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実話に盛ったオカズが美味しい『アムステルダム』

 事実というのは、時に小説よりも奇ではあるけれど、時に漫画以上にウソくさい。それでも映画作家も観客も、黙ってそれを受け入れるしかないんですよね。だって、事実なんだもの。変えようがないんだもの。
(クエンティン・タランティーノは『イングロリアス・バスターズ』で、しれっと歴史を改編してしまったが、それは稀有な一例)
 かのマーク・トウェインも、事実と小説の違いは何かと聞かれて、「事実にはリアリティが必要ない点だ」と答えたそうな。

 舞台は1930年代。殺人の濡れ衣を着せられたバートとハロルドは、いつしか米国をファッショ化しようとする秘密結社の陰謀に巻きこまれ・・・。
 って、本作の大筋だけ読んだら、まるで「仮面ライダー」シリーズだ。しかるに、これはヒトラーやムッソリーニが台頭した時期に、米国で実際に企てられた陰謀なのだそう。
 オープニングとラストシーンで実話であることを明示しなければ、うるさ型の映画ファンから「ストーリーがベタすぎる」と非難されたに違いないが、(繰り返すが)これが事実なのだから仕方ない。

 そこで監督・脚本のデヴィッド・O・ラッセルはどうしたか? 秘密結社を巡る実話の(つまり本来なら物語の根幹となるべき)部分は、脇に回ったロバート・デ・ニーロに任せ、それを彩る枝葉の部分で、トリプル主演のクリスチャン・ベイル(バート)、マーゴット・ロビー(バレリー)、ジョン・デビッド・ワシントン(ハロルド)を縦横無尽に動かした。

 我らが三人衆は、上は上流社会から下はスラム街まで駆け巡り、一癖も二癖もありそうなスパイや刑事、怪しげな富豪やその美人妻と丁々発止の駆け引きを交わす(マイク・マイヤーズ、マイケル・シャノン、ラミ・マレック、アニャ・テイラー=ジョイほかの共演陣が、また豪華)。
 さらには各人の恋愛模様や、バートと義理の家族との珍妙なホームドラマまで絡み合い、134分間にわたる破調と興奮のドラマは、まるでおもちゃ箱をひっくり返したかのようなにぎやかさだ。

『アムステルダム』はまた、昨今はやりの“インクルージョン”を体現する映画でもあった。鑑賞前に冒頭の写真を見せられ、「このうち、どの2人が恋愛関係になるでしょう?」と聞かれたら、たいていの人は白人2人の名前を挙げることだろう。ところがどっこい、そうはならないんですね。
 あぶれたバートにしたところで、白人の妻を持つ身でありながら、いつしか黒人女性のイルマ(ゾーイ・サルダナ)に惹かれていく。おいおい、これって公民権運動など影も形もない1930年代の話だよね。
 やはりイルマがいみじくも指摘するように、「肝心なのは誰を必要としているかではなく、誰を選ぶか」ってことなのだろうか。

 この主役トリオは、異人種ばかりではなく、戦傷を負った障害者をも排斥しない。バレリーがハロルドたちと知り合ったのは野戦病院でボランティアをしていた時だったし、医師のバートは自ら右目を失っていながら(あるいは、失っているがゆえに)心血を注いで戦傷者の治療に当たる。
 もちろん、そうでなければならないのだ。だって『アムステルダム』は、終わってみれば、優生思想を推し進めたナチズムへのアンチ映画に他ならないのだから。

 ところで、それはそれとしてですね、ベイルの右目は義眼(という設定)なんだから、左目に合わせて黒目を動かしちゃダメだってば。

アムステルダム
AMSTERDAM
(2022年、米、字幕:松崎広幸)

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