あの日贈ったバレンタインの気持ちは何だったんだろう?
バレンタインデーというものを知ったのは小学1年生の時。
最初は、近所に住む同級生の男の子にあげていました。
それが、3年生の時まで続き、4年生になると、今度は「友チョコ」に変貌していきました。
思えば、4年生の頃はかなりの人数分を作ったと記憶しています。
当時はスマブラとポケモンがブームで、これらをやっていると男女関係なく自然と仲良くなることができました。
「友チョコ」の呪縛は、中学校から高校まで続きます。
大して好きでもないつるみ仲間に義理チョコを手作りした中学時代。
電車通学でテリトリーになった駅ビルの無印で540円で手作りキットが売られていたことを知り、経済的だと思った高校時代。
半分社交辞令のようにチョコを作っていたように思います。
バレンタインといえば、なんとなく「手作り」しないといけない雰囲気がありました。
といっても、板チョコを溶かしてチョコを作るだけなのに…と頭によぎりますが、それはそれで楽しいものです。
でも、一体何のために私はチョコを作っていたのでしょう?
大学に入って、初めての彼氏ができました。
そこでようやく「手作り」の呪縛から解放されました。
バイトで作る時間がなかったのと、ただ単に面倒臭かったのです。
一回だけ作りましたが…それ以外は専ら買いチョコです。
遠距離恋愛していた頃は、当時住んでいた街で一番人気のあるケーキ屋のチョコを贈っていました。
そのケーキ屋は全国ネットのテレビにも取り上げられていました。よく彼氏の住む街に出張販売していたので、どうせ贈るならそれ以外のやつにしようと思っては、頭を悩ませました。
こういう事態になると、今年はバレンタインデートが出来ません。
でも、チョコは贈らないとまずいな…と思ったので、楽天でルタオのセットを贈りました。
彼もまた実家暮らしなので、家族で食べれるものを贈っています。
このnoteを書いている今、彼氏の家にルタオが届いたようです。
私の中のバレンタインは、パートナー同士の愛を確かめ合うイベントになりました。
恋愛を経験したからこそ、社交辞令から卒業を果たせたのでしょうね。
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