サンタがいないと知っていたくせに靴下を枕元に置いた日
浄土真宗大谷派の身分ではあるが、幼き頃からクリスマスが好きだ。
クリスマスの時期になると、母親が押し入れからクリスマスツリーを出してくれていた。
飾りつけは私が担当し、居間に飾る。
クリスマス当日になると、家族そろってクリスマスっぽい料理やケーキを食べたり、山下達郎を聴いたり。
家族で過ごすクリスマスが何よりも幸せで、大好きなイベントだった。
クリスマスといえば、クリスマスプレゼント。
直接プレゼントをもらったことはあったが、
「枕元にクリスマスプレゼントがあった!
サンタさんが来たんだ!」
なんて経験はない。
私の家は、サプライズプレゼントで子供を喜ばせるという
スタンスはなかった。
学校の友達が
「サンタさんにもらったんだー」
なんて話をしているのを聞くとうらやましかった。
私もサンタさんにプレゼントをもらいたかったが、
それ以上に家族と過ごすクリスマスがあるだけで幸せだった。
サンタさんの本当の存在が分かる年頃になっても、
クリスマスは変わらず好きだった。
私は、どこかで『朝起きたら枕元にプレゼントが!』
という希望を捨てきれていなかった。
もしかしたら、サンタさん扮する両親が、プレゼントを用意してくれているかもしれない。
そう信じた、ある年のクリスマス。
プレゼントをいれてもらうための靴下を用意した。
用意した靴下を両親に見せびらかしてみる。
「明日の朝、クリスマスプレゼント入ってるかな~」
なんてしらばっくれたことを言って見せ、枕元に靴下を置いた。
『阿呆な娘だな』という目で両親は見ていた。
朝起きたらプレゼントが入っているかもしれないという
期待と、どうせプレゼントなんか用意してくれてない
だろうなというあきらめを抱えたまま、その日は寝床についた。
そして翌日、
靴下を開けてみると、何も入っていなかった。
現実を突きつけられた瞬間だった。
「何も入ってなかったー」
両親にからっぽの靴下を見せつける。
『阿呆な娘だな』という目で私を見ていた。
こんなことを言うのもおこがましいが、
何とか娘の期待に応えたいという姿勢はなかったのだろうか。
家の中にあるもので、プレゼントに代わるものをとりあえず入れておこうという努力も見受けられなかった。
私の日ごろの行いが悪かったのかもしれない。
やはり、サプライズプレゼントで子供を喜ばせるという
スタンスはないらしかった。
私は人に甘えたり、頼ることが下手くそだ。
何事も自分で処理し、自己解決している方が圧倒的に多い。
人に期待しなくなったのも、ひねくれた性格が悪化した
のも、この一件が要因の一つになっているのかもしれない。
決して両親を否定しているわけではないのだが。
それでもクリスマスが好きなことに変わりはない。
今年のクリスマスまであと200日かぁ。
待ち遠しいったらありゃしない。
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