくる」
「ばあちゃんってどっちのばあちゃん?」
「ばあちゃんは1人しかいません」

 実家にいる母との間で何気なく繰り広げられた会話。それが僕にとって衝撃的だった。なぜなら、今年の7月末に父方の祖母は亡くなって、母方の祖母しかいないからだ。
 葬式にもしっかり出席していたのに、僕はまるで生きているように扱っていた。

 元々遠方に住んでいた祖母とは会う機会が少なかった。
 そのせいか、亡くなった今も僕にとってはその死に対して臨場感がない。きっとあの古くて物のやたらと多いお家で、独り言をブツブツ呟きながら、生きている感覚が拭えない。

 不思議だ。母と会話するその瞬間まで、僕の中で当たり前に祖母が生きていた。しかし、指摘された瞬間にスッと消えてしまった。

 人間ってのは現実(事実)ではなくて、自分の世界(空想)を生きているのだと思い知らされる。
 以前facebookを見ていて、既に亡くなっている人に「誕生日おめでとうございます」と祝っている人がいて、その人の世界観では確かにその人はまだ生きているんだろうなと思った記憶があった。

 僕達一人一人はそれほどまでに断絶しているのだ。すれ違いは生まれるし、わかりあうなんて無理な話だよな。だから、わかりあえないことを前提とした上で、どう付き合っていくかを考えていくしかないんだろう。

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ほんだ
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