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「詩」にしか出来ないことは何か?

詩では食べていけない

こちらの記事で
「詩」と「詞」は違うと述べました。

では、「詩」にしか出来ないものは何でしょうか。

現在、「詩人」志向より「作家」志望の方が多いように思われます。
独り立ちできる、職業は「家」がついて、出来ないものは「人」だ、と言う意味から「詩人」は元々、食べるに成り立たない職業だとも言われます。
確かに、「詩を作る」だけの「詩人」で食べている人は、
日本で数人しかいないのではないでしょうか。

それでも「詩」が書かれる理由

単に、思いを述べる抒情性は、
共通のように行きわたっている心の揺れを表します。
これは、「歌」にも言えます。
情感を共有し合うことで、ほだされ合う「絆」のようなもの。
しかし、その「絆」は幻想である、と詩は言わなければなりません。

物事を前にして、「目の前に抱えている悩み」を見つめる目。それを超えて非日常まで想像する視線。それは詩人以外、「詩」以外、表現することは出来ないのではないでしょうか。

同じ文字表現である「小説」にもそれは出来るかもしれません。しかし、詩の方がもっと露骨だと私は考えています。

逆に競争率の低い市場なので、やる人がいないです。
人と違ったことがしたい方にはうってつけです。

転換の目

そして、当然ですが事実を書いただけでは創作にはなりません。
創作とは小説でも、事実と虚構がない混ざった物です。
小説より詩が重視するものは、つきつめて考えたものを発想して転換させることです。いい詩には必ずこの転換があります。

対象物と自分を離れた目線で見、客体化した隙間に想像力は働きます。
そうして、思いを組み上げたものが「現代詩」とひとまずは言えるのではないでしょうか。

現代詩からの脱皮

私は「現代詩」と一応、くくられている今の「詩」の現状には満足していません。「現代詩」というと、難解でよくわからない、というイメージがどうしても付随します。「詩」とは生きるために書くもの、と主張しているからには「現代詩」のままで留まっていてはいけないという気持ちです。

しかし、私から何か名付けるというつもりは毛頭ありません。「現代詩」とくくりたくないだけです。
「詩」は「詩」でいい。そう思います。

私にしか出来ないもの

結局、「詩」にしか出来ないもの、を突き詰めると「私にしか出来ないもの」という結果になります。この「私にしか出来ない」は誰にでもあるものだと私は思います。

自分の意識は他人と完全に分かち合うことなど不可能です。だからこそ世界は面白いのです。そしてその発見を見せてくれるのが詩の醍醐味だと思うのです。「なんだこれは」「変な世界」そんな感想はむしろ褒め言葉です。

まとめ

詩にしか出来ないこと。
それは、「私にしか表現出来ない世界」を見つける。
これに尽きると私は思っています。
「私にしか出来ない表現」を使ったときに「他者」はどう受け止めてくれるのか?それが「詩」の愉しさといっていいでしょう。
逆に言えば、それが愉しいと思えない人にはあまり縁のない世界と思えるかもしれません。

しかし、その結論は待ってください。
そもそも詩は、読まれるために書かれるものです。
難しいことですが、難解な「現代詩」に縛られずになるべく「自分だけの世界」を他者に広げる形で展開できるようにしたいものです。

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