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私達の恋愛観が一般的でないのは認めるけど、間違っているのだろうか?

明日、2年振りくらいにデートをする。
昨日、彼氏が誕生日を迎えたので、プレゼントを渡しに家に行くつもりだ。
その後ラーメンを食べて…他にやることは決まっていない。
ただ単に一緒にいたいだけだ。

私達は恋愛と仕事以外にもやることがいっぱいある。
私はというと…「執筆」「収録」「読書」「運動」「料理」「放送」、一方彼氏は「ラブライブ」「オタ活」「ガジェット」「ゲーム」などなど。
一見すれば、どこか一個くらい犠牲にしてデートの時間を作ればいいだろと思うかもしれないが、これがまたそれぞれの柱になっているから犠牲にできない。もどかしい。
というか、ドラッグストア時代に私が他の市に住むことになって以降、会う時間を作るのも面倒臭くなって、連絡を定期的に取りさえすれば良いとさえ思うようになった。ちなみに通話は滅多にやらない。ハングアウトによる文面コミュニケーションが主である。

今年の10月で交際7年目を迎えるのであるが、未だに二人きりで旅行に出かけた試しがない。例のアレの影響もさることながら、恋愛におけるエンゲル係数が低いので近場で満足してしまう。
主なテリトリーは青森市なので、青森市内で十分なのだ。
頑張っても五所川原や十和田、三沢あたり。県外なんて頑張って仙台あたり。東京に関しては行きたいエリアがそれぞれ違う(私は神保町、彼氏は秋葉原)ので、「東京行こうぜ!」という話にすらならない。

ぶっちゃけ言うと、私達の恋愛観はおかしいのだろうか?

こういう話を他人にすると「それは『付き合っている』と言えるの?」と良く言われる。私達からすれば付き合っているはずなのだが、会おうと思えば会えるのにそういう機会を作らないことが信じられないというのだ。

確かに、私としては家族以外で気兼ねなく話せる唯一の相手が彼氏なので、やっぱり構ってほしい時間とやらは欲しい。私なりの女心としてはそういう気持ちである。
しかし、世界情勢的に「人と会うな!」とアナウンスされているのにも関わらず「※ただし恋人は除く」みたいなことを他人に言われると正直言ってイラっとするし、お前の価値観だろとしか言えない。
だって私達は心でつながっているし、会話なんて文明の利器・パソコンとスマートフォンでやれるのだから。本人達が乗り気じゃない中で「直接会いなよ」みたいなことを他人が言ったところで、所詮はワイドショーの熱愛報道的なノリに過ぎない。早い話が「余計なお世話」ってやつ。私達には私達なりの愛の育み方がある。外野にとやかく言われたくないのが本音だ。

だがしかし、外から見れば私達の恋愛観というものはやっぱり変なのだろうか?
こういう状況でも、直接触れ合う二人の時間を多めに確保しないといけないものなのだろうか?
そもそも二人の時間ってなんなんだ?ハングアウトの会話でも十分二人の時間になっているような気もしないでもないが…どうなのだろうか。

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