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本気のエゴ

エゴという言葉。あまり良い使われ方はしない。

よく自己中と表されるニュアンスゆえだろうが、そもそも人は皆エゴイストである。

生物学的に見ても、命を持つ者は自分の個体を維持するために息をして、摂取して、排泄する。

いわばエゴイズムは生き物の基盤である。

ただ、そういう自身も他者を見てエゴを感じて嫌悪する気持ちになることはある。

自分の都合に合わない主張を批判したい時に感じることかもしれないし、こうあって欲しいという願望にそぐわない時かもしれない。

ただ、そもそもが人はエゴが基盤であることを思い返して、自分自身がエゴの塊であることに冷静に行き着けば、仕方がないと思えるようになるのではないだろうか。

家庭を持てば分かる。

愛した妻や子どもでさえ、自分が思うようになど、たいていは動いてくれない。

またもう一つ、自身が思うように人が動いてくれることが本当に良いことなのかも分からない。

よほど経験則で明らかに確率が低い選択を自分の家族がしそうなら、身を挺してでも止めることはあるのだろうが。

「こうしておくように言ったではないか」と怒るのは、答えを見てから批判する“後出しジャンケン“かもしれない。

仮に自分の意に反することで上手く行ったことがあっても、後から「間違っていてすまない」と言えることは珍しい。

多分だが、エゴと思われても仕方ないと思う相手にこそ、本気で叱ったり、止めたりするのだろう。

そうやって「本気のエゴ」を見せてくれる人が自分には何人いるのだろうか。

少し考え込んでしまいそうだ。