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ゴミを拾いながら考えていた
被害を明確にするのはいい。加害も明確にしないと死ぬまで自分と向き合えないだろうと思っている、これは特に脱会を含めた一世に思う。便乗して被害者面をしているけどコントロールされて加害しました、じゃない。ならば死ねと指示されたら死んだのか?子供の時からこの流れを見て脱けたらまるで本質に気づいて脱けたという謎な成功体験みたいなようなものを感じるんだが、いやいやいや入信したパターンと何が違う?
でも誰もそれ
屋根があって寒さも暑さもしのげて盗まず食べることだってできる、顔も出せて逃げ隠れも必要ない。別の世界を見ているようだが運がよかったなとしか言うことはないな。その当たり前のようなものがなかったポジションから見れば何やってんだとしか思うことはない
界隈がメディアの某都知事立候補者叩きしているの見ていると、子供を晒したり当事者から不正に金を搾取するのはアリなんだなと。善し悪しの基準ってなんだろうな。気分か?
逆に立って何が見える
短期間だけ自分のいた伝統でかなりの被害を見たり聞いたり被害に遭いかけたりしたけど、これが被害者は一人もいないと思っているのか「へー」という感じの当事者がいる。確かに自分の目で見てないものはそうなるのだろう、そこは分かるのだがじゃあ自分も他人にそこを求めに行くのはおかしくないのか。
ここが自分が団体にもカルトや伝統も関係なくなったというか当事者性が薄れた大きな要因。
誰しも自分のことは大ごとなんだ
子供が見えてますか?
自分のいた団体に未成年がいることに違和感を持たない時点でおかしいと思えないこと。それがおかしい。
子供は一人でも見えていましたか?
これかなりの人に聞いたけど沈黙されるだけだった。見えていたけど見えていなかったんだろう。オウムの時も同じ、小さな子供が映ってましたけど見えてました?そこから気づけなかった人が未成年を救いたいとか言ってるけど傍目に感じているのは信者が子供を道具にするように脱会者も当
属性の限界とさようなら
最期のだらりとしたひとりごと。
今後のことを考えて自分事は書かないと最終的な結論が出た。子供の頃から決断と判断と行動だけは早いが自分事になると極端に優柔不断になる。書くことにより自分だけでなく自分以外にまで火の粉が散る可能性から「毒を流さない」から「川から離れる」と決めた。
これまで会ったり話したりした一世も二世も含めた脱会者は嫌いではない。自身の加害性を理解していても話せないという人もいた。そ
不作為の三十年と情報過多
自分事について話すのが手っ取り早いとは思うが、前提として他人はそれほど自分など見ていないということを知っている。
失われた三十年、というが晩婚化したり背景が色々とあって中年期から政治に目覚める人をとにかく多く見てきた。それでどちらかというと中立を保っている自分に政治を説いてくる知人などがいたりするが、自分は成人後は欠かさず投票に行っていた。自分事であるが過激な活動家には向いていないのは自覚していた
一個人のカルトの基準
現在、自分を取り巻く社会または世界に立つまでは限りなくせまい家庭と団体という社会にいて、自分は未成年期に一度も大人と会話らしい会話をした感覚がない。話はしているが会話している感覚は一切なかった。聞く耳を持たなかったわけでもないので自分は何かが欠落しているのかもしれないと思ったのも事実だ。外に出て言語が通じると知り解放されたあの感触だけは今でも忘れない。
金から貧困やネグレクトなど様々な問題が起き
悪意なき悪意と善人という位置からの贖罪
裁判所に提出する資料を作りながら予想通り気力が不足してしまいもう少しのところで二の足を踏んでいる。最後まで食らいつくが却下された場合も考慮し周囲に面倒な依頼を先にしてある。
サバイバーの支援団体の代表が「宗教虐待はアウト」と書きながら宗教団体に講演に出たり性暴力サバイバーの支援側が宗教被害を受けている当事者にスピリチュアルなあれこれを勧めたり、節操ないというかこれも含めてサバイバーなのかもしれな
そこからでなければ見えない景色
個人的に無理だと感じたのがオンラインという公の場のセクハラで、トラウマからその職業を選んでいる側面もあるだろうにおそらく中年の二世男性がどんなプレイしているのとか被害二世の女性に書き込みに行く気持ち悪さ。下衆い加害している暇があるなら自分が客として金を払って受けてくればいい。これを誰も「やめた方がいいですよ」と言わないのだからなおさら気持ち悪い。
そして別にフェミニストでもないから書くが支援団体側