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モネが人を描かなくなった理由

夫は夢中で妻の最後の姿を絵に残す。

愛しい妻。
妻であった人。
青ざめる人体。
変化し続ける物体。

筆を動かしたのは慈愛よりも好奇心だった。


印象派の祖、抽象絵画の父、美術史の様々なムーヴメントに存在を知らしめる画家、クロード・モネ。

何が描きたかった人なのか、どんな人だったのか、ということは過去記事をご参照いただければと思いますが
モネは生涯で光(それ自体や反射、変化)を如何に静止画である絵画に表現するかに生涯を捧げます。

モネと言えば、その「変化を捉える」という理想を体現するように「積みわら」「大聖堂」「睡蓮」などの連作が有名ですが
そこには人が描かれていません。

風景画なのだから当たり前、とも言えるし実際人を全く描かなかったわけでもなく
画業の初~中期には頻繁に人物画や風景の中に人物を描きこんでいますが、ある時、ある作品から極端に人(誰と分かるような顔)を描くことを避けるようになります。

そのキッカケとなったのが、「死の床のカミーユ」(1879年)という作品。
描かれたのは、モネの最初の妻であるカミーユ・ドンシューの最後の姿です。


モネが7歳年下のカミーユと恋仲になったのは、まだ画家としてうだつの上がらない26歳頃のこと。

順風満帆、ということは全くなく生活は極貧であり暖房設備が皆無のような住居で身を寄せ合っておりましたが
周囲、特にモネの父と叔母(母はモネ17歳の時に死去)はカミーユとの結婚に猛反発をするなどシャレにならない風当たりでした。

「結婚するなら仕送りやめるわ」と、親のすねかじりへリーサルウェポンが飛び出す始末でしたが
この時に既にカミーユは息子を身ごもっており、まぁまぁ後にはひけない状況になっていました。

「一世一代の反抗期」とはいかず、仕送りという思し召しを確保するため
モネは一人でカミーユとは別れた体で叔母の下に単身で身を寄せる偽装工作をかまします(カミーユは一人取り残される中、出産・育児に励む)。

1868年にモネが自殺未遂を起こすほど、二人の生活は貧困を極め
画家仲間の助力によりギリギリ生きていける状態を保ちますが、将来への見通しは壊滅的でした。

70年にスーパーナルシスト画家クールベが見届け人となり、ようやく式を挙げた二人ですが
モネ側の親族の参加はなし(モネパパは結婚を認めないまま1871年他界)。
因みにカミーユサイドもモネを信頼しきったわけでなく、銀行口座を一部モネと共有にさせず資金を確保していた模様。

そんな中でもカミーユは献身的にモネに尽くし、サロン入選した「緑衣の女」や金髪のカツラとゴリゴリの日本趣味に包まれた「ラ・ジャポネーズ」などモネの作中で度々モデルを務めます。

ラ・ジャポネーズはモネが「あんなん二度と描かんわ」とした自称駄作ですが、自意識に反して2,000フラン(ざっくり今で2,000,000円)で売れた…。

1872年頃、フランスがプロイセンとの戦争(普仏戦争)からの復興景気にのりモネにも買い手が付くようになり
「職業?画家ですが?」と胸を張れるようになったことでカミーユ的にもこれで家庭も家計も安心。

とは、一切なりませんでした。

忍び寄るは女の陰。モネとカミーユの暮らしは奇妙な装いを呈します。


1874年頃から印象派の中心人物として、芸術界に革命の大手を振ったモネ。

展覧会は動物園感覚で来場する僅かな野次馬が殆どでしたが
煮詰まった芸術界における革新性は一定の富裕層を捉えます。

景気のいい金持ちがいないとアートは盛り上がらない。そして金に余裕がないと写実的な絵が売れて、余裕があると抽象的な前衛が売れるのは世の常。

その一人がエルネスト=オシュデという人物。
彼はモネにとって重要なパトロンとなりますが、問題はその妻、アリスでした。

カミーユも含め、家族ぐるみで交流したモネ家とオシュデ家。
しかし、エルネストが破産する少し前から両家の状況は奇妙さを帯びます。

破産後、エルネストは単独で奔走する傍ら、アリスはモネの所へ留まります。
やがて、発揮しなくてもいいモネの甲斐性が発動され、カミーユがいるにも関わらずモネとアリスの距離が急速に縮まります。

カミーユはこのことに気付いていたと言われていますが
不思議なくらい、ことを荒立てるような言動がなかったようです。

言ってしまえば、もはやその体力もなかったのかもしれません。

アリスとの不倫だけでも、人によっては拳に力が入るレベルですが
アリスが6人の子供を連れてくるというサプライズをかましたことでモネ家の貧困はここに極まります。

カミーユはこの歪すぎる家庭状況の中、病気で息を引き取ることになります。

モネが絵に残したのは、そんな妻の亡骸でした。

しかしながら、そこには夫として妻の最後の姿を残したいという慈愛の心よりも
「移り行く色味」をただ絵に描きたいという画家の性が筆を取らせていました。

後に、モネは知人に対して「こんな私を哀れんでほしい」と語っています。


モネはこれ以降、人物を極端に描かなくなり、たとえ描いたとしても顔を明確に描かなくなります。

特徴的なのは日傘をさす女性を描いた三枚の絵。
画像の作品はカミーユをモデルにしていますが、他の作品は殆ど表情も見えません。

この絵を描くモネへ草上から視線を投げかけるカミーユ。
その視線は何を語るのでしょうか?

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