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都市にイノベーションは戻るのか? アフターコロナの都市論を想像する

まるで景気循環のように、コンドラチェフ波動のように、新型コロナ感染者数の増減は波打つものであり、次の波も来ることもじゅうぶんに想定しておかなければならないが、現在のところ我が国のコロナ禍はひと段落している。これに合わせていつの間にか、以前ほどではないとはいえ満員電車も復活の兆しである。働き方改革を加速するテレワークというのは果たして束の間の夢だったのか──。

東京一極集中は終焉するか?

新型コロナの感染者が増大して、最初の「新型コロナウイルス感染症緊急事態宣」が政府から発出されたのは2020年4月のことである。その後、解除と発出を繰り返し、「新型コロナウイルス感染症緊急事態の終了」が出たのが2021年9月である。次の波を恐れながらではあるが、私たちは少しずつ日常を取り戻そうとしている。しかし、これが2020年4月以前の日常と同じ日常が戻ってくるかといえば怪しい。私たちの社会はコロナ禍の前後で、なんらか様相を変えるであろう。それは、ものすごい変化かもしれないし、ちょっとした変化かもしれない。どうなるかは誰にもわからない。

新型コロナが蔓延し最初の緊急事態宣言が出ると、ビジネスパーソンに出社自粛が求められほとんどの企業がテレワークを開始した。すこしすると、都心部にオフィスを構えていた企業のいくつかが賃貸契約を解除しはじめた。テレワークの時代にオフィス賃料は無駄なコストといち早く判断したからだ。当初に想定していたほどテレワークは困難ではなかった。むしろこれまでテレワークが進まなかったことを日本社会の旧弊に求める意見が目立つようにさえなった。企業側としても都市部の高い家賃が減り、従業員の交通費が減り、交通費が減ることで総額支給が減れば保険料も減り、メリットが一気に浮上した。削減したコスト分はIT設備投資にまわり、テレワーク環境はさらに充実していった。

ちょうどこの頃、何人かの論者が都市一極集中の時代は終焉すると言いはじめた。東京一極集中が問題化していた時期でもあった。コロナ禍によって、一極集中は解消し「職住接近」という次の時代のライフスタイルへ一気に移行すると。それが本来の人間らしさであり、日本経済に失われた活力を呼び戻し、イノベーションの契機になるとさえ論じられた。

こう書くと、「そんなにうまくいかなかったよね」という結果論で皮肉るように読めるかもしれないが、そんなことはない。むしろ、一気に進まないだけで後戻りできない方向に確実に進んでいると私は感じている。

このとき、大いに話題をさらった『シン・ニホン AI×データ時代における日本の再生と人材育成』(ニュースピックス・パブリッシング)の著者である安宅和人氏もその一人だ。そもそも氏は『シン・ニホン』のなかで「風の谷」というビジョンを示し、すでに「都市集中型の未来に対するオルタナティブ」をつくろうと訴えている。世間がコロナ禍と騒ぎ出す以前のことだ。

時代は都市集中からの抜け穴を模索している最中だった。


コルビジェとパンデミック

今回の新型コロナ感染症は約100年前に世界で猛威を振るい多くの犠牲者をだしたスペイン風邪の記憶を蘇らせるものとして語れることが多い。実際に、世界192カ国の感染者1億3千人、死亡者290万人を数えるスペイン風邪に対し、新型コロナは今日(2021年11月29日)現在のところで、感染者2億6千万人、死亡者520万人であり規模でいえばすでに倍に達している。

スペイン風邪のときにも都市計画の見直しが迫られたことは思い出しておいていいだろう。いや、コレラの感染を抑えるためにロンドンの下水道が整備されたりした歴史をみれば、感染症と都市計画は本来的に深い関係にある。それは当然だろう。人が集まるから感染が広がるのであり、人が集まるのは都市そのものだからである。

さて、100年前の都市計画で活躍したひとりの天才建築家がいる。ル・コルビュジエである。近代は、鉄筋、ガラスといったそれまでにない建築材料を用意していた。コルビジェの都市計画はスペイン風邪や同時期の結核の流行からの影響を拭えない。

コルビジェはより清潔で健康的な住宅と、風通しのいい整備された都市を考えた。コルビジェはそれを「輝く都市」、理想の都市として構想したのだ。彼の弟子であり新宿の西口広場をデザインした坂倉準三が訳し、日本に紹介したコルビジェの著書『輝く都市』(SD選書 33)を読めば、ほとんど私たちが馴染んだ都市の姿がそこに構想されていたことがわかる。そう、ちょうど新宿西口のビル群といい地下広場といい、ロータリーのループといい、それは輝く都市の姿であろう。

高層ビルに、車社会を想定した広い道路、駅前には広場。コルビジェの思想は世界大戦を経て灰燼に帰った世界の多くの都市を整備するために取り入れられた。いや、未だに都市部の再開発といえば、広い道路に高いビルとなりがちだ。不衛生な裏路地を排除し、古く小さな家屋を取り除くわけだ。

先の安宅和人氏もスペイン風邪の流行を目の当たりにしたコルビジェたちモダニズム建築家たちの構想が都市の姿を一新させたと述べ、今回のコロナ禍もまた都市を変えると論じる。一極集中によって拡大した感染症は現代人をして都市を解体させうるだろうと。だから都市解体による新たなイノベーションを模索せねばならないと。

整備されない都市しか持ち得ない価値

コルビジェときて思い出していた名前がある。それはジェイン・ジェイコブズである。もともと編集者であったジェイコブズは、高速道路建築などの性急な都市整備を危惧し問題提起する。世界初の都市の思想家と言われる彼女は、積極的に都市再開発計画反対の運動の先頭に立つ雄弁家でもあった。今や世界各地でひろがる再開発計画反対の嚆矢を放ったともいえる人物である。

ジェイコブズはコルビジェらモダニズム建築家たちの構想する都市計画を批判する。1960年初頭のことだ。『アメリカ大都市の死と生』(山形浩生訳/鹿島出版会)で、計画都市の画一性が人々の生活を貧しくし不安を煽ると述べ、多様性こそが都市の豊かさであり安全性の担保だと論じる。早すぎるほどに先見的な論述である。

彼女は都市の多様性を保つために、ひとつのエリアには複数の目的があるべきであり、目的の違う人々が行き交い、エリア内の道は短く何度も交差し、建物は高低大小が入り混じり、居住者が密集しているべきだと訴える。これはコルビジェの輝く都市のまったく逆の考え方である。事実、ジェイコブズはコルビジェを名指しで批判している。

そして最も重要なのは、ジェイコブズが、都市が生み出すイノベーションとはこの多様性が土壌になると主張している点だ。翻れば、コロナ禍によって一極集中が解消された私たちはイノベーションの土壌をひとつ失うのではないかと気になるからだ。

いや、違う。ネットワークという居住地に接続されれば多様性は保たれ、イノベーションの土壌もサイバー化すると考えることもできるかもしれない。しかし、現状のインターネット空間の閉鎖性、クラスター化を見れば、そこに多様性は感じられない。

都市計画はいつ反省されるのか?

さきにコレラの際にロンドンの下水道が整備されたことを述べた。19世紀末、ロンドンで多くの死者を出したコレラの大流行は、不潔な飲料水を原因とするものであった。しかし、原因を究明するまでには長い道のりがあった。『感染地図 歴史を変えた未知の病原体』(スティーヴン・ジョンソン著/矢野真千子訳/河出文庫)を読むと、ジョン・スノーという人物が感染者の出現地域とその飲水の関係などからデータを蓄積して分析していくストーリーを非常にスリリングに楽しむことができる。

私が面白かったのは汚染水が疑われる以前、コレラは空気感染すると信じられていた時期に、不潔な貧民街を都市から排除しようとする動きがあったことだ。実際に区画の変更まで行われたのだ。空気の流れさえ恐れる有様だったのだ。

私は、ここにモダニズム建築家たちの都市計画の根本思想の兆しを見る。不潔なものや異物を排除し、ひとつの機能にあわせて区画を整理する。雑多な路地裏は恨まれこそすれ、歓迎されることはジェイコブズが現れるまでなかったのだ。現在の下町ブームや駅裏の闇市系居酒屋ブームも以前にはまったく考えられないことだ。

ダイバーシティなどといわれるずっと以前にジェイコブズが多様性に注目しなければ、都市はどのような姿をしていたであろう。すくなくともコルビジェらの都市計画が反省される契機はすぐには訪れなかっただろう。それが良いのか悪いのかはわからないが、考えるべきことは少なくない。

モダニズムと多様性を失う都市

2021年7月、あるニュースが流れた。小田急百貨店新宿店本館が解体されるという。坂倉準三による日本モダニズム建築の代表作が解体されるのだ。それも新宿西口地区開発計画に伴う解体である。この日本のモダニズム建築のひとつが失われることを惜しむ声が各所から聞こえるようになっている。近代建築史が専門で京都工芸繊維大学教授の松隈洋氏は「美術手帖」記事に次のようにコメントを寄せている。

今回の超高層ビルによる垂直的な巨大再開発によって、西口広場も含めた、水平的な広がりのスケール感とバランスは大きく崩れ、坂倉がル・コルビュジエから引き継ごうとした『輝く都市』の精神は、跡形もなく失われてしまうだろう。

おそらくモダニズムが失われても多様性は返ってこない。東京にイノベーションの土壌は戻ってくるのだろうか。



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