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逆に立って何が見える

短期間だけ自分のいた伝統でかなりの被害を見たり聞いたり被害に遭いかけたりしたけど、これが被害者は一人もいないと思っているのか「へー」という感じの当事者がいる。確かに自分の目で見てないものはそうなるのだろう、そこは分かるのだがじゃあ自分も他人にそこを求めに行くのはおかしくないのか。
ここが自分が団体にもカルトや伝統も関係なくなったというか当事者性が薄れた大きな要因。

誰しも自分のことは大ごとなんだよな

透明な当事者の場所のために使います