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「やればできるようになる実感」をはぐくむ

「らくだメソッド」という、算数プリントをやっています。1日1枚のプリントをやるという簡単なようで難しいものに取り組み、その中で感じたこと、考えたことを3ヶ月ごとに振り返る試みをしています。
 これはその3年3ヶ月の振り返りです。過去のものは以下より。

 今回で1度この振り返りは区切りとしようと思う。

 最初に書くことではないかもしれない。ただ、そう思ってしまったのだから、正直に打ち明ける。

 3年目の振り返りを書いた時点で、既に停滞感があったが、そこからの変化はほとんどない。なぜなら、プリントをやっていないからだ。

「やりたいのにやれない」のでもなく、
「やらないと決めた」のでもなく、
「やっていない」だけ。

 寺子屋塾(※)に行った時だけプリントをやり、それ以外はやらない。そんな惰性の日々が続いている。

 その事実から知れることはある。ただ、もう優先順位が下がってしまった。

 右肩上がりの円の弧の頂上部分まできてしまった。ここから先はもはや微細な変化だ。だから、なにか大きな変化があったらまた書くことにした。それまでは一旦おしまいだ。

 面白いのは、僕がやめようと思ったタイミングで、これかららくだメソッドの振り返りを始める寺子屋塾生が増えたことだ。示し合わせたことではないけれど、バトンタッチをしたような気分になっている。

 さて、この先は締めとして、総括を書いておこう。ここまでの3年3ヶ月で、僕がらくだメソッドを通して、得た大切なことは「やればできるようになる実感」だ。

 これを読んでいるあなたは、自分の算数・数学力がどれくらいだと思っているだろうか?

 僕は中学生レベルくらいはあると思っていた。しかし、小学校低学年の問題が1度でクリアできなかった。
 体験したことのない人は、これが失笑するような出来事だと思うかもしれないが、らくだメソッドをやった9割以上の人が同じ経験をする。

 とはいえ、衝撃的な事実ではあった。それからしばらくは、ひたすらに「できない」と向き合い続けてきた。

 ただ、躓きはしても、やがてできるようになる。
 ずっと一か所でとどまり続けたことはないから、僕はいま高校2年生の単元まで進めているのだ。

 どんなに途方もなく思えるような壁にぶち当たっても、気づけばそれを越えてきた。だから、実際にやるかやらないかはさておき、「大抵のことはやればできるだろう」と思えるようになった。

 この転換はとてつもなく大きい。

 物事に出会った瞬間に、「無理かも」と「できそうだな」とどちらを思うかによって、行動は大きく変わってくる。無理と思っているなら行動は起こさないほうがいい。でも、できそうだと感じたら、行動を起こすだろう。

 自分の中には、確かに「できるようになりたい」という素朴で、力強い脈動があった。だからこそ、「できないこと」も意識されていたのだ。

「できない」を何度も乗り越えていくことで恐怖は薄れ、正面から向き合えるようになり、いつしか自分から寄っていくようになった。ふと足元を見下ろせば、「やればできるようになる実感」は転がっていた。

 僕の尊敬する人は、それを「根拠のない自信」と言う。
 ただ、「信じている」というあやふやな感覚ではなくて、もっと臨場感のあるものとして「実感」とした方が僕にはしっくりきた。だれかに担保してもらうものではなく、自分の体験に根ざしているのだ。

 子どもの相手をしていると、彼ら彼女らはその実感を持っている。

 なぜかといえば、子どもたちがやればできるような体験の真っ只中にいるからだ。ハイハイをして、立ち上がり、歩き、走り、言葉を獲得した。初めはできなかったことが、積み重ねによって、やればできるようになると感じている。

 だから、危ないことにも手も足も出す。

 僕も昔はそうだったはずで、いつしか失っていた。
 ただ、取り戻すことはできた。それがらくだメソッドを続けてきた最大の収穫である。

 他にも細かいことは書き出せばキリがないけれど、これだけのことが伝われば僕の3年3ヶ月はだいたいわかったようなものだ。大事なことは少ししかない。それ以外のほとんどは瑣末なノイズだ。

あとがき

 この振り返りは、ほかの誰でもない、自分がいつか読み返すためのものでした。
 いつ頃からか、周囲の人に読まれるようになり、初めて会う人からも「読みました」と言われた日は、びっくりしたものです。
 みなさんから感想や問いをいただくことで、僕自身が更に1歩深く進むことができました。ありがとうございます。またなにか書いた日にはどうぞよろしくm(_ _)m

読んでいただきありがとうございます。 励みになります。いただいたお金は本を読もうと思います。