静 霧一 『orion』


「ねぇ、オリオン座ってどれ?」
「あれだよ。あの砂時計みたいな形の星座」

 僕は茜が指をさす方向を見る。
 僕がどこ?と聞くと、彼女は、オリオン座を指でなぞって見せた。
 確かにそこには、冬空に大きく、砂時計を象った星座があった。

「あの赤い星が目印なんだって。わかりやすいね」

 茜の吐いた息が白く凍る。
 砂時計のちょうど左上に位置する星はほかの星よりも大きく、赤く輝いていた。

 やはり、浜辺に来て正解であった。
 ここであれば、星の光を邪魔するものなど何もない。
 僕は理科の授業で配られた、「星の観察」と書かれたプリントをノートの上に置くと、夜空に浮かぶオリオン座の星を点々と描き、そしてそれを鉛筆で線を結んだ。

 だが厚手の手袋をしていたせいか、どうもうまく線を結ぶことが出来ない。
 手袋を脱いで素手を出していたが、冬の冷たさは僕のその柔らかな手の甲を突き刺し、熱を奪っていく。
 そのせいか、ブルブルと手が震えだし、少しばかり線がヨレてしまった。

 そのせいか、ぼくのプリントにはがたがたとなったオリオン座が不格好に出来上がる。
 残すはオリオン座の両腕となる星を結ぶだけなのだが、どうも指が氷漬けにされたように動かない。

「もーへたくそね」
「しょうがないじゃないか。外がこんなに冷たいだなんて思わなかったんだもん」
「手、貸して?」

 茜はそういうと、自分の手袋を脱ぎ、その両手で僕の冷たくなった両手を包んだ。
 そういえば茜の手を触ったのはいつぶりなろうか。
 幼馴染だというのに、彼女の手を触った記憶というのは僕に残っていなかった。

 茜の手は柔らかく、温かかった。
 その温かさが、僕の手を震えさせる氷のような冷たさをじんわりと溶かしていく。

「ね、これなら温かいでしょ?」
 茜はにっこりと笑った。

 その淡く透き通った青い瞳に引き込まれ、僕の中に火花を咲かせた。
 今日ほど、彼女の笑顔が可愛く見えたことはない。
 それほどまでに、僕はこの冬の日の記憶を鮮烈に覚えていた。

 君と僕だけの、ある日のオリオン座の記憶。
 僕がその日を思い出すたびに、耳元であの日聞こえたさざ波の音が響き渡っていた。

 ◆

「最近どうしたの?元気ないね」
「気にしないでくれ」

 僕は茜の心配にそっぽを向いた。
 茜は僕のそんな態度に呆れてしまったのか、何も言わず教室を後にしてしまった。
 17歳になったとある冬の日のことである。

 思春期特有の天邪鬼な僕は、どうも最近素直になれない。
 僕は君のことを好きでいるのに、もう昔のように気軽に話しかけたりすることが出来なくなってしまっていた。
 確かに恥ずかしいとか、緊張するとか、そういうものもあるかもしれない。

 だが、本当の原因はそれではない。
 放課後の教室には、誰もおらず、皆部活動に向かっていた。
 僕はその教室から窓の外を眺める。
 外では大きなサッカー場で、パスンパスンとシュートの練習をするサッカー部の姿があった。

「おー、茜!」
 練習した生徒の一人が、そこから抜け出し、サッカー場の外へと駆け出す。
 そこには、先ほどまでの僕に呆れた茜の顔はなく、どこか頬を赤く染め、恥じらう茜の姿があった。

 何やら楽し気に話す2人。
 目線を外したいはずなのに、僕はその2人に釘付けとなる。
 これは僕への罰だとわかっているのに、それが許せずにいるもう一人の僕がいる。

 僕は席を立つと、窓の鍵を閉めた。
 きっと素直に彼女の幸せを喜べる自分であれば、今の僕も少しは楽になるのかもしれない。
 僕はそんな自分の幻影を教室に置き去りにして、夕日が差し込む放課後の教室を後にした。

「今日は、ごめん」
 ため息交じりに、僕は茜にメッセージを送った。
 何がごめんなのかは自分でもはっきりしていない。
 でも、何もかも今は君に謝りたい気分であった。

 夕飯の食卓にはカレーが出されたが、食べても食べても味を感じない。
 僕は中途半端にカレーを残し、震えぬスマホを握りしめ、僕はまた2階へと戻った。

 真っ暗な部屋の中、僕はごろんとベッドの上に寝転がる。
 スマホの画面を表示すると、そこには1月27日と表示されていた。
 奇しくも、今日は僕が君に恋をしたオリオン座を観察した日であった。

 メッセージを送ってから1時間は経っている。
 恐る恐る僕はメッセージを開くと、既読のマークがついているだけで返信はなかった。
 ふいに、僕の瞳から涙が零れ落ちた。

 きっと、彼女は疲れて寝てしまったんだ。そう思えたらどれだけ気が楽だろうか。
 でもそう思えば思うほどに僕の胸は苦しくなる。

 きっと、もう彼女は僕の手の届かないところに行ってしまったんだ。
 僕は君があの日くれた、微かに残る手の温もりを抱きしめながら、深く眠りに落ちた。

 ◆

「あ、茜!」
「ん?」
「あのさ……」

 僕は彼女の前で、またも口を噤んでしまった。

「どうしたの?」
 彼女がそう聞くが、僕の口がうまく動いてくれない。

 すると、遠くからさざ波の音が聞こえた。
 そのさざ波の音と共鳴するように、彼女の輪郭が薄っすらと透けていく。
 僕は慌てて、君に手を伸ばした。

「待って!茜!僕は、君のことが―――」

 僕が言葉を言いかけた途端、ふいに眠りから覚めた。
 天上に手を伸ばしたまま、僕の頬は濡れていた。
 僕は上体を起こし、服の袖で涙を拭いた。

 時刻は4時であった。
 僕は、何を思い立ったのか、厚手のジャンパーを着こむと、家の外へと出た。

 とぼとぼと歩く道は静かであった。
 途中、自動販売機で温かな白いカフェオレ缶を買って、ポケットに忍ばせる。
 20分ほど歩いていると、遠くからさざ波の音が聞こえてきた。

 僕はその懐かしい音に惹かれ、そちらのほうへとぼとぼと歩いていく。
 潮の香りが漂い始め、僕の心を躍らせる。
 行きついた先は浜辺であった。
 僕は浜辺へと続く階段に腰を下ろし、そこで体育座りをした。

 ふと、夜空を見上げる。そこには、あの日と変わらずにいるオリオン座が佇んでいた。
 僕はそのオリオン座を指でなぞっていく。
 君が教えてくれた通り、ゆっくりと丁寧に。

 今でも、君が教えてくれたことはいっぱい覚えている。
 君が少女漫画が好きなこと、鈴カステラが好きなこと、金木犀の香りが好きなこと、冬の夜空が好きなこと。

 その全てを一つ一つ呟いていく度に、僕の瞳から涙が滴り、そして落ちていく。
 君のためなら、なんだって乗り越えて見せるし、どんな障害だって愛して見せる。
 だけども、それは僕の独りよがりな妄想であって、決して君には届かない。

 こんなにも僕の頭の中は君でいっぱいになってしまい、混沌とした闇となってしまっているのに、冬の空に佇むオリオン座は、透き通って柔らかな光を輝かせている。
 もうどれほどの時間、こうやって蹲っているのだろうか。
 気づけば、すっかりとポケットの中にあるカフェオレは冷めてしまっていた。

「これなら温かいでしょ?」
 冬の澄んだ空気に混じって、真っ白な君の声が聞こえた気がした。
 僕の冷たくなった手に、あの日の君の幻影が優しく触れた。
 僕はその幻影を優しく包み越し、両手を組んだ。

「神様、どうか、どうか少しだけ声を聞かせてください」

 オリオン座に祈りを込める。
 君の気持を聞かせてほしいだなんて神様にお祈りしたらズルいだろうか。
 あの日の星を結んだ線のように、僕は君と結ばれたいんだ。

 前を進む勇気をくれた。
 人を好きになる楽しさを教えてくれた。
 冬の空に瞬くオリオン座をなぞってくれた。

 そんな君が僕は大好きでたまらなかった。
 それでも近くにいる君と僕との距離は、手を伸ばしても届かない、星ほどまでの距離がある気がする。
 今にも僕の恋心はあの煌めくペテルギウスのように、はち切れてしまいそうなんだ。

 さざ波が僕の心を揺らす。
 地平線の向こうから赤い光が立ち昇り、漆黒の夜が「ばいばい」と僕に向かって手を振った。

「君ならできるさ」
 囁くように、神様のそんな声を僕にかけた気がした。
 オリオン座が消えていく様を僕はじっと見つめる。

「きっと、大丈夫」
 あの日抱いた恋心をぎゅっと握りしめ、僕は浜辺を後にした。

 おわり。

<歌詞>
あなたの指が その胸が その瞳が
眩しくて 少し 眩暈がする 夜もある

それは不意に落ちてきて あまりにも暖かくて
飲み込んだ 七色の星
弾ける火花みたいに ぎゅっと僕を困らせた
それでまた歩いてゆけること 教わったんだ

神様 どうか 声を聞かせて
ほんのちょっとでいいから
もう二度と 離れないように
あなたと二人 あの星座のように
結んで欲しくて

夢の中でさえ どうも上手じゃない心具合
気にしないでって嘆いたこと 泣いていたこと

解れた袖の糸引っぱって ふっと星座を作ってみたんだ
お互いの指を 星として
それは酷くでたらめで 僕ら笑いあえたんだ
そこにあなたがいてくれたなら それでいいんだ

今なら どんな 困難でさえも
愛して見せられるのに
あんまりに 柔くも澄んだ
夜明けの間 ただ眼を見ていた
淡い色の瞳だ

真白でいる 陶器みたいな
声をしていた 冬の匂いだ
心の中 静かに荒む
嵐を飼う 闇の途中で
落ちてきたんだ 僕の頭上に
煌めく星 泣きそうなくらいに
触れていたんだ

神様 どうか 声を聞かせて
ほんのちょっとでいいから
もう二度と 離れないように
あなたと二人 この星座のように
結んでほしくて

応援してくださるという方はサポートしていただければ大変嬉しいです!創作費用に充てさせていただきます!