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【ホラー小説】キヨさん #1

私が連れてこられたのは、村の、とても奇異な動物園だった。もはや動物園と呼んでいいのかわからないくらい狭くて小さく、10メートル四方の白い一室で、ツルツルした床の上に20種類ほどの動物たちが床に直置きされていた。

動物のラインナップを見てみると、アザラシ、ツキノワグマ、ブタなどが、床の上に辛そうに寝そべっている。これだけ生育場所が異なる動物が、一つの白い狭い部屋に集まって生きているのは、不思議な感じだった。でも、その時の私は脳みそを使うのが億劫で、少しの違和感と共にこの状態を受け入れていた。

空調設備もおかしくて、人間用の扇風機とケージの配置だけで、なんとか各動物の適温を調節している(つもり)らしかった。例えばシロクマのオリの周りには氷がたっぷり入った青いバケツが5つほど置いてあり、自家用の扇風機が2つシロクマの方を向いている。こんな雑な空調設備の中なのに、なぜか獣の匂いはせず、人工的な感じがする。

地元の客らしき親子連れも4組おり、それぞれが手を繋いで、つまらなさそうにオリとオリの間を歩いている。

「このクマはちょうど2トンあるんだ」

隣でぼーっと立っていた、動物園スタッフの少し汗くさいおじさんが、ふと思い出したように解説し出した。

そのクマの檻には天井がなかった。立ち上がればきっと乗り越えられるような、低い檻だったのに、クマは諦めたように座っている。まるでテディベアのような格好で、元気がなかった。

「2トンと言えばあの、」

横にいた未知が言いかけた。

その瞬間、おじさんが未知に、何か緊迫感のある目配せを送ったのを私は感じた。

何か言っちゃいけないことだったのかな、なんとなくそう察するが、

「2トンって?」

つい聞き返してしまう。私のよくない癖だ。

「いや、なんでもない」

おじさんはまた能面のようにぼーっとし始め、今度は未知が少し口角を下げながら答えた。
生気のない動物たちも、複雑な表情の未知とおじさんも、つまらなさそうに歩き回っている他の客たちも、私以外の全ての登場人物に生気がなかった。


「それはいいから、しばらく見たら食事に行こう。何食べたい」
おじさんは聞いたことのないような方言でおおよそこんなことを聞いてきたようだった。

「どうせ蕎麦でしょ」
未知は先ほどより多少口角を上げながらおじさんに突っ込む。
「そんなことよりおじさん汗くさいから、シャワー浴びてよ。一緒に車乗ったら、奈々子がかわいそうだから!」

おじさんは面倒くさそうに頷き、動物園のスタッフ専用のドアに入っていった。

「あそこシャワーあるの?」

「うん、いつも動物洗ってるとこね」

動物を洗浄しているところで人間が身体を洗うのは、衛生面的に何かダメなような感じもしたが、私はふうんと頷いた。


「2トン」の謎が解けたのは、三人が天ぷら蕎麦を食べ終わって、おじさんの車で下山している時だった。頂上から300メートルほどかけて、全ての木が無惨にも薙ぎ倒されていたのだ。

「これ、すごいね。なんでこんなに倒れてるの?」

私が尋ねると、未知はなんでだろうねと適当に答えて、もぞもぞと少し身動きした。ハンドルを握るおじさんがぽつりとつぶやく。

「これは多分あれだな、季節のやつ」

「季節のやつ?」

「ああ、この辺りは、春になると、数年おきに木が薙ぎ倒されるんだ。突発的な暴風で」

「この辺りだけ?…変なことがあるもんですね」

私は適当に返した。窓ガラスに映る山や崖の景色は、東京で見る灰色の高層ビル群とは全く違った。だがこの違和感は、田舎と都会の違いだけでは片付けられないほど強烈だった。

「奈々子ちゃんはいつまでこの村にいる予定なの?」

未知が聞いてくる。私の年下の従兄弟である未知は、私の両親がこの村に移住した時から世話になっている。年下とは思えないほど頼り甲斐があり、私は会うたびに大人びていく彼女にもはや尊敬の念を抱いていた。

「多分、2週間くらいかな。あまり長くいても、親が嫌がるだろうし」

両親は私がこの村に長期滞在することを望んでいない。私がいるだけで空気が悪くなる、飯が不味くなるといつも言われていた。今回の帰省は、あまりにも村の人間が、彼らの「娘」つまり私に関心を示すので、彼らのご近所付き合いのために、仕方なく私が呼ばれたのだ。

こんな親のわがままに私が付き合ってしまうのは、いつかは認めてくれると淡い期待があるからかもしれない。私の人生の選択を一つも支持してくれなかった彼らに、結婚だけは承認してほしかった。

「2週間か、それなら言っておいた方がいいよね。2トンのこと」

未知がおじさんに確認している。村での秘密かしきたりか、そんなところだろうと私は予想しながら聞き流す。

家族は安らげる場所ではなかった。そんな私にとって、「結婚」は親や弟との離別を示していた。「あなたたちの慰み者ではなくなり、もっと価値のあるところへ行くのだ」と、私にできうる最もささやかな復讐のメッセージを送ろうと、心待ちにしていた。

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