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麗しき者 第3話

3.小倉にて
小倉駅近くのビジネスホテルにチェックインを済まし、二日酔いで疲れた身体をベッドで休ませていると西山から連絡があった。「槇ちゃん、今晩の飯はどうすんの?」「何も考えてない。」「美味い鰻の店があるらしいんだ。行かないか?」「鰻?なんでまた。」「たまには良いだろう、せっかくだし。「うん、わかった。」「じゃあ18時にロビーで。」西山とはその昔演劇のワークショップで出会った。演出家が出すリクエストに俊敏に応える彼の姿を見て嫉妬したものだ。3日間続いたワークショップ後の飲み会で、初めて彼と話した。芝居の話を熱く話すウザい奴かと思っていたが、人の話をしっかりと聞いてまともな意見を言ってくれる頭の回転も早く良い奴だった。何より西山と盛り上がったのは映画「ブラックレイン」の話だった。松田優作の登場シーンの凄さや、高倉健がマイケル・ダグラスとうどんを食べるシーン、若山冨三郎の英語はコンピュータで作ったやつだったとか。そんな話題で急速に西山と近づいた。帰り際、二人とも酔っ払っていたが、西山の方から「槇ちゃん、劇団やらない?」と誘いを受けた。「劇団?」「なんかさぁ、うちらで新しいことして行こうよ。」「おー、いいねー!」その一言で劇団ニクサンが結成された。ニクサンとは高倉健扮する刑事がマイケル・ダグラス扮するニックを呼ぶ時の呼び名である。
 鰻屋はホテルから数分の繁華街の中にあった。普段は並ばないと入れない人気店らしいが、穴場の時間帯だったのかスムーズに入れた。二階の広めの和室に通され、靴を脱ぎ席へ。「瓶ビール?」「うん。」「すいません!」店員のおばちゃんがそそくさとやってくる。「はーい、何になさいましょう?」「瓶ビール、グラス二つ。肝焼き二本、そして鰻重の梅を二つ。」
「はーい、かしこまりました。」「ここ美味いらしいんだ。」「へぇー。」「そういえば、昨日大丈夫だったのかよ?」「まぁ、なんとか。」「だいぶ飲んでたよな?なんか最近あったの?」「いやいや、なんか酔いが早かった、昨日は特に。」「本番疲れもあるんかな。」「はーい、お待たせしました。瓶ビールとお通しねー。」西山がグラスにビールを注ぎ乾杯する。
「とりあえず、お疲れ!」二日酔いあけのビールが胃に染み込んでくる。「昨日さ、ブラックレインのTシャツ来てた店員の子いただろ?」「あ、ああ…」「あの子明日の公演観に来てくれるみたいよ。」「え!」口に含んでいたビールが出そうになった。「うちの劇団の名前の由来話したら興味持ってくれて、その日は仕事ないから来てくれるって。」「へー…そうなんだ…」「すいません!瓶ビールもう一本!」西山といつもと変わらない話をして、ビールを飲みながら肝焼きと美味しい鰻を食する。お茶が運ばれてきた後に西山から「ニクサン、この公演で最後にしようかと思う。」「西山…」「色々考えた。本当に。でも十年やってこれじゃ、俺もキツくなってきた。「いや、でも最近客足伸びてるじゃない?」「そうなんだけど…毎回予算オーバーで今回でトントンだ。35になってやってることじゃない。」「そりゃ、そうかもだけど…」「槇ちゃん、ごめん。実は劇団員のみんなには昨日伝えたんだ。槇ちゃんいないのに話したくなかったんだけど、トイレからなかなか帰って来なかったから。」そうだったのか。急に自分が昨日したことが恥ずかしくなる。なんだよ。そうだったんだ。
「だから明日がニクサンの最後の公演になる。前もって言えなくてごめん。」「急だな…」「急だよね。」
「西山はどうすんの?辞めて。」「役者はあきらめて田舎に帰ろうかと思う。リンゴ農家を継ぐよ。」西山の実家は長野の松本でリンゴ農家をやっていた。「実はオヤジが調子悪くてさ。それもあるんだ。」「そうか。」「美味いリンゴ送るよ。」「うん。」店を出てホテルに向かう。「槇、俺ちょっともう少しぶらぶら散歩して帰るわ。」「わかった。」「明日8時ロビー集合で。」西山の姿が賑やかな飲屋街に消えていった。劇団ニクサンは小倉で終わる。これが現実だ。自分の居場所がなくなった。

#創作大賞2024
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