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窓際席のアリス様 #32

 梅雨が明け、爽やかな風が頬を撫でる。
 ニイニイゼミが泣き始め、熱さの兆しを魅せるとともに、日本の初夏の訪れを告げていた。

「よ、悟。テストどうだったよ!」
 慎之介が悟の肩に腕を回す。

「散々だったよ……。慎之介は?」
「俺か?俺は…‥オール80点っていったところかな」

 悟はその言葉にため息をついた。
 慎之介はどちらかと言えば喧嘩っぱやく、不良のイメージがついているが、クラスに一人はいる「勉強していないのになぜかテストの点数は良い奴」の一人であった。

 テスト後の授業は午前中で終わってしまう。
 いつもであれば食堂に向かうが、悟と慎之介は下駄箱に向かい帰路につこうとしていた。

「ちょっとーおいてかないでよー」
 駆け足で恵と、彼女に手を握られる詩の姿が見えた。

「勝手にいなくなるから、先行っちまったかと思ったよ」
「行くわけないでしょ馬鹿」
「ははーん、馬鹿呼ばわりするということはテストの点数が俺よりもよかったのかな?」
「うぐ……」

 恵は苦虫を噛んだような表情を浮かべる。
 詩はそのいつもの様子に笑っていた。

 下駄箱から靴を取り出し、4人は揃って正門まで歩いていくと、玄関前に見慣れた人影がこちらに向けて手を振っている姿が見えた。

「梓―!」
 詩はそれが梓と分かるなり、歩調を早め、そして梓へと抱き着いた。
 その光景を下校していく他生徒が二度見をしていく。

 それもそのはずで、詩に双子の妹である梓の存在は知られていないためだ。
 詩はその美少女の容姿から、学校中で噂されるほどであるため、彼女と瓜二つの少女がいたとなれば驚くのも無理はない。

「おいおい、同じ姉妹とは思えない格好だな」
「うるさいわね、私はこういう格好が好きなのよ」

 慎之介と梓がバチバチと火花を散らす。
 詩が規律を守った清楚な制服姿に対して、梓は黒いレザーパンツにオーバーサイズの灰色のパーカーを着ており、いわゆるパンクファッションに近しい格好である。
 それは言われても仕方ないようねと一同は思い、そのちんけないがみ合いを静観していた。

「ほらほら、いつまでそんなことやってるの。他の人の邪魔でしょ?早く行きましょう」
 しびれを切らした恵が、梓と慎之介のいがみ合いを無視して、横を通り過ぎていく。
 その後を追うようにして、悟と詩はゆっくりとついていった。

「あ、おい、待て!」
 慎之介と梓は、置いていかれていることに気づき、悟たちの後を追った。

 梓を含めた5人は葉月駅のほうまで歩いていく。
 5人が向かう先は、葉月町の隣にある、久礼町の大型ショッピングモールである。

 久礼町は昔から県内でも有数の高級住宅地に数えられてきたが、その地価は近年になって大幅な上昇をしている。都市開発の目玉であった大型商業施設の誘致であり、それが実現した今、ショッピングモールの周りには家族向けの何十階建てというマンションがいくつか立ち並び、人口の流入が起こったことで流行りの飲食店なども開業し始めたことから、一気に町が街となり、活性化が進んでいた。

「おいおい、こんなすごかったっけかここ……」
 慎之介から思わずため息が漏れだした。

 悟もあまりの駅前の変わりように呆気に取られていた。
 それもそのはず、この都市開発は2年構想で推し進められていたため、勉強と部活で忙しかった悟と慎之介はそれを知りもしなかった。
 恵は喫茶店の競合となるため、情報は知っていたらしく、慣れた足取りでそのショッピングモールへと向かった。

「腹減ったし、どっか飯いこうぜ」
「わかってるわよ、今探してるの」
 恵と慎之介が案内板の前に立ち、どこで昼食を取ろうか吟味している。

「私、焼き肉がいい!」
 梓が恵と慎之介の間に割り込み、焼き肉店を指をさす。

「あー、いいんじゃない?悟と詩ちゃんは?」
「あ、あぁいいよ。俺もお腹すいてるし」
 悟は腹をさすり、詩は無言で頷いた。

「よっしゃー!行こうぜ!」
 慎之介と梓は張り切りながらずんずんと歩いていく。
 前を進んでいく荒くれた2人は、口喧嘩が多いがなんだかんだでどこか雰囲気が似ている。

 以前テレビで、コミュニケーションにおいてIQが20離れていると、お互いのコミュニケーションがとりづらくなると聞いたことがあるが、「あぁ、そういうことなんだな」とその2人を遠くから眺めながら腑に落ちていた。

 5人は駄弁りながらエスカレーターへと乗り、5階フロアにあるレストラン街へと到着する。
 平日ということもあり、ランチタイムでありながらも、5階フロアには高齢者や主婦たちがまばらに行きかっているだけで、さほど混雑は見られない。

 お店の価格帯でいえば、高校生が食べにくる場所でもないために、悟は少し緊張気味であった。
 だがそんなことに構うことなく焼き肉屋へと入店し、席に座った。

 メニューを広げると、そこには通常メニューとランチメニューのほかに、食べ放題のメニューが存在した。
 悟が子供の頃に来た焼き肉屋には、食べ放題なんてものは存在しなかったために、少しだけ彼は驚きを覚えた。

 高校生の胃袋というのは、満腹であっても1時間後には腹が減るという驚異の吸収性を持っている。特に食いしん坊な慎之介と梓は、真っ先に「食べ放題食おうぜ」なんて言い出すものだから、結局それに倣い、2時間制の食べ放題を注文した。

 次々と運ばれる肉をすぐさま銀色の金網に乗せていき、焼けた肉とご飯片手に、食事を始める。

「私、こういうの初めてで……少し嬉しいです」
 悟の右隣に座る詩が、恥ずかしい表情を浮かべながら笑った。

「そうだねー、私も初めてかも」
 左隣に座る梓も、ぽつりと呟いた。

 悟にとって、"誰かが側にいる"というのは当たり前のことであった。
 幼いころから父と母がいて、幼馴染に慎之介と恵がいて、そして仲良くしてくれる大人たちがいた。

 自分が不幸な目にあっている時、必ず側に慎之介と恵がいて、さらに守ってくれる親がいた。
 今まで自分が不幸とばかり悟は思っていたが、詩と梓が思わず口にした言葉に、自分の小ささを恥じた。

 何不自由なく、それがさも当然のものであるかのように享受されてきた悟にとって、その恥は心を大きく揺さぶるものであり、そして彼を一歩前進させるものでもあった。

 以前、悟は詩の過去を梓から少しばかり聞いたことがあった。
 詩は幼き日の事故の後遺症により、指が思うように動かなくなってしまったらしいのだが、それはあくまでもプロのピアニストとして支障があるだけで、日常生活においてはなんら支障はなかったのだという。だが、彼女の母はそれを大事だと捉え、彼女の将来を潰した責任をあろうことか全て梓へと擦り付けた。実際に詩は幼少時からピアニストとしての才能があり、彼女もまたピアノを愛していたことから、過度に詩に入れ込んでしまい、挙句の果てにそれが家族の亀裂へと繋がってしまった。

「最低よね」と梓は言っていたが、その言葉の後に、「恨んではいないけどね」と付け加えた。
「どうして?」と悟が尋ねると、「親も最低だったけど、結局私にも原因があるわけだし、全部が全部理不尽ってわけじゃないの。お姉ちゃんの将来の夢はピアニストだったわけだし、才能のない私がそれを潰してしまったわけだから、ある意味での報いだと思って受け入れているよ。だけどあんなひ弱だったお姉ちゃんが自分からストリートピアノがやりたいって言って、前に進んでいるんだから、結果的に良かったのかなって。あのままじゃ、親の操り人形のままだったもの。私の報いもこれで終わったわけだし、私もやりたいこと見つかったしさ」と彼女は答えた。

 悟もこの会話の中で、梓のやりたいことについて気にはなったが、「それはひみつ」と彼女にいなされてしまった。
 悟は焼き肉を食べながら笑うみんなの顔を見渡した。

 詩と話し始めてたった2ヶ月だというのに、そこで起こった出来事が、人生の転機を凝縮したような時間だったなと悟は思い返す。まさか隣で焼き肉を食べてる姿が見れるなんてと、少しだけ彼女を見て微笑んでいた。

「何ひとりで笑ってるの、悟」
「あ、いや、べつに」
「ははーん。詩に見惚れてたんじゃないの?」

 梓はにやにやと笑うが、その手は悟の上に重ねられていた。
 そして彼女は、耳元で「私だっているのよ」と優しく囁き、思わず悟は動揺し、むせながら口を押えた。

「だ、大丈夫ですか!悟さん!」
 詩が心配し、悟の背中をさする。
 悟は落ち着いたところで、お茶を一気に飲み干した。

「だ、大丈夫だよ。ありがとう」
「梓にからかわれたんですか」
「あ、いや、そんなんじゃないけど、まぁ……」

 悟が梓のほうを向くと、彼女はただにやにやとしているだけであった。
 そんな3人を慎之介と恵を微笑ましく見守っていた。

「なぁ、恵」
「なによ慎之介」

「少し寂しくないか?」
「まぁ……そうね。でも、悟が初めて踏み出した一歩だもの。そのきっかけが私たちじゃなかったのは悔しいけど、これでよかったんじゃないの。あんな笑顔見たことないわよ」

「あぁ、そうだな。またライバルが増えちまって大丈夫なのか?」
「大丈夫なわけないでしょ。私も頑張るし。慎之介こそいいの?女の子から結構誘われてんじゃないの?」

「誘われてるけど興味ないよ。知ってだろ?」
「それもそっか」

 慎之介と恵は、顔を見合わせ、そして笑いあった。
 その笑い声に、悟と詩と梓の動きが止まる。

「どうしたの?」
 悟が慎之介と恵に問いかける。

「どうもしてねぇーよ」
 その言葉に、また慎之介と恵は笑った。

「何隠してんだよー」と悟は問い詰めようとするが、笑ったままのらりくらりとかわされ、挙句の果てに恵が悟の口に焼き肉を詰めこんだ。
 騒がしさが時間を忘れさせ、気づけばあっという間に2時間が過ぎていった。

(つづく)

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