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いい女の条件

いい女など語れる筈もない。

女性は苦手だし、そもそも恋愛経験が少な過ぎる。今までの人生を振り返ると女難の相が出ているような気さえする。

そこはさておき(自分にとって)いい女とは何かを考えてみた。

よく雑談のネタで「好きな芸能人は」という切り口がある。

すごく難しい質問で、格好付けて言う訳ではなくて、見た目の美しさだけで心が動かされることが若い頃からあまり無い。

自分を差し置いて人にだけエエものを求めたらダメだという妙な自制心もある。

唯一の例外は、長澤まさみだろうか。古い映画だが「世界の中心で愛を叫ぶ」を見て以来、女性の理想像になった。綺麗8割可愛い2割の絶妙なブレンド。しかもあのスタイルはなかなか無い。天は二物を与えている。夢の中でも本人を目の前にしたら間違いなく固まって何も話せなくなる自信はある。

要は感情移入できるかどうか。見た目の美しい人は画面越しだけでなく日常世界にもまあまあいる。大袈裟に言えば近所のスーパーに買い物に行けばまあ綺麗かなと思える人に出会えるだろう。当たり前だけど、それでどうだとはならない。

男としての峠を越えたせいか、より一層に女を見る目が変わったような気がする。

女である前に、ひとりの人間としての考え方とか立ち振る舞いはすごく気になるようになった。

本質的な人間性というのだろうか。相手に合わせる柔軟性を持ちながら、自分の立ち位置や役割を分かっている聡明さというのだろうか。

これは偏差値的な頭の良さとは趣が違う。多分、しっかりした教育を受けてこないと身につかない作法の世界。それを当たり前にしているかどうかなのだろう。付け焼き刃ではじきにメッキは剥がれてしまう。長く演じ切る大女優もたまにはいるが。

あとはある程度の色恋の場数を踏んでいることだろうか。たまに心底のお人好しもいるけれど、そうではなくて、さりげなくこちらを立てていることが分かれば、不思議に見た目も良く見えてくるものだ。

若い頃のような燃え上がる感情も悪くはなかったけど、沸沸と湧く泉は枯れてしまったのかもしれない。

でも、いい女を感じて心が動かなくなってしまうのはまだ寂しい気もする。

年甲斐ないスケベジジイと言われても構わない。ささやかな恋心のタネ火はずっと消さずにいよう。棺桶に入るまでは。