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【巨人】プロが揃って大絶賛する秋広優人がドラフト5位まで残った4つの理由

1959年の王貞治以来となる、62年ぶりの高卒新人の開幕スタメンが現実味を帯びてきた。

2020年ドラフト5位でジャイアンツに指名された秋広優人。
二松学舎大付卒の18歳、内野手。

日本球界最長身となる202センチの身長が入団時に話題になったが、ここまでの活躍を予想していた球団関係者がいなかったことはドラフト順位が証明している。

ドラフト下位指名の高卒野手が、この時期にオープン戦のスタメンに名を連ねているだけでも驚きだが、現役選手・首脳陣・OB陣に至るまで、全員が揃って大絶賛する選手がこれまでにどれだけいただろうか。

秋広の〈凄み〉を知る為の評論はネット検索でいくらでも拾えるので、本記事ではプロ野球関係者が揃って大絶賛する逸材が、何故ドラフト5位まで指名されずに残っていたのかに焦点をあてる。

①コロナ禍で高校生の獲得調査は困難を極めていた

新型コロナウイルスの影響で春夏ともに、2020年の甲子園大会は中止となった。

時節柄、踏み込んだ獲得調査が難しい環境になっていたことが、秋広が下位指名となった大きな原因の一つであることは間違いない。

2020年のドラフトで指名された高校生の人数が例年と比べて少ないことからも、各球団ともに高校生の調査が難航していたことが確認できる。

上位枠で指名された高校生は、中京大中京の高橋を筆頭に、遅くても2年時から調査されていた選手だけで、3年になってから伸びた選手をギャンブル的に指名するのは難しい状況だった。

②二松学舎大付・市原監督の名采配

秋広は江戸川ボーイズに所属していた中学時に既に身長190cmを超えており、常に成長痛と戦いながら野球を続けていた。

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高校は数ある誘いの中から、二松学舎大付を選び進学。
二松学舎大付市原勝人監督の下で3年間プレーすることを決断したのは、これからの長い野球人生を考えても素晴らしい選択だったと思う。
そう考える理由を解説しよう。

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ボーイズ時代からショート・ファーストだけではなくピッチャーも兼務していた秋広。
強豪ボーイズ出身の190センチを超える大型投手が新入生として入ってきたのだから、普通の監督であればチームの勝利のために入学後すぐに投手として育てるだろう。

しかし、市原監督は成長痛に苦しむ秋広の身体を第一に考え、1年時は投手としての練習は一切させずに、体作りを中心とした練習を行わせ、野手としてのみ起用した。
野球界の未来の宝を守る為の勇気ある名采配だったといえる。

1年秋から4番に座り、秋広自身は結果を残すも、チームは強豪とあたる前に敗退。

投手としては2年秋から本格的に練習を始め、卒業時にはMAX144キロの本格派投手に成長したと報道されているが、実際は指にかかった球がまれに140を超えるものの、平均スピードは135キロ程度で、超高校級といえるような投手ではなかった。

身長2メートル越えという他にはない角度と、投手挑戦をはじめたばかりで、伸びしろがいくらでもあるという素材としての価値は高いが、投手として考えるのであればドラフト上位で指名することはまずないレベルであったといえる。 

もしも、怪我のリスクをおして入学直後から投手を兼務していれば、投手としての総合力は超高校級まで伸びた可能性もあり、秋広在学中の二松学舎大付はもっと勝星を重ねられたかもしれない。
1年秋から投手としても活躍する世界線の秋広は、スカウトの調査開始タイミングも早くなり、ドラフト上位で指名されている可能性も高いが、一方で怪我に苦しみ野球人生が短くなった可能性があることを忘れてはいけない。

③チームが勝ち上がれず、ドラフト候補の投手と対戦することができなかった

1年秋から3年夏まで4番として試合に出場し、秋広自身は高校通算23本塁打と高いレベルで一定の成績を残したが、チームは勝ち上がることはできなかった。

2年時は初戦敗退が続き、3年時は甲子園の代替大会となる東東京大会で大森学園に競り負けベスト8。

2年時の公式戦の試合数が極端に少なかった上に、3年時の代替大会もベスト8とはいえ、超強豪校とあたる前にチームが破れたので評価が難しい。

参考までに最後の大会となった東東京大会の秋広の成績を記載しておく。

打率5割 1本塁打 8打点

成績だけを見れば(高校野球においては)驚くほどではない好成績の範疇である。

④190cm越えの日本人野手は活躍例が少ない

最後の理由はこれまで190cm越えの日本人野手がNPBでほとんど結果を残せていないことだ。

身長190cmを超えて20本塁打以上を記録した日本人は、長い球史でたったの5人しかいない。

22本塁打 1990年 駒田徳広(巨人)191cm
23本塁打 1991年 高橋智(オリックス)194cm
29本塁打 1992年 高橋智(オリックス)194cm
27本塁打 1992年 駒田徳広(巨人)191cm
22本塁打 2016年 大谷翔平(日本ハム)193cm


ここで、改めて野球のストライクゾーンの定義を公認野球規則から引用する。

「打者の肩の上部とユニフォームのズボンの上部との中間点に引いた水平のラインを上限とし、ひざ頭の下部のラインを下限とする本塁上の空間」

要するにルール上は背が高ければ高いほど、縦のストライクゾーンが拡がってしまうのだ。
190cm以上の野手に成功例が少ないのは、このストライクゾーンの拡がりが原因という声もある。

成功した例が少ないという事実は秋広の上位指名を躊躇させた原因の一つに数えられる。

秋広は野球においての高身長のデメリットを打ち破れると確信しているが、打破できる根拠については、記事の趣旨が変わってくるのでここでの分析は控えることにする。
少し検索するだけでも、沢山のプロ野球関係者が秋広の評論をしているので、ここまで読んでくれた読者には是非チェックしていただきたい。

⑤総括

コロナ禍で高校生の調査がしづらい環境であったことも重なり、(とくに2年時までの)公式戦試合数の少なかった秋広を上位指名するのは無理であったと結論づける。

秋広の可能性を誰よりも知っている二松学舎大付の市原監督が、チームの勝利だけに固執せず、将来を見据えて野球界の才能を守りながら育成したことが、今回の<うねり>を生みだしたといえる。

市原監督が守った宝は、プロ野球関係者が揃って絶賛し、早くも日本全国の野球ファンが次世代のスター候補として夢を乗せはじめている。

球界の盟主と呼ばれるジャイアンツに、球界の顔となれる大スターがいることは、日本野球界の活性化にも繋がる。

松井以来、大スター不在とも言われるジャイアンツ。
秋広がドラフト5位で入団することになったのは、野球の神様のいたずらなのかもしれない。

秋広に球史に残るような活躍を期待するとともに、球史には残らないかもしれないが、一野球ファンとして市原監督の勇気ある名采配に心から敬意を表したい。

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