桐原永叔 ( IT批評 編集長)

「IT批評」(https://it-hihyou.com/)編集長。トリプルアイズ取締…

桐原永叔 ( IT批評 編集長)

「IT批評」(https://it-hihyou.com/)編集長。トリプルアイズ取締役。幻冬舎メディアコンサルティング編集局長を経て、眞人堂株式会社創立。2010年、株式会社ソフィアホールディングス取締役就任。2019年、買収合併でトリプルアイズに合流。

最近の記事

半導体のカーテン、コンピューティングパワーの天井 技術、経済、地政学から現在の論点をみる

半導体の話題が喧(かまびす)しい。生成AIをめぐる話題も相変わらず賑やかではあるが、それ以上に半導体に注目が集まっている。それは半導体が生成AIのみならず、多くの論点の根幹にあるものであり、現代社会の課題を浮き彫りにし将来の世界の問題を予言するものだからだ。 「産業の米」と「新たな原油」をめぐる論点 かつて半導体は日本において「産業の米」と言われ、アメリカにおいては「新たな原油」と呼ばれた。それだけ重要な物資、戦略的な資源であるという意味だ。そして、その意味は現在も変わる

    • ソフトウェアからハードウェアへ IT技術25年周期説で占う未来

      仮にも「生成AI時代」と名のつく書籍を出したこともあって、時代変化にいつもより敏感になっている。種々の生成AIサービスの登場によっていよいよAIが社会に浸透する時代が始まるのはもはや自明としても、それらが世界にどういう変動をもたらしうるのかを考えてみたい。 日本の「電卓戦争」から生まれたCPU 前回の#47「スペクタクル、東京、近代個人主義」で、東京大学の吉見俊哉名誉教授の歴史の25年周期説に準じて、主にITの進化とそれに連なるビジネス界の変化を見ておいた。かいつまんで説

      • スペクタクル、東京、近代個人主義

        前回の記事から1カ月足らずのあいだに、この先、数年あるいは数十年を左右しかねない出来事があった。ひとつは7月7日に投開票のあった東京都知事選で小池百合子氏が三選を果たしたこと、もうひとつはアメリカ元大統領のドナルド・トランプ氏が現地時間の7月13日、演説中に狙撃されたことだ。 スペクタクルにみるイデオロギー 安倍元首相が狙撃されて亡くなった事件をとりあげたのは、ちょうど2年前の7月の終わりだった。テロリズムは未だに、いやむしろもっと過激にこの時代に浸透しているという感を拭

        • テクノ・リバタリアンから神秘哲学へ

          わたしがやっている「Web IT批評」のインタビューを書籍化、刊行して、すでに2カ月が経った。いまだに喜びと不安が同居するような気持ちで成り行き(売れ行き? 反応?)を見ている。 ELIZAの亡霊 たくさんの人からの支援と協力があって刊行した『生成AI時代の教養 技術と未来への21の問い』(桐原永叔・IT批評編集部編著/風濤社)は制作請負やら編集のみを担当した書籍を除いてずいぶんと久しぶりの本となった。インタビューしたり文章を書いたりは「Web IT批評」を通じて行なって

        半導体のカーテン、コンピューティングパワーの天井 技術、経済、地政学から現在の論点をみる

          MUCA展、「ワーニャ」、「悪は存在しない」~不自由なのか、孤独なのか?

          VUCAといわれるような、得体の知れない時代のなかで、答えを求めて、答えだけを求めてわたしたちはただひたすらに苦しい。テクノロジーは答えへの道筋を示すものなのか、あるいはわたしたちをさらに疎外し孤独にするものなのか。 アーバンアートの現代性とはなにか? 東京・六本木の森アーツセンターギャラリー開催されている「MUCA展」に行ったのはこのゴールデンウィーク中のことだ。「MUCA展」には、ドイツのミュンヘンにある現代美術(アーバンアートと各所に書かれている)だけを集めた美術館

          MUCA展、「ワーニャ」、「悪は存在しない」~不自由なのか、孤独なのか?

          映画『オッペンハイマー』をめぐって──科学者たちの複雑な心理を考える

          アカデミー賞に輝いたり、有名監督の最新作であったり、興行収入が十分に見込めながら、上映が遅れていた『オッペンハイマー』を観た。原子爆弾のことは古くから関心をもってきたことであるし、つい最近、そのことに触れざるえないことがあった。 「IT批評」書籍化なる わたしがやっている「IT批評」は2010年に定期刊行の書籍という、雑誌になりきれないかたちで創刊した。なんとかふんばって2013年まで4号(vol.0~ vol.3)を出したが、採算があわず、当時、版元の経営者でもあったわ

          映画『オッペンハイマー』をめぐって──科学者たちの複雑な心理を考える

          小林秀雄とエリック・ホッファー 機械文明と大衆、そして労働について

          毎回、話題をかえて書きつづけてきたつもりが、このところはひとつの方向に知らず知らずのうちに執着しているのが、拙い原稿を読みなおすとみえてくる。それはきっと根っこのところで忘れえず抱えている哀しみや怒りを引きずり出してしまうせいだろう。 戦後を生きた知の巨人 最近、この記事を書きはじめるとき、前回までの振り返りからになることが多くなっている。それが悪いわけではないのだが、続きものを書きたいわけでもないから、自分として違和感がある。しかし、そう言っていても何も書きすすめられな

          小林秀雄とエリック・ホッファー 機械文明と大衆、そして労働について

          近代の超克/ポストモダン、歴史/生活、偏在/遍在

          前回、すこし本道を離れて論じた「PERFECT DATS」はロングランをつづけている。その前(No.40)にはブギウギの笠置シズ子から京都学派、「Whole Earth Catalog」をめぐってユク・ホイの宇宙技芸まで触れてみた。今回は、その続きから。 日米開戦日の夜のジャズ 前々回、笠置シズ子と服部良一のブギウギから昭和の大衆音楽シーンを語ったのだったが、その際に参照した輪島裕介がその著書で多大なる敬意を表したのが、ジャズ評論家であり『ジャズで踊って 舶来音楽芸能史

          近代の超克/ポストモダン、歴史/生活、偏在/遍在

          何故なしに生きるということ 「PERFECT DAYS」と神秘主義

          ここ数回は香港の哲学者、ユク・ホイの著書に感銘をいだいたことをきっかけに京都学派にあたり東洋思想の影響なんかを交えて、近代とテクノロジーについて考えを巡らせてきた。しかし、今回はちょっとばかしこのテーマは措く。 ヴェンダースが選んだもの 年末年始の休みにヴィム・ヴェンダース監督の映画「PERFECT DAYS」を観た。主演の役所広司が2023年5月のカンヌ国際映画祭で主演男優賞を、2004年の是枝裕和監督「誰も知らない」の柳楽優弥以来19年ぶりに受賞したことですでに早い段

          何故なしに生きるということ 「PERFECT DAYS」と神秘主義

          鈴木大拙からスチュワート・ブランドへ ホールアースは宇宙技芸論で語れるか?

          現在、放映されているNHKの朝ドラ(連続テレビ小説)は「ブギウギ」だ。主人公のモデルになっているのは、「ブギの女王」と呼ばれた笠置シズ子である。今回はここから始めて、京都学派、「ホールアース・カタログ」を経てユク・ホイの宇宙技芸へと話を広げていく。 J-POPのDNAはどこからきたのか 笠置シズ子は言わずと知れた歌謡界の大スターだ。大阪の松竹少女歌劇団でデビューし東宝へ移籍、太平洋戦争を挟んで、爆発力のある歌唱で多くのファンを魅了した。東宝と笠置シズ子といえば、黒澤明監督

          鈴木大拙からスチュワート・ブランドへ ホールアースは宇宙技芸論で語れるか?

          永劫回帰と再帰性、キッチュと偶然性 ミラン・クンデラから考える

          ここ数年、わたしが考え書き残してきたのは、テクノロジーのあり方についてであった。そのために、あるときは技術の概説に目を通し、あるときは科学哲学を参照し、またあるときは経済学にあたった。しかし、それより前の数年はずっと芸術表現の価値──美のあり方と言ってしまうのも面映い──のことを考えていた。 存在で耐えられないのは“軽さ”なのか? こんな書き出しで始まるのは今年の夏に亡くなった小説家ミラン・クンデラの『存在の耐えられない軽さ』(千野栄一訳/集英社)だ。この名作は当初、クン

          永劫回帰と再帰性、キッチュと偶然性 ミラン・クンデラから考える

          新しい「大きな物語」のために ヒューマニズムを更新する試み

          ちょっと前の記事で、人類史に注目が集まっているのは、大きな時代の変化の象徴ではないかと書いた。「ビッグヒストリー」といわれる新しい学問分野さえ誕生している。私たちが未来に向かっていくにはなにが必要か? 現代はどういう時代か パレスチナのガザ地区を実効支配するイスラム武装勢力ハマスがイスラエルを急襲したのは2023年10月7日で、これに対しイスラエルが報復攻撃に出たのは翌8日のことだ。昨年のロシア軍のウクライナ侵攻といい、この頃の中国と台湾および米日の対立といいなにやらきな

          新しい「大きな物語」のために ヒューマニズムを更新する試み

          DX(デジタルトランスフォーメンション)の本当の未来

          テクノロジーとはなにか?  生成AIが衝撃といえるような登場を果たして以来、テクノロジー論は日常会話にも確実に浸透してはじめている。いわく、仕事を奪われる。いわく、ただの道具だ。誰もが無関係とはいえなくなった。それがもっとも大きな出来事だろう。 いまそこにあるDX GPT-3.5がリリースされて、とくにテクノロジーに関心のない人でもふれるようなって最初に危機感めいた話をきいたのは今年の1月だったろうか。あるタブロイド紙の編集部を訪れた際、同行した週刊誌の記者さんが「コタツ

          DX(デジタルトランスフォーメンション)の本当の未来

          刊行ラッシュの生成AI関連書で内生的経済成長を考えてみる

          生成AIが喧しい。書店のビジネス書のコーナーにいけば「生成AI」「ChatGPT」とタイトルにある書籍が平積みされ、Amazonの検索窓に「生成AI」と入力すれば、技術専門書よりもビジネス書、新書でいっぱいになる。 生成AI関連書籍の刊行ラッシュ この連載ではこれで数回連続になってしまうがChatGPTだ。昨年末あたりから始まったChatGPTショックが、現在は関連書籍の刊行ラッシュにつながっている。一般にビジネス書、新書は企画から著者選定、執筆、DTP、印刷製本、書店流

          刊行ラッシュの生成AI関連書で内生的経済成長を考えてみる

          「沈黙」を知らないChatGPT 紋切り型と記号接地問題

          この連載はChatGPTが人口に膾炙する以前から言葉をテーマにしてきた。それがAIを語るうえでも知能を語るうえでも重要なファクターであることはいうまでもない。私にとって最も重要なのは、言葉がこの世の中をつくっていることだ。 戦場の言葉 少し前になるが、芥川賞作家の丸山健二先生の講演会でモデレーターを務めさせていただいた。講演会は二部構成で、第一部では丸山先生の講演、第二部は「ウクライナの現状、そして文学者は何ができるのか」と題し、日本ウクライナ文化交流協会会長である小野元

          「沈黙」を知らないChatGPT 紋切り型と記号接地問題

          ChatGPTと言語ゲーム 似非インテリに欠けたる粋

          ChatGPTの基礎的な技術になっている大規模言語モデル(LLM)は言語の集合であるコーパスを大量に学習する。かつてのように単語の意味や文法の論理といったルールを記憶するだけではえられなかった、大規模言語モデル(LLM)の成果こそ、今まさに人類を驚嘆せしめているものの中心ではないだろうか。 AIが人間の知性に近づいたことへの沈黙 人間の知的活動あるいは知能といったものは非常に複雑な構造と複合的なルールで機能している。そう考えれば、AIの研究開発はほとんど人間という存在その

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