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小説「Webtoon Strokes」4話

ネームとは、漫画の制作において最も重要とされる過程である。そこにはストーリーテリング、コマ割り、台詞、間の取り方、キャラクターの演技、構図といった、一作品を形成するすべての要素が包含されている。完成度は作家によって異なるが、一部の作家はこのネームを下書きとして使用し、直接原稿を完成させるまでに至る。ネームは漫画の設計図とも言えるものなのだ。

横読みの漫画において、原作と作画が別々の作家によって行われる場合、ネーム作業は主に作画担当者が引き受けることが多い。原作担当者から提出される原稿は、小説形式やシナリオ形式が一般的である。稀に、絵が描ける原作者がネームまで担当することもあるが、そのケースは少ない。その際でさえ、作画担当者がネームを自分のスタイルに合わせて再構成し、自身の絵が最大限に生かせるよう手を加えることがある。

このように、ネームは作品の骨格を形成する重要な過程であり、その完成度や扱い方は作家や制作体制によって変わる事はあっても、漫画創作の理解には欠かせないパートである事は間違いない。

一つの小説をそのまま作画担当者に渡し、それをネームに仕立てる場合、その過程での重要な視点とは、物語のどこを切り取り、それがどの程度のページ数で描かれるべきか、ということだ。週刊連載の場合、一話がおおよそ20ページにわたるため、その範囲に見合う物語の断片を探す必要がある。これは、料理人が目分量で測りなどを使わず、適切な量の食材の分量を見極めるようなもので、ある種の職人技、経験と勘に頼った技術と言えるだろう。

今回楓が参加するウェブトゥーンの制作は、韓国の小説が元となっており、それをネーム担当者が縦に読む形式に仕立てている。ウェブトゥーン作成が初めての楓にとって、一話が60コマというボリューム感を直感的に感じ取るのは難しい。また、楓の絵がその作品の世界観に適合しているかどうかも分からず、初めて接するネーム担当者の意図も掴みきれない。

楓は自身の絵柄、絵の特性がこの新しい形式にどの程度適応できるのかを模索した。

これまでウェブトゥーンの世界に踏み込むことのなかった楓だったが、新たな挑戦に備え、彼女は電子書店で人気のウェブトゥーンを次々に手に取り、その作品を探求した。スマートフォンの画面に映し出される漫画は、楓が触れる指の動きに合わせて、静かに下から上へと流れていく。コマはひとつひとつがそれぞれの小さな世界を紡ぎ出し、それらが1つのスクロールに見合うペースで繋がっていく。比較的コマの情報量は少なく、コマとコマとの間には大きな余白が取られている。それらの余白が、物語の時間経過を表現し、読者に間を与える効果になっている。

ウェブトゥーンは、ページをめくる見開きという概念が存在しない代わりに、"スーパーカット"と呼ばれる縦に長いコマが生まれている。これは主要な見せ場に使われ、極めて効果的な演出手法だ。このスーパーカットには、スクロールしながら視野に飛び込んでくる驚きと共に、新鮮な魅力を感じた。

ウェブトゥーンは漫画とアニメの中間的な存在とも形容されるが、楓にとって、そのコマ割りの基本はやはり横読み漫画にあると感じた。そしてその基本を活かし、さらに一歩踏み込んだものがウェブトゥーンの世界だと理解したのだった。

劇場版アニメーション『THE FIRST SLAM DUNK』に関するインタビュー記事を、楓は何度も読み返していた。その記事は、原作者であり漫画家の井上雄彦氏が自身で絵コンテを描いたという作品制作の過程が語られていた。その中で、井上先生は自身が初めて絵コンテを描いたことで遭遇した困難さについて語っていた。

困難の焦点は、画面の枠、つまりフレームにあった。漫画という表現媒体では、コマの大きさを変えることで緩急や間、そしてキャラクターの演技を自由に表現できる。だが、アニメーションの絵コンテでは、そのフレームは等間隔に割られ、その中で一貫したストーリーを紡ぎ出さねばならない。井上先生は、そこに存在する制約と自由度の違いに苦しみながらも、新たな表現方法を模索したと語っていた。

楓は、そんな井上先生の言葉を読みながら感じた。表現方法の違いが、それほどまでに作家の苦悩を引き出す。それだけ表現とは、デリケートで、そして奥深いものなのだと。それはさながら、同じ糸で織りなす布でも、その紡ぎ方一つで全く違った風合いの作品が生まれることに似ている。そしてその織りなす過程こそが、作家の深い洞察力と技術、そして情熱が求められるのだと。

視聴者が受動的になる時間芸術の領域にアニメーションが存在する一方で、漫画の楽しみ方は読者の自由度に富んでいる。一つ一つのコマに心を寄せ、読み返すことも、じっくりと考えながら進むことも可能である。それは読者が自分のリズムで物語を楽しむことができる、一種の自律性を意味する。この視点からすれば、横読みの漫画とウェブトゥーンは、それぞれ独自の表現方法を持ちつつ、読者に与える体験の柔軟さという面では共通の価値を保持していると感じられた。

そんな作品制作に対する思索は、突如として途切れた。

「あっ!」

楓の意識は、あたかも遠い場所に浮遊していたかのように、現実へと戻った。そして、そこにはponcho先生の手によって描かれたウェブトゥーンのネームがPC画面上に広がっていた。

現在、楓が直面しているのはウェブトゥーンに関する理論的な分析ではない。それは、現実の問題への具体的な対応だった。