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自己愛的な人とどう関わるか

自分と相手の境界線を越えないことは、良好な人間関係作りには欠かせない。
「俺の物は俺の物。お前の物も俺の物」
これではジャイアンだ。
絵に描いたようなジャイアンだけでなく、優しいふりジャイアン、頭のいいジャイアンなど、ジャイアンっぽく見えない変化球ジャイアンが大量にいるのが世の中の状況だと思う。

中村カウンセリングルーム 5月29日のツイート

このようなツイートをしました。

自己愛的な人をジャイアンに例えています。

自己愛的な人とは、いわゆるナルシストのイメージです。自己中な人、自分勝手な人、自分と相手は感じ方、考え方が違うということが分からない人、相手への共感性が乏しい人、そういった指摘を素直に受け入れられない人などをここでは指したいと思います。一見おとなしくてナルシストに見えない控えめなタイプの自己愛的な人もいます。

自己愛的な人は、自分と他人の境界線の区別ができない人、境界線を踏み越えても平気な人と言っても良いかと思います。

時間を守れない、約束を守れないといった行動に現れることも多いと思います。

頭の良い自己愛的な人や優しいふりをした自己愛的な人は、ジャイアンのようには見えません。雰囲気は出木杉くん、雰囲気はしずかちゃんだったりします。
しかし、接するとかすかに香る香水のように、かすかに自己愛臭がします。自己愛臭をかぐと、なんともいえないかすかな胸のモヤモヤ、なんかすっきりしない気分がこちらに残るのが特徴です。

このような人は、たくさんいるのではないでしょうか。
このような人が身の回りにいないという日本人の方がめずらしいかもしれません。

自己愛的な人と接していると「私の都合などおかまいなしに関わってくるんだよな〜」、「私の気持ちを分かってもらえない気がするな〜」、「私が達成した手柄なのに、『私のおかげだ』と手柄を奪われるんだよな〜」、「自分の責任をすり替え、人のせいにしてくるんだよな〜」、「自分の話ばかりされてしまい一緒にいてなんだかなあ」、「あの人謝ってばかりだけど、なんか気持ちが伝わってこないんだよな〜」「なんかいつも待たされるな〜」「なんか、約束通りいかないなあ〜」というような、なんとも微妙な気分になります。この「なんだかな〜」「なんか〜」の部分が自己愛臭です。

嫌な相手とは離れて過ごせれば、それに越したことはありません。
しかし職場や学校、家族など、離れるに離れにくい環境にそういう人がいたら・・・・。
もう毎日ゆううつですよね。

自己愛的な人の持つ、自分と他人との境界線のなさに長時間さらされ続けると、だんだんと、さらされた人の主体性が奪われていきます。
家庭、学校、職場が自己愛的な人の考えで回っていくように思え、「俺様がルールだ」という世界に飲み込まれてしまったようになってしまうこともあるかもしれません。
香りに鼻が慣れてしまうように、「なんだかおかしい」という違和感を持ち続けるのは簡単ではありません。

あたかも、ジャイアンの手下のスネ夫になってしまったり、いつもジャイアンに搾取されるのび太くんになってしまうような感覚を抱くかもしれません。社長をよいしょする部下たち、エライ先生にこびへつらう人たちなどのようになってしまうかもしれません。

また、やっかいなのは、自己愛的な人にさらされ続けると、自分も自己愛的な人になっていってしまうリスクがあることです。特に親子関係で、親が自己愛的な場合、子どもも大きく影響を受けるのは、想像に難くないでしょう。
もしかしたらジャイアンも、自己愛的なかあちゃん(母親)の犠牲者なのかもしれません。あのかあちゃんに育てられたから、ジャイアニズムを持ってしまったとも言えそうです。
こうなると、香水ではなく体臭が自己愛フレーバーになってしまう。もはや、生き地獄です(笑)

このような、やっかいな自己愛という問題に対して、どのように関わったら良いのでしょうか。

自己愛的な人の境界線のなさには、さらっとNOと言う。
これ以上は「立ち入り禁止」とさらっと、しかしはっきり示す。
自己愛的な人を変えようとするのはやめる。
柳に風のように自己愛的な人を受け流す。
自己愛的な人から離れる。

この辺りが基本的な対応方針となります。
あなたは本来、しずかちゃんや出木杉くんなのかもしれません。それが、自己愛的な人にからめとられて、自分の可能性の芽が摘まれてしまうなんて、なんともったいないことでしょう。

それではどのようにNOを言ったらいいのでしょうか。さらっと伝えるにはどうしたらよいのか。


自己愛的な人との関係を見直したい、自己愛的な世界から脱出したい、自分の本来もっていた、しずかちゃん、出木杉くんの可能性を伸ばしたい・・・。

このような希望をお持ちの方に当ルームのカウンセリングはお役に立てる可能性があります。

時間と場所と料金を決め、同意したルールに乗っ取って話をしていくというカウンセリング体験は、お互いの境界線を尊重する体験になります。

自己愛的な人による境界線侵害の被害は、境界線尊重の体験によって癒され、上書きされる必要があると思います。

「決められた時間に始まり、決められた時間に終わる。プライベートではカウンセラーと会わない。正当な料金を払ってその時間で話をする。」これがカウンセリングの進め方です。これは純粋な境界線の尊重です。
これを続けるだけでも、結構難しいものです。
延長して話したくなったり、キャンセルをしたくなったり、いろいろなイレギュラーなことが必ず起きてきます。
それこそが、あなたが抱えている苦しさが立ち現れる瞬間です。
あなたにも自己愛の毒が回ってしまっており、あなたが自己愛的にふるまってしまうことや、カウンセラーがあなたのジャイアンのように自己愛的にふるまっているように見えることなど、いろいろなことが起きてきます。
カウンセラーと共に、その苦しさと向き合い、乗り越えていくことになります。このあたりは体感しないとお伝えすることが難しいところですが、あえてわかりやすく言葉にしてみるとそういうことになります。

料金についても、安い方がいいというのは錯覚です。
当然ながら、カウンセラーの技術の研鑽にはお金がかかります。
聞いてもらう側にとっても、自分の話は1000円の価値なのか、10000円の価値なのか。本来は、プライスレスのはずです。
お金に換えることなどできない唯一無二の自分の心です。
それを「1000円で聞くよ」と言われたら、軽く扱われているようで残念でしょう。ボランティアのようで申し訳なくて、十分に本音が言えない人もいるでしょう。
「10000円?高いっ」と思った方は、自己愛の毒がかなり回ってしまっているのかもしれません(笑)
おどしのようになってしまいましたね。失礼しました。
唯一無二の自分の心です。とさらっと書いてしまいましたが、心は自分に属すると考えるのかどうかは、宗教、哲学、社会学などさまざまなな議論が人類が誕生して以来延々と続けられており、絶対の真実とは言えないです。「今の私は」自分の心は自分のものという立場をとっているということです。なぜなら臨床的に必要だと考えるからです。では臨床的とは?そもそも心とは?
どんどん広がっていきそうなので話を戻します(笑)

自己愛にNOを言うためには、境界線を尊重される体験を重ねることが必要です。しかしこれは言うは易し。実際に尊重される体験をしてみるといろいろな気持ちが起きてくるはずです。そこをカウンセラーと乗り越えていくことが大切。料金もそれなりにかかる。

というのがここまでのお話です。

さて次は、境界線を尊重される体験を重ねる中で、自分の中に生じる小さな違和感を大切にしていくことが大事になってきます。

自己愛的な人に「ちょっと今いい?」と言われて、本当はやることがあるのにがまんして、「いいよ」と言ってしまっていませんか?
自己愛的な人に「これってこうだよね~」とあなたも同じ感じ方をしているかのように話を進められていませんか?
それは、自己愛的な人のペースになってしまうターニングポイントです。自己愛的な人は「あ、悪いことしちゃったな」と気持ちを察してはくれません。「しめしめ。こいつは利用しやすい。ぐふふ。」と思っているかもしれないです。

小さな違和感が生じたら、自分の心のその声を素直に聞くことが大切です。
「あれ?私としては違う感じ方なんだけどな」
その声を見捨てないことが大切だと思います。それを言葉にしてみることに意味があります。

「今やっていることがあるから、終わってからならいいですよ」
「私はそうは感じないです。それはあなたの感じ方ですよね」
「それって、やっていいことでしたっけ?」

そのように、要所要所で自己愛的な人に対して、くぎをさしていくことが大事です。
そんなことを言ったら、どうされるか分からない恐怖もあるでしょう。
「歯向かったら左遷されるかも。」
「めんどくさくなるから言わないでおこう。」
ときには暴力を受けるかもしれません。
いろいろな懸念があり、さらっと伝えるのが難しくなります。

さらっと伝えるには、「あれ、〇〇でしたっけ?」「私に何を求めていらっしゃいますか?」と質問形にするのも有効です。このようなテクニックもあります。

とにかく、伝えないと、相手には伝わりません。
ここが最も難しいところです。
伝えても伝わらないこともあります。
究極のところ、相手を変えることはできないですが、自分の意志を示す必要があります。

自分の意志が見え、表現出来る自信がついてくると、本当の自分が目覚めます。「あ〜、良く寝た!」という目覚めのような心地よさ、満足感、充実感が得られます。
そこを目指して、カウンセリングでは話し合います。

自己愛との向き合い方は、相手との関係性のテーマと言えます。
セルフケア、セルフコントロールだけではいかんともしがたいのです。話し合いタイプのカウンセリングが必要です。

長く自己愛にさらされてきて主体性の感覚が持てないでいる方は特にですが、カウンセラーとの専門的な設定の対話を繰り返さないと、自己主張のパターンは変化していかないと考えています。

「いい人をやめる」「上手な自己主張」「自信の持ち方」などをテーマにした自己啓発書など、さまざまな本やネット情報もありますが、自己愛の影響が小さい方を除き、自助努力のみで自分を変えるのは不可能だと考えます。

「なんだ、結局カウンセリングに来いってことか」
と思われた方もいると思います。
そうなんです。
自己愛のテーマと向き合うには、一人では不可能なのです。
自分の顔は鏡を通してしか見ることができないように、自分の心は相手の心という鏡を通してしかみることはできません。
それなのに、「自分でなんとかできる」と思い込んでいることが、もうすでに自己愛的なありようになっています。

カウンセラーとの対話の中で、小さな違和感を言葉にしてみる。それを受け止めてもらう。その繰り返しで、本当の自分が育っていきます。
本当の自分が育ってくると、自己愛的な人とのかかわりの力もついてきます。
しずかちゃんや出木杉くんのようにジャイアンに絡まれなくなっていくことが期待されます。

個人差はありますが、ある程度自己主張が自分のものになり、出来るようになるには、おそらく、40〜50回以上は少なくともかかるのではないかと思います。

初回〜10回程度は、自己愛的な人によるさまざまな被害とそれにまつわる嫌な気持ちを、カウンセラーにも共感され、すっきりしたり、問題の全体像がなんとなく言葉で把握できるようになるフェーズだと思います。

10回から40回くらいまでに、先にあげたようないろいろな、カウンセラーとの関係性が展開します。ここは特に頑張りどころです。

50回以上になってくると、変化を確かなものにしたり、新たな課題と向きあったりしていく段階へと入るイメージです。

これはあくまで見通しの一つの例ですが、このような長期的なスパンで少しずつ変化、成長をしていくタイプのカウンセリングを行っております。変化のペースは人それぞれです。どこまで続けるかも人それぞれです。

カウンセラーの腕がよければ早くよくなる。ということは、自己愛のテーマに関しては言えないと思います。
カウンセラーの腕は、どちらかというと、カウンセリングが続くか、カウンセラーとクライエントさんの関係が途中で切れてしまわないかに影響すると思います。
カウンセリングは週に一回、二週間に一回などのペースで行われます。生活の中に、定期的に50分のカウンセリングが埋め込まれるわけです。クライエントさんは、日々の生活を送る中で、さまざまな出来事があるでしょう。カウンセリングに乗り気の時もあれば、めんどくさい時もあるでしょう。体調が良いときも悪い時もあるでしょう。気分の波もあって当然でしょう。それでも決めた時間にカウンセラーに会う。そういう関係性が続くよう伴走する伴走力はカウンセラーの腕が大きいと思います。

伴走と書きました。カウンセラーはプロの伴走者です。ランナーはあなたです。ランナーの「走りたい」という意志が、変化のために大切になってくることも付け加えておきます。

最後に一言注意喚起です。カウンセラーはやさしいふりをしたジャイアンである可能性が高い職業だと思っています。

だって、だれにも打ち明けない心の悩みを「うんうん」って聞いてあげて、その人を救おう、良い方に導こうなんて、めちゃくちゃ自分勝手で都合のよい願望です。「神様か、教祖様か何かになれるつもりなの?」という突っ込みが聞こえそうです。
かつて、援助者支援の研究をしていたとき、アンケート協力を依頼した方に、「自分の尻は自分で拭く。そんな支援はいらない。」と言われました。
確かに一理あります。
人の心を支援するなど、おこがましいことだな、自己愛的なことだなと思わせていただいたエピソードです。
しかし一方で、素直に辛い人を助けたいという気持ちは、人間らしさであり、人間を人間たらしめる条件の一つでしょうと思ったりします。


自分の心は自分のもの。
と考えてみます。
身体に例えると、本音を話す行為は裸をさらすようなもの。身体の裸を扱うのは、医師など専門資格を持った人が、専門的な行為を行う時にだけ、限定的な条件で法で許されている行為です。

心をさらけだすのは、心を裸にすることと同じなのではないかと考えることができます。だから、カウンセラーには厳しい倫理感が求められると考えます。

しかし日本は、有資格者も無資格者も「カウンセリング」と称した行為を自由に行える、まさに無法地帯なのです。
自分の心は自分のもの。という価値観が主流ではない国だからでしょう。クラスのために、学校のために、地域のために、お国のために。長らく集団が個に優先されてきました。集団のために人権が二の次に考えられやすい国です。最近で言えば、人権に関わる重要な法案が国会で可決されましたが、マスコミでは大きく報じられず、国民の大半は何も知らないと思われます。国民的な議論になりませんでした。と感じてしまいます。そもそも議論がほぼない国と感じています。空気でいろいろ決まっていく国だなあと私は感じています。

しかし、「私は自己愛を克服した。だからカウンセラーを名乗る」それは大変危険な行為です。ホームランを一本打てた。だからプロ野球選手にはなれません。プロには、怪我をせず長く続ける力、バッティングだけでなく守備の力、など総合力が必要でしょう。
総合力なしにプロを名乗ると、援助しきれないクライエントさんに出会った際に、クライエントさんを傷つけてしまうリスクが高いと思います。

ですから、カウンセリングを受けようと思う方は、少なくとも、臨床心理士、公認心理師の資格に加え、カウンセラー自身がトレーニングを欠かしていないか、さらには、欠かしていないとしても、人間性に怪しい所はないか、厳しい目で見ていっていただければと思います。

本来は、ユーザーの仕事ではなく、提供側の仕事なのですが。法で守ってもらえないなら自衛するしかありません。と思ってしまうのは被害的過ぎるでしょうか。

私の考えではさらに、カウンセラーも自分のカウンセリングを受けて、自分の裸の心をさらす体験をしている必要があると思っています。特に自己愛のテーマを扱うならば必須だと思います。
自分が体験していれば、裸の心をさらす恥ずかしさ、恐ろしさが分かります。「ここまで話を聞かれるのって、怖いな。なんでこんなことを聞いてくるのかな」など、境界線感覚にさらに敏感になれます。カウンセラーも自分の自己愛を見つめている必要があると思っています。
でないと、ナルシストカウンセラーの持論につきあわされるクライエントさんを生み出してしまうでしょう。

それでも、カウンセラーのジャイアン性はゼロにはなりません。どこかで、自己愛を満たすために相談者の心を食い物にしようとしている面はゼロにはなりません。
しっかりとコントロールするよう努めるのが精一杯です。

限界も素直に認めて、自分にできない支援は、他の専門家につないでくれるようなカウンセラーは、悪くはないでしょう。当ルームでも、対応ができないお悩みの場合は、対応していただける専門家の情報提供をさせていただくようにしております。目の前に来てくださった方にとって、何が最善か一緒に考えたいと思います。

カウンセラーのことを「なんか変だな」と思ったら、迷わず、NOです。逃げてください。動物的な直感を信じてOKだと思います。
自己愛にまみれてしまって、感覚がマヒしていると「なんか変だな。」に鈍感になってしまいます。そこに付け込む輩が大勢います。
口でうまいことを言って、自己愛的に利用しようとする人間は大勢います。
一見しずかちゃんや出木杉くんのような、いい人型の自己愛的な人間もたくさんいます。
自己愛的なカウンセラーに利用されてしまって、「もうカウンセリングなんて信用しない」と思っていらっしゃる方もたくさんいると思います。
そしたら「自分の尻は自分で拭くわ!」と思うのも当然です。

経験、人間性をアピールするよりは、学問や理論、実践の裏付けがあるカウンセラーが良いように思います。客観的なデータ重視が良いと思います(長嶋野球よりかは、野村ID野球です。古いか)。
独りよがりでなく、いろいろな人と普通に程よくつながっているカウンセラーも安心です。カリスマやインフルエンサーなどは、やはり危険度が上がると考えておくほうが、安全かなと思われます。もちろんカリスマやインフルエンサーが必ず危険というわけではありません。
私も、ツイッターなどで、たくさんの「いいね」をいただいたことがありますが、何か自己愛がくすぐられることがないと言えば嘘になります。
そんなとき、スーパーバイズや自分のカウンセリングを通して、自分の心の状態を見直しています。見直して、自分の行動を修正します。失敗したときは恥ずかしいし、嫌ですが、修正して改めることが誠実と考えています。

失敗は必ずある。と思っています。開き直るわけではなく、もう、それが人間です。としか言えません。


この機会がなければ、カウンセラーとして、機能し続けるのは難しいと感じます。
また、ごく、普通の一般人として、普通に生活していくためにカウンセリングを仕事にしたいと思っています。普通に働いて、普通に引退して、普通に穏やかな老後を過ごせたら、普通に嬉しいなあ。と思っています。それが、自己愛にブレーキをかけてくれると感じます。普通ってなんだ?というテーマもありますが。また話が広がってしまうのでここでは触れません。

最後に、そもそも利用しなくてよければカウンセリングなんて、必要ないはずです。
カウンセラー探しをしている時点で、とても苦しい状況です。

でも、苦しさと向き合うことで、楽になり、さらに新たな自分の可能性に開かれていくことも、十分にありえます。それってワクワクすることです。
カウンセラーはそれを専門的な枠組みの中で追い求めており、かつあなたより少しだけ先にそれを自分で体感しているであろう、あなたと同じ一人の人間です。

苦しさを成長への糧にしていく場として、あなたの来室を心よりお待ちしております。

本当に最後になりますが、ここでお伝えしてきたことは、もちろん、唯一無二の真実ということではありません。こういう考え方やタイプのカウンセリングもあるんだなあくらいの捉え方をしていただければと思います。

いろいろな立場のカウンセリングがあるのは当然なのに、自分たちが真実だ!と叫び始めたら、ジャイアンリサイタルになってしまいますものね。

よろしければご一緒にもがき苦しんでまいりましょう。


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