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見えない未来

ほとんど読まない新聞の記事見出しに書いてあった。
「見えない先行き」という文字。

よく言うよ…と醒めた気持ちになる。

見えない先行き…の言いたいところは何となく察しがつく。

要は例の感染症騒ぎの後、世界が動き出していることが目に見えるようになって、日本がその渦に巻き込まれているから、未来が予測しにくくなったと言いたいのかな。

でも、一度たりとも未来を正確に予測できたことなどなかった筈で、それは昔と何等変わらない。

モノの値段が上がる、日本人を大切にしないできない政治を見れば、悲観的な観測気球は受け入れられ易いとは思う。

でも、それがあたかも必然的な運命だと決めつけているのは誰のためだろうか。

かつてプラザ合意の後、急速な円高が進んで「円高不況」と言われていた。
時代背景が違うのは百も承知だが、今の円安は「円安不況」なのだろうか。

円高円安に限らず、コインには表裏がある。
表の方が都合良い人も居れば、裏が都合が良い人も居る。ただそれだけのこと。

メディアは真実を伝えることが使命ではなく、どんな風に人を焚き付けて儲けるかが使命なのだろう。

未来を単に悲観する楽観するのはラクかもしれないけど、ババを引かされる可能性は高くなる。

未来はいつも不透明。
この単純な真実をまずは受け入れること。

その上で何を今やるのかを決めるのは自分自身だと意識できるかどうかではないか。

正解不正解もない。
強いて言えば、その未来が現在地になった時に自身がどう感じているかが答えになる。

自惚れた言い方かもしれないが、そんなこと当たり前じゃないかと思う。