窓際席のアリス様 #38
「夏祭りまであと3日か……」
慌ただしい平日の仕事が終わり、一人部屋の中で恵は溜息をついた。
夏祭りに映る花火のポスターが、彼女に幼き日のときめきを思い出させる。
あの頃はただ、何も考えずに、きっとこの輝く日々が一生続くものだと思っていたが、それが唐突に終わりを迎えたことに、恵は頭を項垂れた。
悩んでても仕方ないというのは分かっているのに、恵の頭の中では、恋の異分子が駆け回り、それが記憶を無理やり引っ張り出しては、「この時勇気を出してればよかったんだ」とけたけたと笑っていた。
ふと自分の机を見渡す。
活字がびっしりと詰まった古臭い日本の文学小説がいくつか並んでおり、机の上には学校のノートと教科書が置かれ、端っこ黒い線と数字で書かれたシンプルなカレンダーが影を隠すように置かれている。
部屋を見渡せば、ベッドとクローゼット、そして小さな本棚が置かれているだけであった。
何も汚された後のない真っ白な壁が背景となり、その部屋の無機質さを表していた。
「もうちょっと女の子らしくしたほうがいいのかな……」
恵は深く溜息を漏らした。
彼女は幼馴染が男2人と着かず離れずの関係であったために、その2人の前では色気づくことなどなかった。
もともと気の強い性格ではあったが、それに拍車をかけたのは慎之介である。
お互い気の強い者同士、口喧嘩をしていて、それが日常となりかけた中学生の頃には、女の子同士の馴れ合い会話が鬱陶しく感じるようになり、結局、悟と慎之介と行動を共にしていた。
女の子というのは難しい生き物である。
共感できようもないものに共感し、煽てたくもないものに太鼓を持ち、興味がないものに興奮を強いられ、好きでもないものを嫌いと言えないような空気を吸わなければならない。
おまけに口を開けば「女の子らしく」という言葉が蔓延り、恵はそれが反吐が出るほど嫌いでたまらなかった。
そんな強気な態度を取っていたおかげか、友達はいなかったものの、転校生であった北条香奈にはなぜか懐かれていた。
北条香奈は、まだ恵が中学2年生の頃に東北から転校してきた田舎っ子であった。生まれも育ちも地方であったことから、話す言葉に強い訛りが入っており、その容姿もイモ臭さが残っていたことからクラス中でからかわれていた。
そんな様子に呆れた恵は、からかっていた教室の中の女子リーダーを口喧嘩の末泣かし、それ以来、手出ししてこなくなったことからが、北条香奈との始まりであった。
当時、北条香奈は恵に羨望の眼差しを向けていた。
だが、恵はそれを鬱陶しく思い、彼女と関わることを遠ざけていた。
恵は決して北条香奈を嫌いであったわけではない。
恵はただ人として当然の行動をしたまでであって、羨望を受けるほどの人ではないと、彼女自身が思い込んでいたのだ。
それに、羨望を向けていたのは恵も同じであった。
北条香奈は、自分がイモ臭く、訛りが強いことをを自覚し、それを一生懸命に矯正して、恵と同じ立ち位置にいたいという思いだけで、成長していった。
中学を卒業するころには、もはや転校してきたばかりのイモ臭さなど微塵も残っておらず、彼女はグループのリーダーにまで登りつめていた。
当の恵は、気の強い性格が少しだけ収まったぐらいで、相変わらず悟と慎之介とつるんでいた。
それでも多感な中学生である。
悟や慎之介のような男の子とは違い、恵は彼らよりも早く、精神が成熟していた。
そのおかげか、恵が抱く友情の中に、ほんの少しだけ、恋心が混じっていることに彼女は気付いた。
それが気づいたのは、慎之介からのある告白であった。
もう半年も前のことだろうか。
高校受験も終わり、忙しかった中学生生活が終わろうとしていた2月、慎之介が恵に「2人きりで会おう」と言われた。
同じ高校の進学が決まっていた慎之介が今更なんの用事だろうと疑問を持ち、もしかしたら告白なのかもしれないという期待を持ちながら、恵は駅近くのファミレスで慎之介と会った。
そこで告げられたのは、「俺は悟が好きだ」という予想だにしない言葉であった。
その瞬間、あまりにも驚きすぎて、握っていたパフェスプーンを落としてしまったほどである。
彼女も最初はなかなか理解が追い付かなかった。
だが、そんな幼馴染の告白が、恵に衝撃をもたらしたおかげか、彼女自身が目を背けていたことに向き合うきっかけともなった。
悟を守ってあげたいと思うのは大切な友達だからだと恵は思い続けていた。
強がってばかりの恵も、時折、我慢できずに涙を堪えることがあったが、必ず背中をさすってくれたのは悟であった。
昔から、悟は優しかった。
恵がどんな態度を取ろうと、彼女からでた不器用な言葉を抱きしめてくれた。
その優しさが、いつの間にか恵の支えとなっており、「あぁ、私は悟が好きなんだ」という気持ちを芽生えさせた。
そしてその芽が大きくなっていくにつれ、次第に慎之介の恋する悩みというものを汲み取れるようになってきたのだ。
恵はプリクラの画像をスマホで表示した。
5人が変顔で撮られている中で、ふと詩の顔が目に映った。
白い肌に、華奢な体、大きい瞳に、守ってあげたくなるような可愛さまでも詩は持ち合わせている。
男が思い描く理想の女の子というのはこういうものなのだろうか。
もしそうなのであれば、恵は理想の女の子ではないのかもしれない。
またも、恵の口からため息が漏れだした。
考え事をし続けたせいか、恵のお腹がふいに空腹だと声を上げる。
気づけば、時刻は夜も更けた23時であった。
台所にあるお菓子を取り、恵は自室を出る。
暗がりの通路を進んでいくと、扉が閉まったリビングから光が漏れているのに気付いた。
恵はガチャリとその扉のドアノブを回すと、そこには彼女の母がパソコンとにらめっこをしていた。
「どうしたの?こんな遅くに」
「ん?恵まだ起きてたの?」
「うん。寝付けなくて」
「そっか。それよりも、ほらこれ見てよ」
そういって彼女の母は興奮交じりに声を上げ、パソコンの画面を指さす。
恵が母のパソコンをのぞき込むと、そこには、梓が提案した新作メニューのパフェの画像が、勢いよく拡散されている様子が映し出されていた。
「これ、バズってるっていうの?」
「うん……まぁ、それに近しいのかも」
「すごいね、インターネットって。あっという間に広がっちゃうんだね。なんか広告とか出してるのが馬鹿みたいだわ」
母はため息をつき、そして微笑んだ。
「こういうの、梓得意だからね。本当、呆れちゃうくらい頭いいんだよ本当。私もその才能、ちょっとぐらいほしいよ」
「まぁ、こればっかりはね。しょうがないよ。恵だって一生懸命勉強してるんだから、きっと大丈夫よ」
「そういうもんかなぁ」
「そういうもんよ」
母の笑顔につられ、恵の口からも笑みがこぼれた。
「そういえば、今年も夏祭りはいくの?」
「うん、行くよ」
恵は頷いた。
「浴衣、どうする?」
母が頬杖をつきながら、恵に問いかけた。
この質問は毎年、夏祭りが近づき度に、恵へと投げかけられるものであった。
まだ恵が小学生だった頃は、張り切って浴衣も来ていたが、物心のついた中学生となってからは浴衣を着ることはなかった。
服装は決まって肌色のチノパンに白いTシャツという、ラフな格好であった。
「可愛らしい」と言われることが皮肉にしか聞こえなかった当時の恵は、断固として浴衣を着るをしなかった。
「もう聞かないでよ」と恵は母に何度も声を上げたが、それでも彼女の母はそんなことを気にすることなく、恵へと尋ね続けた。
「……着る」
恵は、母から顔を逸らしながら小さく答えた。
浴衣を着た自分の姿を想像すると、少しだけむず痒い。
それでも恵の中にある、好きな人に「可愛い」と言われたいと思う恋心がその痒さをそっと抑え込んだ。
「そっか。じゃあ、ちゃんと準備してあげなきゃね」
母はにっこりと笑った。
恵は、母に聞こえないように「ばか」と呟く。
彼女の表情は、照れを隠すように微笑んでいた。
つづく。
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