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小説「Webtoon Strokes」6話

PCの画面上には、楓と木村の姿が静かに映し出されている。どちらもうつむき加減に、覇気のない表情を浮かべている。その顔つきだけで、この会話が楽しいものではないことは一目瞭然だった。

「1話目のネームの締切って、もう2週間後でしたよね。」

オンラインツールを介して打ち合わせを重ねる二人。共有画面には、ネーム作家ponchoの手によって生み出されたネームが大きく表示されている。

木村は画面に映るネームを改めて、じっくりと目を通す。楓の指摘は鋭い。このネーム、それはまるでアニメの絵コンテそのもので、ほぼ同じフレームでコマが割り振られている。構図は単調で、キャラクターの描写も簡略化されすぎて、まるでマッチ棒のような形になってしまっていた。

このままでは、物語が息を呼び込む事は出来ない。この状況を打破する為に、新たな案をこのネームに吹き込むべく、ニ人は頭を寄せ合っていた。

この状況に陥ったのは、木村の編集者としての誤算だった。彼はponchoに対して、「Infinite」という気鋭のクリエイター集団の一員であり、名だたる作品のアニメの絵コンテを手がけた経歴を持っいた事が、まるで良作を生み出す確証のように思えて、それを鵜呑みにしてしまったのだ。

日本でウェブトゥーンの制作が様々なスタジオによって積極的に創り始められたのは2022年辺り。まだ新しい表現方法であり、縦組み形式のネーム作りに慣れている作家も編集者も少ない。制作の現場は、まるで未開の地を歩くような暗中模索の状態で、データや経験に基づいた方法論も確立していない。そこには、未知の創作に対する大きな魅力が広がっている一方で、製作者に厳しい試行錯誤が求められているのも事実だ。

木村は、自分自身で作品に向き合うことなく、その重要な判断を作家と、「Infinite」という著名なブランドに託してしまった。そこには、木村のこれまでの漫画編集経験の少なさによる自信の欠如も潜在的に反映されていた。自分の修正の赤入れに確信が持てるか不安で躊躇した。

その結果、画面に映るネームは、作品としてあるべき工夫を宿していない。曖昧な仕事の責任は結局自分に帰結し、彼はその現実にどう向き合うべきか、深く考え込むのだった。

楓は、PCに映る木村の顔をじっと見つめながら思った。画面越しでありながら、言葉を交わせば相手の人間の大体のことが不思議と伝わるものだ。

人の真価は危機に陥った時の対応に出る、と楓は心の中で囁いていた。今の木村の態度には、編集者としての覚悟が足りないと彼女は直感的に察せざるを得なかった。

楓の心のバイブルとも言える漫画『スラムダンク』。その中の安西先生の名言「諦めたらそこで試合終了ですよ。」という言葉が、彼女の頭に浮かんだ。今、この場で躓いてしまったら、本作の作品制作が止まってしまうかもしれない。

木村も『スラムダンク』は大好きな漫画である。しかし、その中の「諦めたらそこで試合終了ですよ。」という言葉には、ずっと疑問を抱いていた。彼は楓より一回り上の年齢で、これまでの人生で何度も諦め、逃げ出し、投げ出した経験がある。それでも、試合は終わらなかった。いや、終わらせてくれなかったのだ。日常は延々と続き、辛酸が澱のように溜まっていくばかりだった。

「やはり、今回のネームでは制作が難しいですかね。今回の企画は、制作を止めましょうか。」

木村の言葉は重く、噛み合わない制作は進まない、傷は浅い方が良いという現実を静かに語っていた。

楓は咄嗟に答えた。

「このネーム、私にやらせていただけませんか?poncho先生のネームがあれば、私でもそれを元に描ける気がします。」

ネームは漫画の設計図のような重要なパートだ。その分、一回でOKが出ることはむしろ少なく、修正のラリーを繰り返して、より良いものに創り上げていくものだ。通常であれば、漫画家と編集者で赤入れなどのやり取りをするが、原作者と作画者が分かれている場合、原作者が制作したネームを、作画者が自分の絵を活かすためにさらにネームを再構築することも珍しくない。

「わ、わかりました。お願いします。」

木村の返答は、躊躇いを含みながらも、楓にその重責を託す決意を込めていた。

木村は頭の中を、スケジュールの引き直し、予算の調整、ponchoへの連絡に専念させた。不安が彼の心を揺さぶったが、その思いに意識的に蓋をした。

「つい、言ってしまった。出来るかどうかわからないことを…」

一方、楓も自身の発言に動揺を隠せなかった。自らがネームを描くという選択は、想定外の出来事であり、時間的、能力的にこの挑戦をやり切れるのか、不安が彼女の心を襲った。

しかし、その深い不安の奥底から、ふとある言葉が楓の心に浮かんできた。

「俺は、今なんだよ。」

それは、『スラムダンク』の主人公、桜木花道の言葉だった。彼女はその言葉に力を借りるように、自らを奮い立たせた。

漫画家志望者としての楓は、挫折を味わいながらも、新たにウェブトゥーンの制作に関わることで、自分の中の創作の才能の可能性を見極めたいと思っていたし、それがそもそもこの仕事を始めた動機だった。そしてそれは今、この瞬間にしか挑戦できないと確信していた。

そうして楓は、液晶タブレットに向かい、揺るぎない決意とともに筆を走らせ始めた。次第に一つの世界がモニター上に生まれてくるかのようだった。