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自己と世の中の境目

「ビジネスゲームから自由になる方法」という本を読んだことがある。

読み込めば深い。思考力に少々難があるワシなりの解釈ならば、人生そのものがスクリーンで広げられる寸劇であるという意味に捉えた。

客観視、俯瞰、鳥瞰的に自身の人生を観るという考え方は、なるほどと思える。

人生をビジネスゲームと考えてみれば、そう思う、思い込むことはできなくはない。

書いてあることを否定するつもりはないのだが「そういう感覚」が時に役立つとは思えど、それを常識にしてしまうと、自身のやることとかやったことも「他人事」みたいになってしまうのかなと後退りしてしまう。

たまに「そういう人」を見かけることがあって、言業不一致というか、下手をすると浮遊病者みたいだと感じてしまう。

誰しも傷つきたくないのは分かるし自身も同じだけれども、血がダラダラ流れているのに、冷静に「あ、血がたくさん流れてるなぁ」と言う姿は病的にも映る。

バランスは繊細な面がある。すべてのことを観念的に捉えれば、木は見えても森や地球は見えなくなるし、森や地球だけを見れば、日々の生活や目の前の現実を直視できなくなる。

人生が寸劇である例えはよく分かるのだけれど、演じる自身を含めて舞台を客席から観るのはなかなか難しい。

結局、どちらかに傾倒することは無理で、時として素直に肌で感じることと、肌で感じる自分が世界の片隅に居ることの両方を理解しておくセンサーが必要なのだと思う。

いわば自己と他己を繋ぐ境界域の部分を意識できるか否か。

ここを自分なりにでも整理できれば、たくさんの世の動きに組みせるような気がする。