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時織りの手紙(4)

※第一話はこちらか

令和3年8月12日―――

朝目が覚めると、暁人はすぐさま手紙箱の蓋を開けた。
手紙が届いている、そんな予感がしたからだ。

その予感は的中したようで、箱の中には手紙が1通、かしこまった様子で入っていた。
暁人は親指の爪で慎重に封を切る。
高鳴る胸を押さえ、呼吸をゆっくりと整えながら、彼は手紙の内容を読んだ。


お返事ありがとうございます。
白石暁人さんというのですね。非常に綺麗な名前で惚れ惚れします。
写真ありがとうございます。
100年後の隅田川はこんなにも変わっているのですね。
それにスカイツリーというのは本当に人が作ったものなのでしょうか。
本当にそうなら是非とも見に行きたいものです。

昨日、うちに大きな西瓜が届きました。
三河屋の倉さんが毎年育てているもので、今年は豊作だったようです。
そちらの夏も西瓜は美味しいでしょうか?
風鈴と西瓜が変わらずに日本の風情であることを願っています。

追伸:最近、地震が多いような気がします。少し不安です。

大正12年8月10日
石森 玲子
"

暁人は手紙を読み終えると、傷つけぬよう、そっと元の封筒の中へとしまった。
心の奥底から湧き上がる好奇心噛みしめるとともに、冷たい死神の囁きのようなものに耳を塞いだ。

地震……どこかで見た気がする。
記憶をほじくり返してみるが、まるで霧がかかっているようで思い出すことが出来ない。

暁人は急いで、「大正 地震」と検索をかける。
地震と検索するだけで、数十万という情報にヒットするが、先頭ページに表示されるのは「関東大震災」のwikipediaのページであった。

彼はそのページを開き、内容にゆっくりと目を通した。

「関東大震災」
“1923年(大正12年)9月1日11時58分32秒に発生した関東大震災によって、南関東および隣接地で大きな被害を齎した地震災害である。
死者・行方不明者は推定10万5000人で、明治以降の日本の地震被害としては最大規模の被害となっている。
<中略>
一般に大震災に呼ばれる災害ではそれぞれ死因に特徴があり、本震災では焼死が多かった。
本震災において焼死が多かったのは、日本海沿岸を北上する台風に吹き込む強風が関東地方に吹き込み、木造住宅が密集していた当時の東京市などで火災が広範囲に発生したためである。”

関東大震災……そうだ、日本橋の高山屋だ。
暁人は高山屋で見た資料館の光景を思い出した。
それと同時に、中学生の時に見たテレビ番組のことも頭の中に流れ込んできた。
関東大震災では、木造住宅地が次から次へと延焼し、一つの竜巻となった話だ。その現象は火災旋風と呼ばれ、それから逃れるために多くの人が川に飛び込んだとされている。

石森玲子の手紙には地震が頻発していると書かれている。
暁人の額に冷や汗が滲んだ。
おそらく彼女が体験した地震は、関東大震災の余震だろう。
余震を感じているということは、震源地よりそう遠くない場所に住んでいるのかもしれない。

暁人は必死に頭を回転させる。
何か、彼女を救う手立てはないだろうか。
事実を伝えてしまうことが一番早いのかもしれないが、果たして手紙だけでそんなバカげたことを信じるだろうか。

何もできぬ悔しさに、暁人の指は震えた。
過去に生きる者、未来に生きる者。
決して交わらぬ世界線にいるにも関わらず、暁人は彼女を本気で助けようとしている。

暁人はすぐさま手紙に一文字目を書こうとしたが、指が震え、書き始めることが出来ない。
たかがペンと紙。されどペンと紙。
この1通に彼女の運命が掛かっている。

令和3年8月12日―――
暁人の吐く息が凍る。
細く白い腕に鳥肌を立てながら、寂しく震えていた。

(第5話へ続く)


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