静 霧一 『絶叫、反芻、迷々』
「この分からずや!あんたなんて大っ嫌い!!」
放課後の教室に、絶叫が木霊する。
私はあなたからもらった映画のチケットを目の前で破り捨てた。
そのチケットは一目見ただけで、話題の恋愛映画だということが分かった。
私だって、本当はこの映画を見に行きたかった。
見に行きたかったさ。
でも、私の心はそれを良しとはしなかった。
「そっか、わかった。ごめんね」
彼はそれだけを言い残し、しょんぼりと背中を丸め、とぼとぼと帰っていった。
「なんで言い返さないのよ―――」
私はぽつりと彼の情けない背中に、寂しく呟いた。
◆
桜の花弁が散り終え、青々とした葉が芽吹き始める季節。
事は、つい5日ほど前の、よく晴れた日の土曜日のことであった。
私は駅前にあるカフェで、同級生である真美とパフェとつついていた。
混雑しているにも関わらず、幸運にも窓際のテーブル席に案内され、私のテンションは少し上がっていた。
いつも見ている駅前の景色も、カフェの窓から見れば特別なものだ。
「そんな面白い?」
真美が私に怪訝そうな顔を向け聞いた。
きっと、意識半分で話を聞き流していたことがバレたのだろう。
「うーん、面白いというか、なんか良くない?」
私は、窓越しの景色の感動を言語化することが出来ず、「良い」という言葉で彼女に伝えたが、それはかなりの無理があったようで、彼女はますます怪訝そうな顔をした。
「そういえばさ、駿くんとどうなの?」
真美はアイスカフェオレをストローで吸いながら尋ねた。
「うーん、まぁまぁかなぁ」
私は感情をぼやかす。
「まぁまぁってなによ」
真美はさらに問い詰める。
「まぁまぁはまぁまぁだよ。落ち着いてるっていうか、いい意味で安心してるんだけど、なんか物足りないんだよね。優しすぎるっていうかさ」
「あーわかる。なんか優しさが滲み出てるよね。優しいのは嬉しいんだけど……もっとこう自己中になって!って時あるよね」
「そう!そうなの!私のために頑張ってくれるのは嬉しいし、なんか愛されてるなって思うんだけど……もうちょっと振り回されてみたいかなって思ってるんだけど、これってわがまま?」
「贅沢だよ、贅沢」
私は真美の言葉に笑いが吹きこぼれた。
それにつられ、真美も笑いだした。
あぁ、確かにこれ以上の幸せを求めるなんて、きっと贅沢なんだろうなと私はこの瞬間に強く感じていた。
だが、私は不幸にもちらりと窓の外を見てしまった。
そして、一瞬にして硬直した。
「駿―――」
駅前で駿と見知らぬ女が待ち合わせている姿が見えてしまったのだ。
それに、2人はそのままタクシーに乗ってどこかへと言ってしまった。
私は声も出せず、額には冷や汗が流れる。
窓ガラスを挟んだ景色の向こう側で、私の心が崩れていく音がした。
◆
私は夕暮れに沈む街の中を、自転車を押しながら帰っていた。
イヤホンの音はいつもよりも大きく、周りの音を遮断している。
鼓膜が破れるほどの音楽が、今にも割れて粉々になりそうな私の心の接着剤の代わりの役目を果たしている。
それほどまでに私は弱り切っていた。
私は確かにこの口で愛されるだけではつまらないと言った。
駿は見た目も悪くないし、私のわがままだって聞いてくれる。
あんな優しい男、滅多にいるものじゃないって私だってよく分かっている。
だけど人間って本当に図々しいもので、いざそれが手に入ってしまえば、もっと欲しいと欲張ってしまう。
それで満足すればいいものを、なんと罪深い馬鹿な生き物なのだろうか。
私はそんな前科者の口にガムを放り込み、くちゃくちゃと噛み潰した。
ため息が口から漏れるが、その戒めの音でさえも、今は爆音によって掻き消えている。
悲しみの意識は、私の体を自然と誘導させて、気づけば川に架かる桁橋の上の真ん中に立っていた。
半分ほど沈んだ夕日の光が河川上に反射し、まるで太陽から溢れ出た火花のようにきらきらと輝いている。
こんなにも美しい景色を、あんな辛辣な言葉さえ吐かなければ2人で眺めているはずだった。
つくづく、私は感情に振り回される羊のようだ。
私はイヤホンを外し、大きく息を吸う。
「ばかやろう!!!」
橋の上から、私は夕日に向かってこれでもかと絶叫した。
本当にばかやろうだ。
私も駿も、真美も、全部、全部。
絶叫した言葉は、私の頭の中でいつまでも反響し続けていた。
◆
駿があの日一緒にいたのは、幼馴染であった。
それも、幼馴染のお母さんの命日だったようで、一緒にお墓参りをするために一緒にいたのだという。
彼が何度も弁明をしていたが、私はそれを感情任せに嘘だと決めつけていた。
だが、冷静になって考えてみれば、彼が嘘をついてまで私と居たいと思う理由が見つからない。
飛びぬけた可愛さを持つわけでもなく、人よりも優れた頭というわけでもなく、背丈だってそこら辺にいる女の子と変わらない。
内面だって、聖人や僧侶のように美しくないもんだから、嫉妬だって怒りだってわがままだって恥ずかしいくらいに持ち合わせている。
そんな私に、駿のような優しい男がいつまでも一緒にいたいと思うだろうか。
私は真っ暗な部屋で独り、小さな携帯画面とにらめっこをしながら布団に蹲っていた。
「ごめん」
私は一言、素っ気なく言葉を打ち込み送信した。
きっと心の奥底で「私が謝ればきっと彼も許してくれる」なんて甘えがあったのだと、今となっては後悔している。
きちんと面と向かって言えばよかった。
思い返せば、「ありがとう」だったり「ごめん」だったり、言わなければならないことを遠回しに避けていた気がする。
そっちのほうが効率的だし便利だし手軽だし。
慣れというのは怖いもので、こういう局面においても文字に頼ってしまっている。
本当に私は弱い。
既読されることを何度も何度も確認する。
ついてないことにため息をつき、落胆し、そして怒り悶えた。
1時間経ったころだろうか。
ついに既読がついたが、一向に返信が表示されない。
こんなことになるのなら謝らなければよかった。
ついそんなことを考えてしまっていた自分に、私は一層嫌気を覚えた。
だが、駿の最後の祈りのようなチケットを破り捨てた私に、彼を責める資格など何処にもない。
行き場を失った感情が、味のないガムのような不快感となって、口の中で混じりあう。
生暖かくなる布団の内側と、氷のように凍っていく心の外側。
真夜中は、まだ永いようだ。
おわり。
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