窓際席のアリス様 #12
無法区は以前まで立ち入る人が少なかったが、SNSの発達により、地図でしかわからなかった内情が事細かに画像としてわかるようになっている。
悟はその中の「HOTEL VISIO」へとまっすぐに向かった。
その途中、裏路地で餌を食らう野良猫や、道端で焼酎片手に寝転ぶ浮浪者、黒スーツのキャッチが視界に入ってきたが、とにかく気にしないようにと早歩きで歩いた。
すると遠くに雑居ビルに挟まれ、綺麗目なホテルの建物が見え、「あそこだな」と確認すると、ちょうど入り口のところに二つの影が何やら話し合いながらもみ合う姿が見えた。
それは見間違うことのない金色の髪をした、詩と瓜二つの容貌をした梓だった。
小松が言って言った通りくたびれたスーツを着た恰幅の良いサラリーマンが、力ずくでホテルに誘い込もうとしている。
(梓……!)
悟は全力で駆けだす。
「梓!!」
大声で梓へと叫ぶと、その声にサラリーマンと梓はもみ合いをやめ、悟のほうを振り向いた。
「何事だ」とサラリーマンが気を取られているうちに、その隙を見て、梓は掴まれた袖を両手を使って振りほどく。
勢いのまま梓の元へと突っ込み、悟は彼女の手を掴み取る。
「おい!」
男が叫ぶが、そんなことは気にも留めず、悟はその場から彼女を連れ去った。
来た道を振り向くことなく一目散に駆けていく。
たいした距離でなかったはずなのに、一歩先が遥か遠くに感じる。
早く抜けてくれと悟はとにかく走りながら祈り続けた。
「ちょ、ちょっと……まって……」
その声に、ハッと悟は意識を引き戻された。
気付けば息が上がり、胸を激しく上下させて、苦しそうに胸を抑えている。
「あ、あぁ、ごめん……」
気付けば周りは賑やかな繁華街へと来ており、無法区の影はすでに後かともなく消えていた。
ここにいても埒があかないと、周りを見渡すとコンビニと併設されたビルの2階に24時間営業のファミレスを見つけ、2人はそこへ入店した。
テーブルに着席するが、お互い何を話せばよいかわからず沈黙する。
「「あの……!」」
5分ほど黙り込んだところで、お互いしびれを切らして口を開いた。
「あ、ごめん……」と悟は呟き、口が後ずさる。
「ありがとう、助けてくれて。それとこの間はごめん」
梓がゆっくりと口を開いた。
その声は詩とそっくりではあったが、どこか詩とは違う影をまとった寂しさのようなものが混じっていた。
「大丈夫だよ!大した怪我してなかったし、俺の頭頑丈だしさ!」
「本当に―――」
梓がそう言いかけた途端、同じタイミングぐーという空腹がお互いに鳴った。
距離を掴めずに緊張していた2人にとって、この空腹の鳴き声がいい緩和剤になったのか、クスリと笑いを誘い、「何か食べようか」とメニュー表を見た。
時刻は22時近くを回っていた。
ピンポンと注文別を鳴らし、悟はハンバーグセットを、梓はパフェを頼み、それにドリンクバーを2つ注文した。
悟はメロンソーダを持って来て、それを一口喉の奥へと流し込んだ。
ようやく一息が付いたようで、肩の強張りが取れたおかげか、疲れがどっと押し寄せてきた。
「自己紹介してなかったね。僕は遠野 悟っていうんだ。詩さんとは……多分友達だと思う」
「友達って何よ。おねえちゃんが気許しているなら多分友達だよ」
「そうなの?」
「本当、鈍感そうな顔だとは思ったけど、そのとおりね。おねえちゃん、物静かで引っ込み思案だから男の子で喋れる人なんて誰一人いないのよ?少しは察しなさいよ」
「はい……」
悟はしゅんと肩を落とすが、なぜ自分が説教をされているのかを不思議に思った。
助けたはずなのになぜ?そればかりが頭の中を駆け巡った。
そうこうしているうちにハンバーグセットとパフェが届き、行き先のない会話を一度放り投げ、2人は無心になって目の前の食事にありつき始めた。
「そういえばさ、あれから有栖川さん―――詩さんとは仲直りできてるの?」
「出来てるわけないじゃない」
「でも家で一緒になるんじゃ―――」
「私、ほとんど家帰ってないもん」
「―――え?」
悟は耳を疑った。平和に生きてきた彼にとって「家に帰らない」という概念は到底受け入れられるものでもないし、そんなことが本当に実在するとすら考えてはいなかった。
両親とケンカして家出ということなら何度かしたこともあるが、家意外に安心して夜を眠れる場所などあるはずもなく、結局彼は無言のまま帰宅するというみじめな苦い経験をしている。
だが、梓のいう家に帰らないというのは、一度や二度の家出なんかではなく、長期間にわたってという枕詞が存在している。
「たまにね、家に荷物取りに行くとかそんな程度で立ち寄るけど、ほとんどネカフェで過ごしてるよ。ここら辺のネカフェって年齢確認とか緩いからさ、案外泊まれちゃうんだよね」
「親は……心配しないの?」
「するわけないじゃん。親なんてろくなもんじゃないよ。詩ばっかりひいきにしてさ」
梓のパフェを食べるスプーンが止まる。その指先には行き場をなくした寂しさが籠り、かたかたと震えている。
やはり詩から聞いたあの時の過去の事故が、まだ尾を引いているのだろうか。そうであるのなら、かなり溝の深い問題なんだなと悟は感じたが、如何せん人の家庭状況に土足で足を突っ込む勇気など持ち合わせてはいなかった。だが、何かをしてあげたいという気概だけは中途半端に持ち合わせている。
悟の母は「片足を突っ込んだのだから責任取りなさいよ」と言ってはいたが、果たして自分にどこまでのことが出来るのだろうかと悩んだ。
ハンバーグはすでに食べ終え、空になったプレートだけが取り残されている。
時刻も22時45分を回っており、彼女とここに居れる時間も残り15分となっていた。
時間が悟の思考を切迫させる。もはや安直な選択肢など考える暇などなかった。
「梓さん」
「なに?」
「今夜はどうするの?」
「わからない。財布の中身、スロットですっちゃったから」
「それならさーーー」
悟はごくりと唾を飲んだ。彼は女の子に対してこんなにも緊張したことなどなかったからだ。
言葉の棘が喉元に引っかかるが、彼は力づくでそれを引っ張り出した。
「今夜―――うち泊まらない?」
悟の手のひらにひんやりとした嫌な汗が滲みだした。
梓は呆気に取られた顔を浮かべていたが、少しだけ安堵したように顔の緊張が取れたようにも思えた。
(つづく)
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