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【ホラー短編小説】灰の降る夏

 
 十七歳の夏、僕は初めて人を殺した。

 夏は人を惑わせるというが、それはあながち間違っていないのかもしれない。
 これがもし夏じゃなければ、僕は殺人を起こさなかったのだろうか?

 いや、多分それはない。
 遅かれ早かれ、僕は人を殺していたと思う。

 僕は今、その殺してしまった人の葬式に参列している。

 遺影には精悍な顔つきに、屈託な笑顔を浮かべた正也が映り、僕はその笑顔を見ながら涙を流した。
 涙を流しながら、ぎゅっと拳を握っていると、隣にいた沙也ちゃんが「大丈夫?」と声をかけてくれた。
 僕は、「大丈夫だよ」と目を赤く腫らしながら彼女に答えた。

 そう、本当に「大丈夫」なのだ。
 涙は出たが、正直なところ悲しみとかいうか、親友を失った喪失感みたいなものが湧き出てくるのだろうかと待ち構えていたが、案外そんなものは期待通りに来てはくれなかった。

 涙を流しているのは、過去にいた自分であって、今の自分ではない。

 正也とは幼馴染で、これまでに数えきれないほどの思い出があった。
 一緒に公園でサッカーをしたこと、一緒に花火をみながら、縁日で金魚すくいをしたこと、部活終わりに自転車に荷けつしながら一緒に帰ったこと。

 あの頃は、僕の青春の一ページの中でも、きらきらとしていた。

 きっと永遠に忘れることはないだろう。
 そんなことを思い出しながら、涙を流していると、今の自分がひょっこりと顔を出し、ケタケタと笑い始めた。

 僕は思わず、ハンカチで口を塞ぎ、漏れ出す笑いを必死になって飲み込んだ。
 木魚の音がポンポンとなり続け、僧侶がお経を読み上げている。

 その光景に、とうとう笑いを我慢することが出来なくなり、僕は慌ててトイレへと駆け込んだ。

 薄暗い蛍光灯が灯るトイレの洗面台で、落ち着かなきゃと、バシャバシャと顔を洗う。
 ゆっくりと顔を上げ、鏡に映り込む自分を凝視すると、そこには目を赤く腫らし、更に目の下には黒っぽくくまが浮き出ている顔が映っており、そんな悲しみに満ちた顔上半分とは違い、顔の下半分はにっこりと赤い歯茎を見せながら笑っていった。

「どうだったよ?楽しめたかい?」

 口元が勝手に動き出す。
 楽しいはずなんてない。だって僕は親友を殺したんだぞ。
 僕は鏡を見ながら、頭を左右に振った。

「そうか。それは残念だ」

 そういうと、その口はまた大きく裂けるようにして口角を上げた。
 蛍光灯の一本が点滅し始め、ピシンと割れるような音がしたかと思うと、光が消える。

 その瞬間、ふと身体中の緊張が解かれたかのように、僕はがっくりと腰を落とし、床に膝をついた。
 ふと、ポケットの中にかさばる物が入っているとおもい、無造作に手を突っ込んだ。

 中身を取り出すと、B6サイズの青いメモ帳がそこには入っていた。
 表紙にはマジックペンで「日記」とへたくそな字で書いてある。

 僕は壁を背に、トイレの冷たいタイルの上に体育座りをしながら、その日記を捲った。

 ◆


 五月二十一日 金曜日 晴れ

 人生初めての日記を書いている
 これは僕にとって人生で記念すべき日になるだろう
 いつもどおりの学校生活であったが、今日は凄く嬉しいことがあった
 学校の図書室で本を探していると、ばったりと沙也に出くわした
 僕は彼女のことが好きだ。(日記の中でしか言えないけどね)
 中学生のころから知り合って、同じ高校へと進学した
 そんな沙也が、僕の目の前に紙切れを出してきた
 それは映画のチケットだった
「余っちゃったんだけど、一緒に行かない?」と誘われた
 もうそれは死ぬほど嬉しかった
 二つ返事でオーケーしちゃったよ
 来週の土曜日が楽しみだな


 五月二十九日 土曜日 晴れのち曇り

 今日は待ちに待った映画デートだった
 恋愛映画ですごくどきどきしてたせいで、内容はよく覚えていない
 多分、ずっと沙也の横顔を見てたからかな
 映画を見た後は、近くのファミレスでゆっくりパフェを食べていた
 甘ったるくてあんまり美味しくはなかったけど、沙也と食べれただけで幸せかな


 六月一日 月曜日 雨

 今日は僕の嫌いな英語のテストがあった
 しかもじめじめとした温度で、制服の中がぐっしょりしてとても不快だ
 それともうひとつ不快なことがあった
 正也に沙也との映画デートどうだったって聞かれた
「俺も行きたかったな」って言ってたけど誘うわけないだろ
 悪気がないんだろうけど、僕は自分の恋愛に誰かが顔を出すのがすごく嫌なのだ
 そういえばなんで正也は映画デートのことを知っているんだろうか?


 六月十日 水曜日 曇りのち雨

 だめだ
 中間テストが近いのに全くやる気が出ない
 これもどれもこの「既読」がいけないのだ
 映画デートのあとから沙也の様子がおかしい
 今までメッセージをくれていたのに、ぱったりとそれがなくなった
 僕からメッセージを送っても、そんなに返ってくることもなくなった
「既読」って文字を見るたびに、無性に腹が立つ
 見てるならメッセージ返してよ


 六月二十五日 木曜日 雨

 テストの初日
 散々な結果だった
 正直赤点を取る自信さえある
 今日はもう最悪だ
 僕が帰り道一人で帰っていると、傘を並べて歩いてる正也と沙也の姿があった
 情けなく僕は立ち止まって泣いてしまった
 こんなのあんまりじゃないか


 六月二十七日 土曜日 曇り

 風邪を引いた
 木曜日に雨に打たれて帰ったからだろうか
 つらい
 さびしい
 ひとりは嫌だ
 メッセージを送ってみた
 スタンプだけが送られてきた
 僕は携帯を壁に投げつけた
 壁にべっこりと穴があいた


 七月三日 木曜日 晴れのち曇り

 テストが終わった
 清々しい気分だ
 夏休みの予定を正也と沙也と三人で立てた
 正也がノリノリなのは気に食わない
 とりあえず、予定はあけた
 夏休みが楽しみだ


 七月十八日 金曜日 快晴

 今日、正也が死んだ
 まだ実感がわかない
 手が思うように動かない
 全部あいつが悪いんだ
「沙也に告白するよ」なんて言い出すからだ
 でも死んだのは僕のせいじゃない
 あいつがつまずいただけだ
 じゃなきゃ電車にひかれることなんてあるわけない
 僕のせいじゃない
 僕のせいじゃない
 僕のせいじゃない

 ◆

 次のページは白紙だった。
 次のページも、次のページも、次のページも。
 僕は無造作にページを捲っていくと、日記には新しい出来事が書かれていた。


 七月十九日 土曜日 晴れ

 今日はなんて最高の日なんだ
 あいつは死んだ
 もうだれも邪魔者はいない
 こんなに笑いが込み上げてくるなんて
 だめだ
 お葬式にもう参加できそうにない
 そうだトイレに逃げよう
 ここなら誰もいない
 誰にもバレていない


 僕は思わず日記を放り投げた。

 嘘だ、僕はこんなこと書いた覚えがない。
 それにこれは今日の日付じゃないか。

 そもそもなんで机に閉まっていた日記が僕のポケットに入っているんだ?
 わからない。

 一体僕はどうしてしまったんだろうか。

 結局、僕はお通夜を体調不良を理由に途中で抜けだした。

 携帯を見ると沙也からは「大丈夫?」ってメッセージが届いていた。
 僕は「大丈夫じゃない。すごく悲しいよ」と返信した。

 そうだ、今度慰めてもらおう。

 どこにデートに行こうかな。
 映画館?
 博物館?
 カラオケ?
 それとも、黙ってホテルでもいいのかな?

 もう、沙也は僕のものだ。

 ◆

 十七歳の夏、僕は初めて人を殺した。

 茹だる様な暑さに、身を焦がすような晴れた日のことであった。
 ポンと背中を押しただけで、すぐに正也は肉片となった。

 忘れちゃいけないことがもう一つある。
 僕はもう一人、人を殺している。

 そう、僕自身だ。
 正也の背中を押したあの瞬間、僕は僕自身の背中を押した。

 元の優しい僕はもういない。
 灰となって、正也と一緒に空の彼方へと消えていった。
 今いるのは、僕ではない。

「加治 圭介」の皮を被った、名も無きただの怪物だ。

終わり。

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