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半導体のカーテン、コンピューティングパワーの天井 技術、経済、地政学から現在の論点をみる

半導体の話題が喧(かまびす)しい。生成AIをめぐる話題も相変わらず賑やかではあるが、それ以上に半導体に注目が集まっている。それは半導体が生成AIのみならず、多くの論点の根幹にあるものであり、現代社会の課題を浮き彫りにし将来の世界の問題を予言するものだからだ。

「産業の米」と「新たな原油」をめぐる論点

かつて半導体は日本において「産業の米」と言われ、アメリカにおいては「新たな原油」と呼ばれた。それだけ重要な物資、戦略的な資源であるという意味だ。そして、その意味は現在も変わることがないどころか、ますます重要性を増し戦略的な意味を深めている。
この数年、なかでも今年に入って一斉に刊行された半導体関連の書籍を読み進めていけば、その論点は大きく次の3つに分類できる。

①    技術
②    経済
③    地政学

①の技術はいうまでもないだろう。これまでにもここでの記事で再三にわたってふれてきたように、ムーアの法則どおり半導体の進化はそのままIT、AIの進化に直結している。
半導体の集積回路(IC)の集積度があがるごとに半導体の性能は一気に進化する。この集積度の向上にともなって指数関数的に半導体の性能は爆発的に進化してきた。ゴードン・ムーアがこの法則を唱えてからすでに半世紀以上を経ても揺るがずに半導体は進化を続けている。
その集積度が10億分の1メートルというナノメートル単位の領域に踏み込んだのは1990年代のことだ。そこからもすでに四半世紀を経て、180ナノメートル(0.18ミクロン)だった線幅はすでに3ナノメートルに達している。3ナノチップはiPhone15搭載されており。最先端の技術競争は2ナノメートルの域で行われている。
線幅とはトランジスタ内で電流のオン・オフを制御するゲート電極の幅のことで、この幅が小さくなるほど計算の速度があがり消費電力も下がる。半導体の性能を示す重要な指標である。
ちょっと考えれば当然のことではあるが、半導体というハードウェアの限界はそのままソフトウェアの限界である。半導体の限界とはつまりコンピューティングパワー(計算力)の限界であるからだ。
例を出しておけば、第3次AIブームが起こる契機となったディープラーニングは2000年代後半に実現したものだが、そのコンセプト自体は1980年代の終わりごろには発表されていた。ディープラーニングを実現するにはそれだけのコンピューティングパワーが必要だったということだ。

製造プロセスから技術的なポイントを探る

半導体はその用途からみても、コンピュータ、スマートフォンはもちろんゲーム機、家電といったどこの家庭にも見られる製品にも搭載され、社会インフラとしても交通、通信、医療、各種製造には欠かせず、AIやドローンといった先端技術の根幹そのものだ。こうしてみれば現代社会はもはや半導体が無関係なものを探すほうが難しいほどで、用途の多様性はますますひろがる一方であろう。わたしたちの生活、そして社会は半導体によって担われ大きな変化を遂げているのだ。半導体の進化が次の日常を生みだしていくといっていい。
半導体を精密部品としてだけみても、CPU(MPU)、GPU、ロジックチップ、メモリーチップ、センサー、マイコン、パワー半導体など、大別できるだけでも数種以上に分類される。
これが半導体開発の技術となると、工程ごと部材・部品ごとに細分化され、それぞれに技術革新を繰り返し一朝一夕ではとても獲得できないところにまで進化しており、安易な概説は退けられてしまう。
半導体の製造プロセスにおける工程数は実に400〜600あるとされている。ここまで言っておいてなんとも無謀なことだが、半導体の製造プロセスの概要を少しおさえておこう。
半導体の通販サイト運営会社であるチップワンストップの創業者・高乗正行氏の『ビジネス教養としての半導体』(幻冬舎MC)をもとに、日本半導体製造装置協会(SEAJ)のサイトを参考にする。
半導体の製造プロセスはふつう3つに大別される。
半導体の回路やレイアウト(パターン)の設計と、それらを転写して成形するためのフォトマスクを作成する「設計工程」が最初にある。
次に「前工程」といわれるのは、純度99.999999999%(イレブンナインと呼ぶ)のシリコンインゴットの生成から始まる。このインゴットを薄く切断しウェハーを作成して研磨する。その後、表面を酸化し絶縁体や金属などの薄膜を形成したところにフォトレジストを塗布。フォトマスク越しに紫外線で露光して回路パターンを転写(リソグラフィ)する。そのうえで酸化膜、薄膜をエッチングし、フォトレジストを洗浄する。そこにイオン注入を行い電極形成し、表面を研磨して平坦化する。最終的に、ウェハー検査で品質を確認する。フォトレジスト以降の工程は何度か繰り返され、写真などでよく見る複数のチップが並ぶ円盤(ウェハー)の状態になる。
半導体の集積度が増すほど「前工程」のそれぞれの段階で非常に高い技術力が問われる。よって、企業力ひいては国力が現れる部分が比較的に多いのもこの工程といえるだろう。
さて、半導体製造プロセスの「後工程」ではダイシングによりウェハーを個々のチップ(ダイ)に切断する。つづいてリードフレームといわれる金属枠にチップを設置して接続するワイヤーボンディングを行い、樹脂でパッケージする。これで黒い四角チップにムカデ状の端子を生やす、これまたよく見る半導体チップの姿になる。
これで完成ではなく、温度と電圧の負荷をかけ初期不良を除去するバーンイン試験を経て、最終的に製品検査・信頼性試験を終えてようやっと製品が完成する。
この製造プロセスの工程ごとで複数の企業が鎬を削っているが、1企業がほとんど独占している工程もある。その独占のために②経済、③地政学の点から注目されることとなる。
最初に述べたように、半導体の限界はそのままAIなどの最新のソフトウェアの限界に直結する。その限界は現代において、社会変化の限界ともなる。それだけに新しい素材、新しい装置といった先端技術が半導体の限界を突破したとき、世界の様相は大きく変えてしまうのだ。

景気を占う半導体企業

②の経済こそ、いま現在の半導体の話題の中心になっているものだ。
グローバルに細分化されたサプライチェーン、ファブレスとファウンドリー、工程ごと、製造装置ごと、素材ごとの市場シェア、国ごとの支援額の多寡、企業ごとの投資競争……。
それぞれの論点にメインプレイヤーがおりキーパーソンがいる。
半導体の話題に一般的に注目を浴びさせるきっかけとなったのは、ChatGPT-3.5公開以降に株価が急騰したNVIDIAだろう。それこそ飲み屋で酔っ払いが「NVIDIAの株が欲しい」などと放言するのを耳にするぐらいだ。バブルの頃に民営化したNTT株について、同じような戯言を聞いた記憶がある。
NVIDIA株の好調に引っ張られたのか、関連の株も軒並み上昇した。一部ではGPUバブルと囁かれるほどだ。好調な決算にもかかわらず株価を下げた局面ではそういうふうにも見られたが、数日して株価はもとの高値水準に戻している。
とはいえ、ふだんは半導体に興味もない人たちでさえ「NVIDIA」と口にするようになるのはどこかアメリカ第35代大統領のジョン・F・ケネディの父であるジョセフ・P・ケネディの逸話を思い出させるものがある。ジョセフはウォール街で働き株式投資で財を成して政界に進出したことで有名だが、あるとき、ウォール街で靴磨きの少年が靴をみがきながら「いま株を買えば大儲けができる」と話すのを聞いて、保有していた株を売却した。
こんな子どもまで株価が上がると言うのは相場が行き着くところまで行き着いたということだと判断したのだ。事実、その直後1929年10月の世界恐慌が起きて株価は暴落する。
飲み屋の酔っ払いをウォール街の靴磨き少年と同じにみるのはいささか間違いなようだが、GPU関連株の株価はもしかすると行き着くところまで行っているのかもしれない。
前回紹介した「週刊ダイヤモンド」や「週刊 東洋経済」、「週刊 エコノミスト」の半導体特集にはすべて「注目の半導体関連銘柄!」といった記事が入っている。
技術のところで解説したように、半導体の製造プロセスは非常に細分化されており、それぞれに特殊な技術が問われる。ということは、それだけ個性的な企業が国内外に数多くあるというわけだ。日本に関しては市場シェアを独占しうるような企業は限られるのだが、どの分野にもシェアを確保している企業がいる。
半導体関連銘柄企業のどれかがちょっとしたイノベーションを起こしてシェアを伸ばせば、時流にのって株価を急伸させる可能性は高い。投資家ならずとも気になるのは当然だろう。生成AIブームによってもっとも時価総額を上げたのが、ChatGPTを開発したOpenAIでもなく出資していたマイクロソフトでもなく、NVIDIAだったという事例は、ゴールドラッシュでいちばん儲けたのはツルハシを売る商人だったという話を思い出させ、わたしたちは現代のツルハシを探したのだ。ひとつにはそれはGPUだったわけだが、それ以外にもツルハシとなるものがある。みながそれを探しているのだ。
経済の面で、もっと重要なのは前回の記事でも長々と触れた日本経済の復活の最重要ポイントが半導体にあることだ。
電子立国の夢が敗れ早数十年、NVIDIA、AMD、Intelといったアメリカ企業、サムスン、SKハイニックスという韓国企業、ひときわ注目を集める台湾のTSMC、EUVといわれる微細な紫外線を操る露光装置のシェアを一手に握るオランダのASMLなどなどに囲まれ、日本企業のポジションは決して高くない。
とはいっても、国ごとに代表的な企業名を上げただけでは半導体関連のメインプレイヤーの概要を掴むには足りない。

半導体企業のさまざまな形態

先の製造プロセスに沿って、主要な企業やビジネスモデルも整理しておこう。
以降は半導体エネルギー研究所顧問で、黎明期から半導体の製造プロセスに従事されてきた菊地正典氏の『教養としての「半導体」』(日本実業出版社)をもとにして解説しいていく。先に言ってしまうと、今回、紹介する半導体関連のビジネス書ではこの1冊がもっともお薦めであり、この節以外にも多くの内容で参照させてもらった。
ではまず、企業の形態から始めよう。
IDM(垂直統合型デバイスメーカー)と呼ばれる1社でほぼ全ての工程をまかなう企業と、水平分業型の企業がある。その水平分業なかでも、企画・設計のみをおこなうファブレス、主に前工程の製造プロセスを担うファウンドリー、後工程となるパッケージングやテストを行うOSAT(Outsourced Semiconductor Assembly and Test オーサットと読む)がある。
IDMの代表格となるのが、Intelやサムソン電子、SKハイニックスといった企業で、サムソン電子などは自社の半導体を搭載するスマートフォンなどの製品まで手掛けている。
ファブレスの中心である設計分野では当然、NVIDIA、AMD、クアルコムが目立つ。
注目しておきたいのが、半導体設計のソフトであるEDA(Electronic Design Automation 電子設計自動化ツール)を開発するEDAベンダーと、IP(Intellectual Property 知的財産)となる半導体設計図をライセンス販売するIPプロバイダーと呼ばれる業種だ。EDAベンダーではシノプシス、ケイデンス・デザイン・システムズ、シーメンスEDがビッグスリーと言われている。IPプロバイダーでは、ソフトバンク傘下のARMといった有名大手が存在したりする。
ファウンドリーで真っ先に名前があがるのが台湾のTSMC(台湾積体電路製造)だ。複雑で微細な設計図を実現してしまう技術力は現在のところ世界で唯一無二の存在となっている。先にIDMで名を挙げたIntelやサムソン電子もファウンドリー事業に注力しはじめており、TSMCが目立つとはいえ、もっとも競争が激しい業態でもある。とくにIDMで”一人負け”を囁かれるIntelにとってファウンドリー事業は起死回生の一打としたいところだ。最近もIntelはソニーの次世代ゲーム機PlayStation 6に搭載するチップの設計・製造契約でAMDに敗北しておりIDM 事業の先行きに暗雲が漂う。あの「Intel inside (インテル入ってる)」のビッグテックの盛者必衰を思わずにはいられない。
TSMCのビジネスモデルで注目すべき点はPDK(Process Design Kit)を公開していることだ。PDKとは半導体の製造プロセスの装置や部材のスペックを明らかにした仕様書で、ファブレスは設計段階からTSMCの製造プロセスに準拠することで生産性を高めることができる。
TSMCに重要な製造装置を卸しているのがオランダのASMLである。ASMLは電気機器メーカーであるフィリップスのリソグラフィー部門がスピンアウトしてできた企業で、ベルギーの研究機関であるIMECと共同でEUV露光装置を開発している。2018年に世界で初めてEUV露光装置を実用化してブレークスルーを果たした。ASMLは世界的に唯一無二の存在でありASMLの製造装置がなければ、いかなTSMCでも3ナノという微細な半導体を量産することは不可能だ。ちなみにEUV露光装置は1台200億円を超える。重要な半導体サプライチェーンのほとんどの拠点をアメリカと東アジアにとられているヨーロッパ経済にとってもASMLは虎の子だ。
前回の最後に、EUVリソグラフィー(極端紫外線露光装置)を沖縄科学技術大学院大学(OIST)の新竹積教授らのチームが開発に成功したと付記しておいたが、この成功は日本のみならず、世界の半導体産業にとって非常に大きな意味をもつものだ。
しかしながら、現在までのところ沖縄科学技術大学院大学のこのニュースは専門サイト以外で報じられた様子がない。まだまだ実用化までにはハードルが数多くあるのであろうか。ASMLの一強を崩すには至らないのだろうか。
この頃の半導体をめぐる報道を見るにつけ、この扱いがどうにも釈然としないままだ。
それから、もう1点、気に留めておきたいのは製造プロセスの後工程を担うOSATについてだ。『教養としての「半導体」』で菊地氏は、後述するチップレット技術が今後、「普及拡大していけば、半導体業界の構造そのものに影響するゲーム・チェンジャーになる可能性」があり、「OSATの業務内容の変化やOSATを巡る業界の再編などが起きる可能性」も否定できないとして、新しい形態のIDMもありうることを示唆している。
かつてファウンドリーを「製造しているだけ」と下にみてきた日本のIDM企業の経営者たちが現在のTSMCを想像できなかったように、OSAT企業を「パッケージして、テストしてるだけ」とみることは同じ轍を踏むことになりかねない。

日本企業はどこにいるか

半導体をめぐる経済からの論点で、現在もっとも熱いのが日の丸半導体の復権、電子立国の復興だ。
半導体製造のファブレス、ファウンドリーで、日本企業のステイタスはきわめて弱い。
イメージセンサーのシェアの半分を主力製品のCMOSで握るソニーセミコンダクター、自動車などの高電圧を扱うパワー半導体市場で気を吐く三菱電機と富士電機、アナログ信号を処理するアナログ半導体でシェアを確保するルネサスの名が挙がるぐらいだ。
かつては、IDM(垂直統合型デバイスメーカー)こそ日本企業のお手のものであり、設計から製造までを行うことで大きなメリットを生みだしてきた。ところが、前回みてきたようにアメリカとの半導体摩擦にやられ、徐々に強みを失い、バブル崩壊で設備投資は冷え込んで多くの企業が撤退していった。
紫外線露光装置なども、2000年代初頭まではキヤノン、ニコンといった企業が大きな存在感を示していたのだが、不況がつづくなかでASMLに対抗するため投資すべきところが続かず撤退を余儀なくされた。キャッチアップはかなり困難な道とみられているが、キヤノンは2023年秋に5ナノ線幅に対応する先端半導体を低コストで製造できる露光装置を発表し巻き返しを図りはじめといる。
半導体の製造装置を開発する国内企業のなか、世界4位に位置づけられるのが東京エレクトロンである。製造プロセスの前工程におけるリソグラフィ後のウェハーのエッジング、洗浄のための装置に強みを持っている。それ以上に重要性をもっているのは、生成AIブームのなかGPU製造の工程においてである。AI用のGPUには、NAND や DRAMといった従来のメモリーではなく、HBM (高帯域高速メモリー)というGPUそのものにパッケージされる特殊なメモリーが必須となる。これがないと、NVIDIAの主力GPUであるH100も製造できない。HBMは構造が複雑で製造も困難である。HBM製造の際にウェハーを接合するボンディング装置開発の過半数のシェアを握っているのも東京エレクトロンだ。
また半導体製造の素材に目を向けると、シリコンウェハーを筆頭にフォトレジスト、絶縁材料など重要素材分野に占める日本企業は数多い。ニッチ市場でのグローバルトップ企業、シェア独占するオンリーワン企業の存在が光っている。どの企業も現場の職人技のすり合わせという伝統的な日本のものづくりの強みを生かしているのが特徴だ。
シリコンウェハーの信越化学工業、SUMICOは2社で市場の50%以上を占めている。フォトレジストでもJSR、信越化学工業、東京応化工業、住友化学、富士フィルムホールディングスの5社で90%近くのシェアを持っている。EUV用のフォトレジストの原料についても東洋合成工業1社で50%を超える世界シェアだ。
これがパッケージ、テストという後工程に使用される素材となると、絶縁材料のABFを手がける味の素がほぼ100%のシェアを握っている。ちなみにABFとは「味の素ビルトアップフィルム」の略。このほかにも複数の素材で日本企業だけで100%に近いシェアをもっている現状である。

未来の技術による逆転を期す

半導体製造のグローバル・サプライチェーンにおいて、決して日本企業の存在が消えてしまうという状況ではない。とはいえ、かつての日本企業のステータスを知り、その衰退を目の当たりにしてきたわたしたちにはやはり日の丸半導体の未来は明るくみえない。
ここにきて、政府は半導体産業の復興に力を注ぎはじめた。莫大な補助金を投入する計画だ。これは国際的なAI分野、半導体産業への莫大な投資合戦に日本も本格的に参入したことでもある。
IBMと組んで2ナノメートルという次世代の半導体製造を目指すラピダスは投資総額5兆円をかけて北海道千歳市に工場を建設する予定だ。政府もラビダスに出資するとのニュースが流れたのは先月末のことだ。政府は研究開発支援としてすでに9200億円の補助を決定していた。ラピダスにはこのほかにもトヨタ、デンソー、ソニーグループ、NTT、ソフトバンクの8社から72億円が投資されている。
ラビダスの挑戦については同社の社外取締役であり、JSRの元会長である小柴満信氏が書いた『2040年 半導体の未来 AI・量子コンピューティングの時代』(東洋経済)が今夏の初めに刊行された。同書では、日本経済の未来を半導体産業の復活に賭け、失われた30年を取り戻すには今しかないと力説される。それには大きく2つの理由が挙げられる。
ひとつには、かつての日の丸半導体を支えた職人エンジニアがまだギリギリ現役である点だ。ラピダスはドクター、マスターの学位をもつ社員は合わせて50%を超え、優秀なエンジニアを確保している。こうした熟練人材の技術力は製造現場で活かされる。
さらにひとつには、生成AIブームにのって次々とスタートアップ企業が誕生している状況と、SiC (炭化ケイ素)、GaN(窒化ガリウム)といったシリコンに代わる新素材の登場、小さなチップ同士を繋げる、歩留まりの良い、生産性の高い生産方法である「チップレット技術」の浸透も進む局面がある。小柴氏はこうした「異種チップ集積(ヘテロジニアスインテグレーション)」について、ムーアの法則とは別の文脈ですすむ進化として「モア・ザン・ムーア(More than Moore)」と呼ばれているとし長足の進化を期待している。
さらに現在、電気に変わって光で回路をつなぐ光電融合技術や量子コンピューティングといった次世代技術が出現している。光電融合技術はNTTが半導体のチップレット技術を活用する「光チップレット」によって、2ナノメートルさえ超える(ビヨンド2ナノ)半導体開発への採用をラピダスに働きかける見通しで、「光チップレット」は早くて2028年の商用化を目指している。そんな現在だからこそ、ラピダスの挑戦に勝算があるのだと小柴氏は熱弁をふるう。
すでに発表されているようにベルギーの半導体研究機関であるIMECが日本拠点を北海道のラピダス工場建設予定地につくるだけでなく、オランダのASMLも同地に拠点をつくりラピダス支援に乗りだすとの話もあり、ラピダスは国内だけでなく世界の半導体サプライチェーンからも注目を浴びる存在になっている。
GaN(窒化ガリウム)についてすこし付言しておくと、青色発光ダイオードの発明でノーベル賞を受賞した名古屋大学の天野浩教授は著書の『次世代半導体素材GaNの挑戦 22世紀の世界を先導する日本の科学技術』(講談社+α新書)で、米中に比して低下一方にみえる日本の研究開発力に関しても、じゅうぶんに世界に伍していけるものがあると述べている。よくある研究論文の提出数では計れない技術力があるというのだ。
ビル・ゲイツに憧れたという天野教授は、研究開発も「死の谷」を超えて実用化を目指すことを理想とする。そのなかで、発光ダイオードの実現させた素材GaN(窒化ガリウム)の可能性を論じる。SiC、GaNは日本が得意とするパワー半導体に最適な素材であり、パワー半導体はEVや自動運転などモビリティ分野で必須となるものだ。
大きな電圧を制するパワー半導体はまた次世代のエネルギーシステムであるIoE(Internet of Energy)にとっても非常に有効な技術になると天野教授は唱える。そして、そこにこそ日本の産業が世界でのポジションを復活しうる大きな可能性があるという。

現実的な独占レントを狙うべきか

日本の半導体技術力の先行きに見える光は確かなものだろうか。
小柴氏とは真逆の見方をする論者もいる。『半導体逆転戦略 日本復活に必要な経営を問う』(日本経済新聞出版)を書いた早稲田大学商学学術院の長内厚教授である。
長内教授はラピダスの戦略には批判的だ。IBMと組むとはいえ、半導体の線幅の微細化のトレンドのなかですっかりブランクのできてしまった日本企業には限界があるのではないかと。価値獲得に注力するアメリカ企業に対し、日本企業はいたずらに先端技術を追う価値創造に囚われてしまう。わたしにはそれはまるで『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』(戸部良一、寺本義也、鎌田伸一、杉之尾孝生、村井友秀、野中郁次郎著/中公文庫)で論じられた職人技の発露に囚われ、標準化が疎かになったことで兵站が崩れた旧日本軍の武器製造そのままの姿のように思えた。
長内教授はラピダスの戦略に対し、ソニーグループ、デンソー、そしてトヨタも出資するTSMCの子会社であるJASM(Japan Advanced Semiconductor Manufacturing株式会社)を高く評価している。JASMは日本政府の粘り強い交渉によって誘致されたTSMC熊本工場の運営子会社である。
ソニーはイメジセンサーCMOSの製造にTSMCのロジックチップを調達している。逆からみれば、TSMCにとってソニーは大口顧客でもある。ソニーという取引先があることが、TSMC熊本工場設立の理由のひとつとなった。日本側も圧倒的なスピードで工場を完成させ、TSMC幹部に「やはりものづくりは日本だ」と言わしめたという。アメリカで建設中のアリゾナ工場は熊本より先に決まっていたにもかかわらず、未だ稼働していない。ちなみにTSMC熊本工場には、ソニーグループと東京エレクトロンの工場が隣接している。
先端とはいえ、十分に実用化の進んだ半導体を量産し、その生産力によって市場を支配し独占レントを確保する戦略こそ日本企業の復活の道だと、長内教授は説く。韓国、台湾企業の後塵を拝したのはまさにこの独占レントへの戦略を疎かにして、いたずらに最先端技術を、しかも自前主義の垂直統合で行おうとしたことが設備投資を膨らませ、市場が整わなかったがために回収もおぼつかないままに業績を悪化させたかつてのは日本企業だ。それを戒めとして捉えるべきだという。
もっとも長内教授は「九州で台湾との連携で半導体クラスターをつくりつつ、北海道では、欧米との連携で半導体クラスターをつくろうとする日本の戦略は、不確実性リスクを回避するリアルオプション的な技術戦略と見ることもできるかもしれません。」とも言うのだが。

活発になる中国の動き

最後は、半導体に対する地政学の論点だ。
実はここまでとりあげた半導体関連の書籍のどれにもグローバルサプライチェーンの意味、米中関係、台湾有事における供給の問題にふれられている。
前回の記事でとりあげたクリス・ミラー『半導体戦争 世界最重要テクノロジーをめぐる国家間の攻防』(千葉敏生訳/ダイヤモンド社)では、兵器としての半導体の重要性も論じられていた。ベトナム戦争で使用された最初期の誘導ミサイルに搭載された半導体の精度は低く誤爆が絶えなかったことなどを事例にして、半導体のもつ軍事的な意味を説いていた。
日本戦略研究フォーラム政策提言委員である平井宏治氏の著書『新半導体戦争』(ワック)では、ロシアの軍事用の半導体が、カザフスタンなどの旧ソ連構成国がEUから輸入した家電から転用されているとの記事を紹介されている。ロシアへはさまざまな迂回路を通じて欧米製の半導体が流入しており、それが軍事転用されているそうだ。
同書によると中国も半導体の性能が問われるAIの軍事利用を積極的に進めており、次世代の戦争を「智能化戦争」とし、AI開発推進を共産党党員に周知している。必ずしも軍事目的とはいえないが、中国は「次世代AI発展計画」を発表して、2030年にはAIの理論、応用技術などすべての分野で世界トップ水準に立つ計画を立案している。中国は軍事と非軍事の境界が曖昧であり、これは人民解放軍強化を意味するものであると捉えても間違ってはいまい。
AIの軍事利用には早くからさまざまな懸念が表明されている現代、AIの性能を左右するのがコンピューティングパワー、つまり半導体の性能だとすれば、これが軍事力の根幹であることは論を俟たない。
中国の脅威は、軍事力と経済力にある。だからこそ、この根幹にあるコンピューティングパワーに歯止めをかけることは国家間の攻防において最重要である。冒頭に書いたように、半導体の限界はコンピューティングパワーの限界であり、コンピューティングパワーの限界は軍事力と経済力の限界につながる。「次世代AI発展計画」も半導体の発達がかなわなければ実現しない。グローバルなサプライチェーンから疎外されれば、先端半導体の開発は不可能とはいえないまでもそうとうに困難な道になるはずだ。
2018年以降、トランプ政権は、政府機関の中国の通信機器メーカーであるHuawei(華為)やZTE(中興通訊)製品使用禁止措置から始め、中国企業への規制をさまざまに進めて、2020年には上海の半導体ファウンドリー企業であるSMIC(中芯国際集成電路製造有限公司)をエンティティリストに追加し輸出規制を実施するなどした。つづくバイデン政権では2022年、「CHIPS and Science Act(CHIPS法)」を施行し、中国への先端技術輸出を制限する枠組みを強化した。さらにはアメリカ商務省が新たな半導体規制でNVIDIAやAMDの高性能AIチップの中国への輸出を制限して半導体製造機器に関する制限も拡大した。
日欧の企業もこれに追従するかたちで中国への規制を強化している。
翻ってみればこの国際政治の流れが、生成AIブームと相まって日の丸半導体の復興、サプライチェーンの強化といった日本政府、企業のダイナミックな動きにつながっているともいえるだろう。

アメリカのデカップリング

ここまでみると半導体がいかに地政学的に意味をもつものかもわかってくる。
これだけ世界に拡大した半導体製造のサプライチェーンでは、いたるところにチョークポイントが発生する。台湾有事でTSMCが稼働しなくなれば最先端半導体の供給は止まり、アメリカの軍事力や日本の経済力に影響を来す。実際に、コロナによって半導体の供給が滞ったとき、多くの製品の生産がとまり経済的に大打撃を受けたことは記憶に新しい。
中国はこうした日米欧の規制に対し、さまざまな策を打つことが予想されている。トランプ政権以前には、SMICなどの中国企業は半導体関連の先端企業に積極的にM&Aを仕掛け、技術取得の戦略としていた──どこか習近平の肝煎りで、帰化選手でかため強化を進めようとしたサッカー中国代表チームを思い出す──が、それもかなわなくなった現在、地政学的にはまさにチョークポイントといえるマラッカ海峡に位置するマレーシアのOSATを通じて半導体入手を行うのではないか、台湾に圧力をかけてTSMCから情報を得るのではないか、あるいはスパイによる情報入手を強化するのではないかといった予想だ。
そんななか、2023年8月、Huaweiが発売したスマートフォン「Meta 60 pro」に中国外の関係者は衝撃を受ける。バイデン政権の規制は、そもそも中国企業が生産できる半導体は線幅14〜16ナノメートルという数年前の技術が限界との想定で行われた。ところが、このスマートフォンにはSMICが製造した7ナノメートルの半導体「キリン9000s」が搭載されていたのだ。しかし、これは中国の独自技術開発の成果とはいいがたい。というのも、ASMLの旧型のEUV露光装置を使い、TS MCのエンジニアを高給で引き抜いて「キリン9000s」を開発させたといわれているからだ。
半導体をめぐるアメリカの中国に対するデカップリングは年々加熱している。
ジャーナリストの太田泰彦の『2030 半導体の地政学[増補版]』(日本経済新聞出版)では、そのものずばり地政学の観点で半導体技術のサプライチェーンを論じているわけだが、その冒頭でバイデン大統領が米議会の民主・共和両党の超党派議員グループ72名が署名する書簡の一節を読みあげた事実を紹介している。
「中国共産党は半導体サプライチェーンを再編して支配する侵略的な計画を抱いている」
この書簡が怒りに満ち、なんども中国共産党を名指しで批判するものだったと太田は書いている。
半導体サプライチェーンの再編こそ、中国の地政学的な生命線の確保であり、覇権的野心の見え隠れするものであろう。同書では、中国の東シナ海や南シナ海における軍事的・戦略的影響力を強化する際に使用される地政学的概念である「第一列島線」の内側に位置する台湾に対する圧力について論じられている。TSMCを擁する台湾の対岸、中国の福州、寧波に空軍基地があり、5分もあれば超音速の戦闘機なら台湾上空に達せられると指摘する。わたしは実際には中国の台湾侵攻は、ロシアのウクライナ侵攻の戦況や国際世論をみればほぼありえないことだと考えているが、こうした圧力でアメリカの半導体サプライチェーンに揺さぶりをかけることは難しくはない。
こうした背景から、アメリカも先に述べたようにアリゾナ州にTSMCの工場を誘致し、半導体製造の自前化、サプライチェーンの強化を図っている。それらは日本政府が同じように行なっていることでもあり、TSMCの熊本工場のみならず、つくば市のTSMCジャパン3DIC研究開発センター設立、東京大学とのTSMC 先進半導体アライアンスといった取り組みを進めている。そのうえで、日本政府は先のラピダス、NTTのみならず半導体製造の関連企業へ莫大な補助金投入を宣言している。
『2030 半導体の地政学』では、半導体議連の甘利明会長の次の談話を紹介する。
「半導体戦略は国家の命運をかける戦いになっていく。半導体を制する者は世界を制するといっても過言ではない。日本はこんなものじゃない。ジャパン・アズ・ナンバーワン・アゲインを目指して先陣を切りたい」
連盟に所属していた安倍元首相も「全産業のチョークポイントとなりうる半導体は、経済安全保障の観点からも見なければならない。一産業政策としてでなく、国家戦略として考える。いままでの補助金の延長線上ではなく、異次元でやらなければならない」と自身の決め台詞である「異次元」を使って話したという。
異次元の支援は金銭面に限らず、政治面でも発揮されている。甘利会長は、TSMCは熊本の第2工場建設にあたって、TSMC経営陣に台湾の先端工場では生産しなくなった型落ちの半導体の生産であれば認められないと強く主張し、シングルナノの先端半導体の生産を決めさせた。

AI開発競争をよく冷戦期の核開発にたとえることがある。当時は先端技術のスパイ、西側製品の旧ソ連への流入などが取り沙汰され、東欧、中東をめぐり地政学上の綱引きも盛んであった。
半導体のコンピューティングパワーが意味するものは、技術のみならず経済、軍事の問題と直結している。この点では核のそれとは一概に比べられるものではないが、冷戦期の大国間の隔たりが鉄のカーテンであったとすれば、現在、アメリカが中国に対しつくろうとしている隔たりは半導体のカーテン、コンピューティングパワーの天井とも呼べるものではないか。
コンピューティングパワーの天井は技術、経済、社会が発展する天井になる。

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