少女の聖域|Karte|傷は傷のままに
Text: Kayoko Takayanagi
わたしはいつも絵を描くとき、子どものわたしをイメージしますが、少女たちはわたし自身ではありません。
少女たちはわたしが目を逸らしたくなるような悲しみや寂しさを共に見つめ、あるときは寄り添うように悲しみの表情で、あるときは退屈そうな顔で、あるときはただまっすぐわたしを見つめ返して...
少女たちのその自由さがわたしを救い、癒してくれるのです。
『少女の聖域』では自らの傷を見つめる小さなシェルターのような、そんな場所を彼女らと共に作りました。
.....Karte
少女が全きもので在る必要はない。少女は元来歪なものだ。
肉体と精神は常に相容れず、世界は受け入れ難い。良い子でいることに耐え難くなると、抑えきれない破壊衝動が首をもたげる。やってはいけないことって、どうしてやりたくなるのだろう。真っ直ぐ歩くばかりではつまらない。迷ってもいいから横道に逸れてみてもいいじゃない。
どこから見ても齟齬のない整然と整ったものが美しいのだろうか。どこかに傷や歪みがあるからこそ、美しいのではないだろうか。
不完全であれ。傷は傷として愛せよ。
少女は異形であることを恐れない。
Karteの作品に登場する少女たちは、ひとの姿であることに戸惑っているように見える。あるいはそれは、切ったら血が出るその身体に戸惑っているのかもしれない。
真っ直ぐにこちらを見つめる大きな目は、どこまでも透き通って揺るがない。血を流しながら、肉を抱きながら、少女たちは佇む。リボンや縄や点滴のルートのような細い管は、幼き日の記憶を貫いて心の中の小さな家に繋がっている。かつての痛みや哀しみは、少女の聖域で癒されるのだ。
ドイツ語の「Karte」には、地図や切符という意味がある。いつでも安心して傷を癒せる場所の在り処、そこへ行ける切符。歪んだ傷痕がたとえ残ったとしても、誰も責めたり揶揄したりはしない場所。
日本の病院で用いられているカルテを指す意味は、本来のドイツ語には含まれない。それでもここでは、Karteの作品は彼女自身の傷の記録であり記憶つまりカルテでもあると言ってみたい。
板パネルにアクリル絵の具で描かれた少女たちは、そのほんの少しざらついた表面を傷のように残して、こちらを見つめている。
その傷を、その傷跡を、愛せますように。
Karteの魅力のひとつに、その色使いがある。
中間色という言葉では言い表せられないその絶妙な色は、特にピンクがかった色彩に特徴的だ。肌の色は血や肉の色と混じり合い溶け合う。くすんだとかグレイッシュとかの表現にはおさまらない、混沌とした独特の色の世界で、菫色もまたKarteの部屋の住人となる。
少女たちは、冷んやりとした恐怖をどこかに隠しながら、何食わぬ顔をしているようだ。心が傷を負い血を流す度に感じてきた寂しさや怖さは、色彩に塗り込められ、肉の塊やソーセージやケーキに変化する。
あなたの傷をこの部屋に加えてみると、何色になるだろうか。
Karte | 画家 →Twitter
大人になるわたしの代わりに
寂しさや悲しみという傷を負ってくれた
心の中に住む子供のままのわたし。
彼らが安心して自分の傷を受け入れ癒せるような、
そんな場所を描いています。
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作品名|あなたが見ている
アクリル・板パネル
制作年|2020年(新作)
作品サイズ|25.5cm×18.5cm
*額なし
販売期間【2020年7月26日(日)10:00〜8月2日(日)23:00】
販売は先着順
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作品名|子供部屋
アクリル・板パネル
制作年|2020年(新作)
作品サイズ|27.3cm×27.3cm
*額なし
販売期間【2020年7月26日(日)10:00〜8月2日(日)23:00】
販売は先着順
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作品名|あなたを連れて行く
アクリル・板パネル
制作年|2020年(新作)
作品サイズ|20cm×15cm
*額なし
販売期間【2020年7月26日(日)10:00〜8月2日(日)23:00】
販売は先着順
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