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腕のいいカウンセラーにかかりたい

カウンセリングを検討していらっしゃる方はそうおっしゃると思います。

「自分の悩みをこのカウンセラーに相談したら、ちゃんと解決に導いてくれるだろうか」

「解決してくれるカウンセラーにかかりたい」

そう思うのは自然だと思います。


1.改善率90パーセントのカウンセリングルーム

2.改善率50パーセントの心理相談室

3.改善率の書いていないカウンセリングセンター

3つがあったとしたら、みなさん1のルームに行かれるでしょうか。

2より1の方が改善率が高いです。3は書いていないのでわかりません。


では改善率とはなんでしょうか。

「人前で上がってしまって赤面してしまう」

という悩みであれば、赤面しなくなる。という変化が出れば改善と言えるかもしれません。

「夫婦喧嘩を減らしたい」

という悩みであれば、夫婦喧嘩の回数が減った。という変化が出れば改善と見なせるかもしれません。

例えば行動療法や認知行動療法は、このように、改善したい悩みを具体的にして取り出し、その変化を目指して介入を行うため、改善率がわかりやすく、いわゆるエビデンスを明確にしやすくなります。

ですので、多くの人に分かりやすく受け入れやすく、人気もあるのだと思います。(認知行動療法をディスる気持ちは一ミリもありません。念のため。私は専門外ですが、むしろ好きです。行動療法の山上敏子先生の本などは、感動しながら拝読しました。)

では例えば「すぐに夫に怒ってしまうのをやめたい」

というお悩みの場合はどうでしょうか。

夫に怒らなくなれば、改善なのでしょうか。

もし、夫が妻に暴力を振るっていたらどうでしょう。

妻が怒るのは、むしろ正当なことと言えないでしょうか。

しかし、夫の暴力が、目に見える単純なものではなく、表向きは優しそうにしておきながら、実は妻の自由を奪っているという形もあります。やさしく真綿で包むようにして妻の主体性を奪っているようなタイプの暴力です。

その場合、「夫は優しいのに、怒ってしまう私が悪い」「そう、怒ってしまうあなたが悪い」

という評価になってしまうかもしれません。

見立ての甘いカウンセラーだと、「夫に対し妻が怒る回数を減らす」という目標設定をしてしまい、暴力に加担してしまうかもしれません。

この場合、仮に怒る回数が減ったとしたら、数字上の改善率は高まりますが、カウンセラーは腕がよいと言っていいのでしょうか。

そもそもの、改善させようとターゲットにした行動が間違っているのではないでしょうか。(「夫から妻への暴力は許されない」「暴力は目に見えない形でもある」という価値観をカウンセラーが大前提に考えているため「間違い」と断定しています)

つまり夫に対し怒るのをやめる。という設定をしてしまうと、夫のやさしい暴力が維持されてしまうことにつながるリスクがあります。

この場合には、むしろ夫の暴力をテーマに取り上げる必要があります。妻の怒りが正当であることを伝えることがまずは必要になってくると思います。妻が、怒りを安全に表現できる場を提供することがまずは必要になるでしょう。その後の展開はケースバイケースです。

これは非常に単純化した例ですが、具体的な行動の「改善」と一言で言っても、どんな行動を変化させるべきターゲットに定めるかによって、相談者の悩みの改善度合いは変わってきます。

また、女性の地位、男性との関係性、ジェンダー、教育観、産業の形態など、時代や文化により変わってきた「価値観」が人間の多くの悩みの背景には横たわっています。人は価値観の上に立っていると思います。

ですので、シンプルに改善率という基準では示せない複雑さがカウンセリングには常につきまといます。

だから多くのカウンセリングルームでは、改善率といった一面的なデータは開示していないのではないでしょうか。

というか、変数がたくさんあるため、なかなか分析しえないのではないでしょうか。(もちろん適切に分析、開示するやり方を採用されている機関もあると思います)

言えそうなことは、改善率などのエビデンスは、目的設定が適切な場合にようやく意味を持ってくるのだと思います。

では適切とは何か?これもなかなかに難しいテーマです。

目的設定をどうするかは「見立て」といいます。

カウンセラーが問題をどのように見立てるかが、カウンセラーの腕の判断の第一チェックポイントになるのではないかと思います。

じゃあ、「見立てが納得できそうだ」というカウンセラーを選ぶようにしてみる。

何人かのカウンセラーの見立てだけをまずは聞いてみる。

こういった作業をして、カウンセラーの腕を確認するのが、急がば回れで安心安全かもしれません。

しかし、見立てに納得できる。だけを基準とするとまた別の問題が発生します。

自分が見立てて欲しいように見立ててくれるカウンセラーを選びがちになってしまうからです。

先の妻の例で言えば、夫に対して、「酷い夫ですね。私はあなたの味方ですよ」または逆に「あなたはだめな妻だ」と断定して言ってくれるカウンセラーがいたら、妻は「このカウンセラーは見立てがいい」と即断してしまう可能性があります。

人は自分が見たいように相手を見てしまう傾向があります。期待の目で見てしまいます。

味方だと言ってくれるカウンセラーは、夫のやさしい暴力を見抜いている点は、見立ての甘いカウンセラーよりはマシかもしれません。

しかし、そうは問屋が卸さないのです。

一見理解してくれて、優しいカウンセラーのカウンセリングが始まると、優しい暴力夫と同じような関係性に陥ってしまうということもありがちなのです。

「期待していたのに裏切られた!」ということになりかねません。

特に強烈に「このカウンセラーは良い!!」と最初に感じた場合には、案外このようなことが起きがちです。

自分の感じたいように相手を感じてしまう、見たいように相手をみるという人間心理に、カウンセラーもクライエントさんもはまってしまっています。

カウンセラーは見立ては正しかったけれども、介入の過程でミスをしてしまったことになります。

カウンセラーとクライエントでいい夫婦ごっこをしてしまい、やさしい暴力夫との関係の再現をしてしまったとでも言えましょうか。

こうして考えてみると、あんまり強烈に惹かれるのも危険だと言えそうです。

カウンセラー自身が幼少の頃、優しい暴力を母に振るう父の元で育ち、母を救いたいという強烈な救済者願望があるけれども、そのことに無自覚であったり、カウンセラー自身の心の傷を癒しきれていないことも、こういうミスに陥る事例の背景にはあります。

カウンセラーという職業選択をする方の多くは、心に傷つき体験をお持ちだと思います。

そして、カウンセラーが抱えているテーマに似たり寄ったりのテーマを抱えたクライエントさんと出会うことも多々あるのです。

さて本題に戻りますが、とりあえずの目安として、自分が欲しい理解もしてもくれるし、自分にはまったくの盲点だった視点も提供してくれる。

くらいのバランスがいいかもしれません。

「まあまあ悪くないのかな。すごくよくもないけど、断るほどの理由もないかな」程度の、言ってみれば平凡感があるカウンセラーを選んでおくと、大失敗はせずに、それなりの改善を期待できるのではないかと考えます。

でもでも、やはり問屋は降ろしてくれません。

そういった平凡感などといったものは、主観的なものですし、悩みに苛まれているときには、自分の感覚を素直に感じられないことも多いからです。

高熱のときにはちょっと動くだけでもすごく辛いし、体が痛みます。心が辛い時も同じです。

「まあ悪くないかな」と感じること自体がそもそも心が苦しい時には難しいでしょう。

「痛みを取ってくれるなら、なんだっていい!!」と思うでしょう。

では心の痛みが取れるからといって、覚せい剤の使用を勧められてしまったら、どうでしょう。

それは絶対に避けるべきで合法的な薬や医療行為が必要です。(カウンセラーは法を守らねばならないという価値観を採用しているため、こう言い切ります)

お医者さんだとこの辺りは当たり前に受け入れられるのに、カウンセラーだと盲点になりやすいでしょう。

つまり、なんだか怪しいおまじないや、あやしい心理療法が、覚せい剤ほどの警戒感なく受け入れられてしまう。

カウンセリングは法的に業務独占という形になっていないので、どんなオリジナルカウンセリングでも明日から誰でも実施できてしまうからです。中村カウンセリングメソッドも出来てしまう(笑)これ、本当なのです。

心が弱っている時には、そういうやり方にひっかかりやすいと思います。すぐに痛みを取ってくれるのであれば、すがりたいのは当然です。だからこそ、クライエントさんを依存させて、教祖様にならないために、倫理観や客観性がカウンセラーには必要です。

このように、客観的な基準も間違いなく必要になると考えます。「このタイプの悩みには、こういう方法がいい」「こういう方法は望ましくない」そういった学問的な裏付けがあること。カウンセラーが倫理観を持っていること。そのカウンセラーの持つ資格、研修歴、わからないことをちゃんと分かる専門家に聞くことをしてくれるか(スーパーバイズを受けているか)、これまでの実績、自分のカウンセリングを受け自己点検できているか、そういった情報はとても大切になります。

以上をまとめてみると、
1.資格を確認(臨床心理士、公認心理師のダブルホルダーが今のところ日本ではおすすめだと思います)

2.研修歴について開示しているか、過去の栄光ではなく、今も研修を受けることを現在進行形でしているかの確認。孤独に独りよがりに実践していないかの確認。自分独自のオリジナル療法を検証なく使用していないかの確認。

3.論文や学会発表、書籍、ブログなどで実践や考えを形にしているか。出来ればそれを読んで確認してみて、納得できるか。自分の悩みを扱ってくれそうか確認。改善率などのシンプル過ぎるデータでのアピールをしていないか。

4.いよいよ一度直接悩みの概要を伝えてみて、まあまあ悪くない見立てをしてくれるか、まあまあ悪くない程度の安心感は持てるか。カウンセラーのことを完璧すぎるように感じないか。カウンセラーは普通に平均的に丁寧に接してくれるか。

5.一方で、はっきりと問題や方針を指摘してくれるか。特にクライエントさんにとって都合の良くない情報も含めて(見立てや方針により、カウンセリングが今はふさわしくない場合もあります。その時にはちゃんと説明して断ってくれるのも、「腕のよいカウンセラー」と言えるでしょう。)

6.カウンセリング後に「また予約してみようかな」と思えるか。(予約を無理強いしてこないことが大前提。分かっているけど継続的に通う気持ちにどうしてもなれない。ということもあります。心がまだ向き合うことへの準備が整っていない場合もあると思います。)

こういうカウンセラーの場合、あなたにとって「腕がいいカウンセラー」といっても差し支えないのではないかと考えました。

書いているうちに、あれもこれも必要だと思いつき、どんどん文章が長くなりました。腕のいいカウンセラーってこうだよと、簡単には語れないと思います。

カウンセラーはいつも「これでよいのだろうか」と自問自答、同業者との話をしながら研修を続けています。誠実な臨床家ほど「私、腕いいですよ!」とは言いません。そして横のつながりを大事にしています。「大きな声では言えないけど、この問題については何かしらはお役に立てるかもしれません」という控えめな自信があるという感じです。

この辺も、「〇〇メソッド!これ最強!」といったあやしいカウンセラーに押されてしまうところです。

誠実で丁寧に、専門性をしっかり発揮するのは、めんどくさくてわかりにくくて地道な作業の連続なのです。

心に向き合うのは、実にめんどくさいことです。

この記事が、一般の皆さま、同業者の皆さまにとっての再確認やこのテーマについて考えることに何かしら刺激になれば、そして何より当ルームご利用のきっかけになりましたら、大変うれしく思います。



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