足裏の感覚とこんにちは

 昨夜、ふと思い立って裸足で散歩に出た。
 靴下が見つからなかったので、いっそ裸足で行けばいいと思った。

 自分で書いていて、頭がおかしいと感じている。
 一応、伏線らしきものはある。僕の知人に裸足ランをしている人がいるのだ。その人は裸足でフルマラソンを走るそうだ。
 だから、外を裸足で歩くってどういう感覚なのかは以前から興味はあった。昨日、たまたまその時がやってきたのだ。

 玄関を出てからしばらくは、背徳感がつきまとった。いたずらをして、ばれるのを怖れる子どものような気分だった。

 しかし、すぐにそれどころではなくなった。普段歩いている世界とは別物の世界がそこにはあり、人目のことなど気にできなくなった。

 固くならされたアスファルトは平らで歩きやすい。そんな常識は通用しなかった。素足で歩くとデコボコとしていて、足にチクチクと刺激を与える。古い道路はさらに凹凸が激しく、痛さを覚える場所もある。

 僕が安全だと思っていた世界はそこにはなく、靴を一足失っただけでとても危険な道のりが続いていた。ただ、すぐに帰ろうとは思わなかった。

 おっかなびっくりだけど、歩を進めていく。
 10分もすれば、少しずつ慣れてきた。目線は下がり、危険はないかと注意する。犬のフンや水溜まりにつっこんだら大変だ。
 余裕が出てくると感覚の違いを楽しめるようになってくる。

 あなたは知っているだろうか?
 横断歩道にある白線はスベスベしていて、ひんやりしているのを。
 いつもは一切気にもとめない小石や砂を踏みしめると、飛び上がるほど痛いのを。

 冷え性の人はしばしば指先がかじかむと言う。でも、なぜ足裏が冷たいとは言わないのだろう? だって、冬場の冷たい床に接しているのは足の裏だ。もちろん皮膚の厚さは違うけれど、それだけ感じる力がなくなっているのかもしれない。
 外にはたくさんの刺激があったのに、靴ごしではインソールの感触しかない。

 いつも僕が歩いている時は雑念だらけだった。あれこれと考えて、この後はどうしようかと思っていた。でも、裸足で散歩していると歩くことにただ集中していた。不思議な時間だった。

 30〜40分ほど歩いてから帰宅。
 玄関で、自分の足裏を確認すると真っ黒になっていた。
 這うようにして風呂場まで行って、足裏を洗い流しながら急におかしくなって、1人で笑った。
 洗い終えてからフローリングの床を歩くと、やけに柔らかく感じた。

 たまにはこういうことをするのも悪くない。

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