鬼はもう笑わない
2022年も残すところ数日になった。
独身の頃はクリスマスになると寂しくて「ワシは浄土真宗やから関係ない」と言っていたのだか、親父が亡くなった時に世話になったお寺が浄土真宗で、三回忌にお坊さんと話した時に「うちもクリスマスケーキ買ってますよ」と平然と言っていたのを聞いて驚いたことがある。
年々、時間のスピードが上がっていくばかりで、自分がどう見てもジジイの類だと認識できないままに50歳を越える齢を重ねてしまった。
成長できたかは分からないが、図々しくはなってきている気がする。
TPOはもちろんあれど、やりたいことをやらず、言いたいことを言わないことでストレスを抱えるのは馬鹿げたことだと再認識したからか。
成長なんて耳障りの良い言葉は自分には要らない。ただ、日々を過ごす中で自己最適を求めて変化しているだけなのだろう。
実は今まで他人から「成長したね」と言われて嬉しい場面は実に少ない。
大概は自分に無関心な人が他人から聞いて思い込んだだけか、ただのおべんちゃらかどちらかで。
むしろ良い変化ができていないのに、変な賛辞を受けると「何も分かってないな」と醒めた気持ちになる。
適当にあしらう他はないのだけど。
自己啓発系の大好きなキーワード「成長」って、そもそもいい加減な言葉ではないか。
背が伸びた、身体が大きくなった、これは紛れもなく成長と言える。
同じくらいよく使われる“精神的”成長の意味はかなりあやふやだと思う。
人とのコミュニケーションが苦手だった人が人と上手く折り合えるようになると「成長」と言われてしまうが、もしかしたらテクニックを学んで、面倒を回避しただけかもしれない。
数字や形で見えるものは比較しやすいけど、精神的な変化や成長は結局のところ自身が一番よく分かるのではないかな。
ふと立ち止まって考えて、あの頃どうだったかなと振り返りたい時に、その頃に書いたメモや文章を読むとよく分かる。
今こうして書いていることが来年の今頃になってどう自分に映るのかはまだ分からない。
ずいぶん頓珍漢なことを書いているのかもしれないけれど。