気づき3

なぜこんなことを書き始めたかと言うと、最近話題になっているニュースでも本当のことという観点から思うと韓国の慰安婦の問題、徴用工問題も私の知識が、間違っているかもしれないので、そのこと自体に言及することはできませんが、少なくとも日本人が戦争中に行った行為に対しての抗議なのだと思います。それはそれは、とても残念な出来事だと感じますし一日本人としてとても遺憾に思います。また他へも目を向ければ そのような悲惨な無残なことが数しれずあった。そして在る…と思います。それは戦禍にあると人は想像もつかないような恐ろしいことをしてしまう。狂気の状態にある。そしてその状態にあることに気づけない。それが戦争だと思うのです。だから戦争は二度としてはならない。それが日本の反省すべき事だと思うし私自身も思うことです。世界の全ての国に伝えるべき事なのではないかと思います。そのことさえ人間がはっきりと認識すれば核の問題にも答えが見いだせるのではないかと思います。
経済制裁…それも戦争への一歩ではないでしょうか…

また吉本の問題もテレビで見ました。お笑い大好きてですので関心を持って見ていました。田村亮さん、宮迫博之さんのお話、もしかしたら亮さんは一般的には弱い人…に見られているのではないか?…と思ったのですが私は亮さんって、とても強い人でプライドの高い人…と思っています。ここで【本当のこと】というのが出てくるのですが本当のことを求め続けた私は言葉を厳密に考えるようになっていました。
私は十代の頃から よく「あなたは真面目すぎるんだよね」とか私のことを「彼女はプライドが高いからね」と言われることが多かったのですがその度に真面目過ぎる?真面目なのは、いけないけないこと?(現在も真面目過ぎるをマイナスなイメージとしてよく耳にすることがあります)プライドが高すぎる?と疑問に思っていて それでも長い間答えが見つかりませんでした。そして挙げ句は、ちょうといい真面目って?ちょうといいプライドって?と…(誰かにそのことを話した時、プッと吹かれた。そんなことを真面目にまさに真面目に考えた)その疑問を変えてみると、プライドという言葉も、真面目という言葉も、結構曖昧なまま日常に溶け込んでいることに気づきました。これは、私の答えなので、正しいかどうかは分かりませんが、私はすごく納得して、ざわめく気持ちが、穏やかになる…とでも言うか、長年の疑問の答えとして、今も丁寧に使い分けています。それは、私は【真面目】に生きているのではなく【真剣に】に生きているのでした。、そして「プライド」が高いのではなく、メンツが高いと言うかメンツの塊だったと思います。
では、メンツとプライドの違いは?という疑問も出てきました。メンツというのは恥につながっていきます。恥をかくのが嫌なんです。でも本当に恥ずかしいことをしたのなら「恥ずべきことでした」と認めて謝罪をする。それがプライドなのだと気づいたのです。
自分のために頭を下げることができる。それが自分のプライドを保つことです。「恥ずかしいけれど、こんなことをしていました。」またはしました。
気づけばそっちの方が断然好き!!!と思うと私の心が安らぎました。何十年分の安らぎです。メンツよりプライド真面目より真剣。
私はそういう人になりたいと思っていたのでした。
そして亮さんの中のそれを見ました。長いものに巻かれる上手く立ち回る…それは自分のプライドを失いその代わりに何かを手に入れるのでしょうね。
これは飽くまでも私感であって正しいかどうかではありません。
これが書き始めたきっかけかな?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?