前回の記事、「腕のいいカウンセラーにかかりたい」では、次のようなカウンセラーは、「まあまあ悪くないカウンセラーなのではないか」という結論に至りました。
一晩経って、また別の連想が出てきました。
仮に、最初に挙げた1から6を満たしていても、カウンセラーが役に立ちにくい場合があるのが現実です。
このスクールカウンセラーの連想の場合で言えば、そもそも学校側がカウンセリングを必要としているかどうかの温度差があります。
公立学校は学校のニーズにかかわらず一律にカウンセラーが配置される仕組みになってきているので、「スクールカウンセラーの活用ニーズが今はあまり高くないよ」という学校もあります。
また、カウンセラーと関わる児童生徒、保護者、教員のお持ちのニーズと、カウンセラーが提供できる専門性とのズレが微妙にある場合もあります。
例えば、思春期青年期が専門のカウンセラーは幼稚園は専門外です。個別の保護者対応が得意なカウンセラーや、全体への講和、講演が得意なカウンセラーもいます。カウンセラーは万能じゃないのです。
そして、そもそものカウンセラー自身のがむしゃら度も違います。新人のがむしゃらさが評価される場合も、されにくい場合もあります。
これらは、あえてまとめてみると、カウンセラーと利用者の関係性という角度から考えることもできそうです。
カウンセラー単体の専門性、実力だけではこぼれ落ちる何かは、関係性という視点から捉えると、見えてくるものがあるように思います。
また、大前提の、関係性が生まれるための人と人の配置、人と人の出会いは、個人でコントロールできる範囲を超えています。
それはもう「時の運」としか言いようがないのではないでしょうか。今どきの言葉で言えば、ガチャでしょうか。カウンセラーガチャ。
しかし、その配置された関係性を読み解くことはできるかもしれません。ここは訓練やセンスがものを言うのかもしれません。
と考えると、
という条件が付け加わりそうです。
そもそもカウンセラーに出会う時点で、生活に何かしら困難があり、日常生活からこぼれ落ちる何かの受け皿を探している状況でしょう。
あなたが必要な受け皿をカウンセラーが敏感にキャッチして、大きな受け皿がそろえられたとき、カウンセリングが進んでいくのだろうと思います。
ここまで考えてくると、カウンセラーの腕は確かにあるけれども、他にもカウンセリングには必要な要素はありそうです。
カウンセラーの腕✕あなたのニーズ✕時の運
この3つのピースの関係性がうまくはまったとき、「腕のいいカウンセラーに出会えたな」と思えるのかもしれません。