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静 霧一 『四月のありふれた恋の一文』
『―――春って、残酷ね』
私は誰もいない教室の窓の鍵を捻ると、その窓をピシャリと開け全開にした。
開けた教室の窓からは、ひらひらと桜の花びらが舞う四月の風が吹き込んだ。
風と踊るようにと教室のカーテンがたなびき、私の制服に桜の花びらが一片、柔らかく張り付く。
張り付いたと思った花びらは、そのままひらひらと螺旋状に回転しながら落ちていった。
落ちた花びらを私は拾い上げると、ふわりと窓の外に吹く風に乗っけ、その不規則に流れてゆく花びらの行方をじっと眺めていた。
その花びらがやがて点となり見えなくなると、私は自分の席へと戻り、カバンから白い封筒と白紙の手紙を取り出した。
誰もいない静かな教室にぽつりと私が一人、一枚の真っ白な手紙と睨めっこをしている。
この真っ白な手紙に、どう書き出しを書こうかと私は頭を悩ましながら、右手に持ったシャープペンシルをくるくると回し続け、気づけば早いもので数十分経過していた。
インターネットが発達した現代において、今更手紙などという連絡手段は滅法使われなくなっていたが、それでも愛情表現としての効果は抜群だと、私は信じ込んでいる節がある。
こんなにも悩むのならいっそのこと直接伝えてしまえば良いんじゃないかと気づくが、そもそも面と向かって愛の言葉を伝えるほどの勇気など持ち合わせてはいないから、こうやって悩みに悩んで、手紙を書いているんじゃないかと、相変わらずの私の馬鹿さ加減に溜息が出た。
「君がずっと前から好きでした」とか「付き合ってください」とかそんな言葉を書こうとするが、待て待てと心の中にいるもう一人の私が引き留める。
書き出しでそんな熱い言葉を書いてしまっては、引かれてしまうのではないかともう一人の私が囁くと、私は少し冷静になり、そのペン先を一行目から静かに離した。
両腕を組みながら眉間に皺を寄せ、目を瞑りながら唸っていると教室の後ろの扉からクスクスと笑い声が聞こえた。
その笑い声にハッとしすぐさまそちらを振り向くと、香奈がニヤニヤしながら私をじっと見つめている。
「何よ、そんなところでニヤついて」
恥ずかしい姿を見られた私は、先ほどまでしていた難しい顔のまま香奈を睨みつけた。
「ごめん、ごめん。沙也があんまりにも真剣な顔しながら俯いてるからさ」
クスクスと笑いながら私のほうへと向かってくる。
香奈はそのまま私の前の席に座ると、背もたれに腕を掛け、私の机の上の真っ白な手紙をのぞき込む。
「誰宛てに書いてるの?」
香奈は頬杖を突きながら、私の顔へと向き直る。
「……しゅういち」
ぼそりの私はその宛名を答えた。
「やっぱりね!というかそれ以外考えられないわ!」
香奈は私の真っ赤になった顔を見ながら手を叩き笑う。
「そんな笑わないでよ!こっちだって今悩んでるんだから!」
私は頬を膨らませながら、眉間に皺を寄せ香奈を睨む。
「ごめん、つい思った通りで面白くってさ」
香奈は笑いすぎたせいか、目に涙が溜まっていた。
それを少し伸びたベージュのセーターで拭うと、すっきりしたとおもむろにカバンを漁り、赤い箱のポッキーを取り出した。
箱のパッケージをピリピリと空け、銀色の袋を中から取り出し開封する。
ポッキーを一本口に咥えながら、「食べる?」と私の口元に、その咥えたポッキーの先を近づけた。
「もう、ポッキゲームじゃないんだから」
私は突き出されたポッキーの三分の一のところに噛り付き、食べ進めようとする香奈の誘いを断り、ポリポリとチョコの部分だけを食べた。
香奈は少し残念そうな顔をしていたが、咥えていたポッキーをすぐさま食べ終え、もう一本ポッキーを取り出し食べ始めた。
「で、なんでラブレターなんて書こうとしてるの?直接告っちまえばいいじゃん。幼馴染なんだし」
「幼馴染だからこそ恥ずかしいの。わからない?」
「わからないよ。だって私は沙也の幼馴染じゃないんだもん」
それもそうかと、私は香奈の言ったことに納得した。
"しゅういち"の幼馴染は私だけなのであって、私しかこの手紙を書き出すことしか出来ないんだと、使命感に似たようなものに火が付き、書き出しを考える熱が再燃した。
「ねぇ、香奈。香奈って好きな人とかいるの?」
唐突な私の質問に少しだけむず痒い間が空く。
「いるよ」
教室の窓の外、日が落ちかけた夕焼けを見つめながら、香奈は優しく答えた。
「この学校の人?」
「うん」
「同級生?」
「うん」
「この教室?」
「うん」
私はこんなにも素直に答える香奈に驚きを隠せなかった。
香奈の見た目は清楚とは程遠い、髪を茶色に染め、爪にマニキュアを塗り、カバンにはなんのマスコットキャラだかわからないストラップをじゃらじゃらとつけている、世間一般でいうところの"ギャル"というものであった。
その見た目から、男子生徒に度々遊びを誘われるが適当なことを言ってはぶらかし、私が遊んでくればいいじゃんと突っ込むと、香奈は「もっと王子様みたいな男性と遊びたいの」と適当なことを言っていた。
そんなあまり自分の本心を見せない香奈が、今日はやけに素直であった。
夕焼けの美しさによるものなのか、桜の魔法によるものなのか、今までみたことのない香奈の横顔に、私は乙女の美しさを感じた。
「誰なの?好きな人って」
私が核心に迫りこむ質問をすると、香奈は夕焼けを見つめながら黙り込んだ。
どうしたのと香奈の目の前に手をかざし、おーいと呼びかける。
「ごめん、好きな人のこと想像してた」
香奈はニヤニヤと笑いだす。
「だから誰なの、その好きな人って」
「教えなーい」
そこにはいつものお道化た様な万遍な笑みを浮かべた香奈がそこにいた。
すると、学内の放送機からキーンコーンと五時を知らせる学校の鐘の音が鳴り響いた。
「あ、もう五時か。今日バイトだったんだ、行かなきゃ」
香奈は急いでカバンを肩にかけ、椅子から立ち上がる。
「大丈夫なの?喫茶店まで距離ない?」
「余裕、余裕。じゃ、また明日ね!」
そういうと、香奈は駆け足で教室を出ていき、その足音は廊下の奥のほうへと消えていった。
騒がしい友人が一瞬の夢を見ていたかのように消え去り、また一人、私は机の上の真っ白な手紙と葛藤することとなった。
今思えば、私は"しゅういち"のどこを好きになったんだろうか。
普通、人を好きになるっていうのは何かきっかけみたいなものがあるはずなのだが、どうも私にはそれが思い出せない。
"しゅういち"とは、物心ついたときからよく一緒に遊んでいた。
知り合ったきっかけは、隣の家の同じ年齢の子供だったからという以外に理由はなかった。
親同士も仲が良く、よくお互いの庭でバーベキューをしたり花火をしたりと、親密に過ごしていた。
当然、同じ幼稚園、小学校、中学校と進学していき、偶然ではなく私がそれを必然にしたせいで高校も一緒のところに通うようになった。
そして今、私は高校三年生となり、同じ教室で"しゅういち"と授業を受けている。
それを運命と紐づけるには仰々しいかもしれないが、私にとってそれは女神が編み出した赤い糸なのではないかと今では本気で思っている。
私は物心ついた時から一緒にいたので気づかなかったが、意外と"しゅういち"は女子から人気の男子生徒だった。
部活はバスケ部に入部し、今では三年生でキャプテンの背番号をもらうほどだ。
昔から運動神経がいいのは知っていたが、それほどまでとは思ってもおらず、私は未だに信じられていない。
おまけに彼は頭がよく、周りとは違って落ち着いた雰囲気を出しているところが他の男子とは突出して人気の理由であり、女子同士の中ではファンクラブが出来るほどであった。
そんな光景を横目に、私はいつも通り過ごしてはいたが、高校二年生の春休みに今までの日常が崩れるほどのことが起こった。
3月14日夜7時21分。
唐突に"しゅういち"の名前で携帯の画面上に通知が表示された。
『―――水無瀬さんから告白されたんだけど、水無瀬さんってどんな人?』
私は、その画面を見た瞬間、背筋が凍りついた。
恐怖とはまた違うのだが、悪魔に心臓をギュッと鷲掴みされたような感覚に陥り、へなへなと自分の部屋で茫然自失となった。
私は一度携帯の画面をひっくり返すと、そのまま床へと伏せる。
だんだんと背中が冷や汗で濡れていくのがわかり、部屋着が背中に張り付く感触が気持ち悪く感じた。
私は少しばかり深呼吸を置き、携帯画面の明かりをつけるが、未だそこには未開封の無機質な言葉が表示されている。
それを指でスライドすると、画面いっぱいにメッセージチャットが表示され、その文面が最新のメッセージとなっており、返信を早くしろと手招いている気すらしている。
いつもであれば間髪入れずに返信をするのだが、こればかりは考えなしに返信するわけにもいかない。
私は指を動かそうとするが、なんて打てばよいのだろうと画面を開いたまま硬直する。
―――水無瀬 柚葉
高校一年生の時に、同じクラスにいた学級委員長の女の子の名前だ。
弓道部に所属し、次期生徒会長になるのではないかと校内で声が上がっていた。
身長は他の女子よりも頭一個分高く、おまけにスタイルがいい。
若い子に有名なファッション雑誌にも写真が載ったとかで、校内では指折りの美人として数えられ、評判も上々であった。
そんな私では手が届かないような女の子からアプローチをされたのだから、"しゅういち"は余程校内でモテるのだなと自覚し、もう私の手が届かないずっと遠い場所に行ってしまったのだと虚無感が心を覆った。
『―――女子の中でも人気な子だよ!あんな美人から告白されるなんて羨ましいぞ><』
自分でそんな文字を打ちながらほとほと嫌気がさす。
そんなこと微塵も思っていないのに、なんでこんな他の子を応援するようなこと言ってしまってるんだろう。
この時、私は初めて"しゅういち"を好きだと知った。
初恋であると知ったと同時に、私は彼に片思いをしているのだと自覚した。
それを自覚した瞬間から、片思いの苦しさが岸壁に打ち付ける波のように何度も何度も心へと押し寄せる。
その度に発作のようなものに襲われ、私は布団の中に潜り込み、力なき子犬のようにプルプルと震えていた。
枕元でピコンと機械的な通知音が鳴る。
恐る恐るその画面を開くと、たった一言、『―――そっか。ありがとう。』という短い言葉が返ってきた。
私の心が、その言葉の裏を勝手に想像しては恐怖を掻き立て、増殖させる。
まだ未来なんてわからないのに、しゅういちが私の知らない場所へ行ってしまうと決めつけ、一人布団の中で嗚咽交じりに泣きじゃくった。
柵を一つ挟んだ隣の家に、今"しゅういち"はいる。
こんなにも近い距離にいるのに、心はあの小さい点となって輝く星ほど遠いんだなと、あの時の私は夜空を見ながら感傷に浸っていた。
手紙の書き出しを考えながら、過去の回想に浸っていた私だが、ふと違和感を感じた。その違和感を考え込んでいたが、あぁと手を打ち、その違和感の正体に納得した。
私は、この手紙の書き出しを書くに当たって、"私が彼を好きになった瞬間"を思い出そうとしていたのに、"私は彼が好きと知った瞬間"だけがあの強烈な記憶とともに頭の中にフラッシュバックしていた。
幼馴染という呪縛めいたものが、友情と愛情の境目を曖昧にし、好きになった瞬間さえも記憶も残らないほどに溶けてしまっていることに、「幼馴染」という肩書が決してアドバンテージにはなりえないと知り、溜息が出た。
結局は自分自身で勝負しなければならないとなると、私は一体"しゅういち"に何を与えることが出来るのだろうか。
今この手紙で好きだと伝えても、それは私の自己満足であって、決して"しゅういち"のためになるとも考えられない。
恋愛小説と漫画とかもう見飽きるほど読んでは来たが、多分そこに出てくるヒロインたちはこんなにも深く愛について考えているのか甚だ疑問が湧いてくる。
それほどまでに幼馴染とは一緒に過ごした時間が長く、そして深いために、好きだと簡単には伝えられないのだ。
十数年かけて一生懸命に作ってきた砂の城が、たった「好き」という一言の波にさらわれてしまう。
多分今の私の頭の中を香奈に言ったら、「恋愛なんてそんな難しいこと考えなくていいんだよ!沙也の前世は哲学者なの?」とか言われそうで、迂闊にもそれを想像してしまい、無人の教室で笑いが込み上げてきた。
今こうして手紙を書こうとしてるのも、今後続くであろう幼馴染の呪縛と、片思いの苦悶を断絶させるためであって、私は必ずこの手紙で自分の思いを彼に伝えなければならない。
ふと、黒板の右端に書かれた月日が私の目に飛び込んできた。
『四月十七日 日直:星野 秀一 水無瀬 柚葉』
そういえば、明日は私の18歳の誕生日だ。
誕生日を迎える高鳴りの後に、その下の日直の名前を見てちくりと心が痛む。
今ここで書かないと、一生この手紙は書けない気がする。
そうして私は、白紙の手紙の一行目に筆を走らせたのであった。
※不定期の短編連載小説になります。
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