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予告しないで

 詰め込み型の教育を受けてきた僕は、勉強とは新しい知識を獲得することだと思っていました。端的にいえば、覚えることです。歴史の出来事はもちろん、算数・数学だって公式を記憶して、それをどうやって当てはめるかを工夫することだと感じていました。
 だから、一部を除いて自分の関心のないほとんどの勉強は、面白みがない行為でした。

 けれど、近年ちょっとずつその認識が変わりつつあります。自分の直感や疑問を検証と裏付けを行うことだと考えるようになってきました。

 なぜ認識が変わってきたのか、「コレ」という大きなきっかけがあったわけではありません。日々の生活の中でじわじわと変わってきたと言えます。そちらの認識であれば勉強が苦ではなくなります。

 最近心理学者デシの研究で、「予告された報酬」は作業効率が落ちるだけでなく、最小限の努力で報酬を得ようとするため、害になるという話を知りました。それはまさに、僕の経験と一致するものでした。

「宿題やったら1時間ゲームやっていいよ」
 僕は小学生の頃にそう言われました。とにかく宿題を終わらせれば、ゲームしていい。正解しているか=自分が理解しているかはどうでもよくて、とにかく答えが書いてあれば終わらせたことになります。だから、間違いだらけの宿題を何度も提出しました。

 自分が「なぜ?」や「おかしい」と感じたことは、同じように考える人がいて、既に検証している。それを知るのは興味深く、意欲が湧きます。

 自分の内から湧き上がるものに突き動かされるのは楽しいです。関心のあることからしか僕達は学べないのだなとも思います。

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