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「もっと評価されるべき」というコメント

YouTubeを見ていると、
コメント欄もついつい見てしまう。

いつもは流し見していて、気にかけることはない。

しかし、ここ最近引っかかったもの、
違和感を感じたものがあった。

あるアーティストのMVに対するコメントだった。

「もっと評価されるべき」

と書かれてある。

最初は何の引っかかりもなかった。

後々、『なんでこのタイミングで?』という時に
そのコメントが頭をよぎる。

お風呂上りで、わがままボディの自分の体を
バスタオルで拭いているタイミングだった。

「もっと評価されるべき」って、
作品を作った人に失礼ではないか?

バスタオルで身体を拭きながら思う。

コメントした本人も、
そんなつもりで書いたのではなかったと思う。

あとでそのコメントを見返したが、
そのコメントに対する返信コメントも多かった。

現に、そのコメントした本人もネガティブな意味で
発信したつもりはなかったようだ。

「もっと評価されるべき」ということは、
「今現在、評価されていない作品」と
とらえてしまう人もいる。

そうなると、
『作ったアーティストに失礼ではないか?』
となるのだ。

「もっと」と文頭にあるから、
『勿論、今も評価されている作品だが、
さらに評価されるべきだ』
ととらえている返信の内容もあった。

その他、「それな」「わかる」といった
賛同を示すものもあれば、

「上から目線」「もう評価されてる」
といった批判的な内容もあった。

私はどちらかというと違和感を感じた方だ。

どうしても、言葉の裏の裏まで読み取ってしまう。

私の場合、時間差でくるのがさらに厄介なのだが。



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