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自分を苦しめる信念(ビリーフ)を手放せない「背景」に目を向ける

こんにちは。かちゆみこです。

意識していなくても、私たちは、みんな自分の中に書き込まれた信念(ビリーフ)に従って生きています。

ここで言う信念(ビリーフ)とは、自分の中にある「思い込み」のこと。

その信念が今の自分にとって、友好的に働いているときはいいのですが、何だか息苦しく感じたり、窮屈に感じたときは、自分の中にどんな信念(ビリーフ)があるのか見つめ直し、古いものを手放し、今の自分にフィットするものに書き換えていく必要があります。

コーチングの手法としても「信念(ビリーフ)の書き換え」はよく利用されていますね。

ただ、ここで注意が必要なのは、あなたがもし、幼い時、安心を感じられない環境で育ったトラウマサバイバーだったとしたならば、なかなか信念の書き換えはスムーズにはいかないかもしれない・・・ということです。

だけど、がっかりする必要はありません。

トラウマサバイバーが信念を書き換えるためには、ちょっとしたコツと根気が必要なだけ。

まず、幼い自分がキュッと固く握りしめた信念をゆるめるには、『安心感』が大切なポイントです。

いかに、内なるチャイルドが安心して大人のあなたに身を委ねられるか。。。

だから、大人のあなたが、チャイルドが握りしめてる信念を無理やり外そうとするのは逆効果。

不信感が増し、チャイルドはさらに固く信念にしがみつきたがるかもしれません。

焦らず、ゆっくりと、チャイルドに寄り添いながら、チャイルドがその信念にこだわる「背景」に目を向けてみましょう。

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その場合、幼い時のあなた(インナーチャイルド)にとってその思い込みを手放さずにいるメリットがどこにあるのか、感じてみることで、世界が広がるかもしれません。

あなたがその信念を手放せない、何らかの「理由」があるはず。

手放せないことを責めるのではなく、幼い自分とつながり、どうしてまだそこに居続けなきゃいけないのか、そっと意識を向けてみるのです。

ただそれは、無意識レベルなので、なかなか意識化することは難しいかもしれません。

ちょうど、最近、私の中で表面に浮かんできた信念(ビリーフ)とその背景が、皆さんの内面を見つめ直すのにも役に立つかもしれません。

ちょっと、一緒にみてみましょう。

「私は輪の中に入ってはいけない」という信念

セルフセラピーを重ねるうちに、少しづつ私の中にあった「孤独感」を癒し、手放してきたと感じていましたが、ここにきて、また、大きなイシュー(問題)が表面化してきていました。

それは、「疎外感」

人が楽しそうに会話している輪の中に入ることへの恐れがあって、どうしていいかわからなくなるという感覚です。

「私はマイペースだから・・・」と表面的には気にしないふりをしておいて、だけど、やっぱり輪の中の様子が気になるのです・・・(;^_^A

輪の中に入れない自分を強烈に恥じる自分がいるのも感じていて、そんなみじめな気持ちに耐えられず、長らく「必要以上に人と関わらない」という選択をしてきていました。

自ら、人の輪の中に入ることへの強い抵抗感。。。

これって、今の私にとって友好的な状況ではありません。

顕在意識では「自然体で人と関わりあいたい」って思っていますから。

この疎外感がどこからくるのか!?

まず、私の中で「私は輪の中に入ってはいけない」という強烈な信念があったことに気づきました。

そして、それらの信念ができた原因は私のトラウマの原点にもなっている過去にあるのだと思い至りました。

両親との分断のエピソード

何度かnoteにも書きましたが、私自身も機能不全家族の中で育ったトラウマサバイバーでした。

私にとっては「当たり前」なことだったので、まさか、自分がトラウマサバイバーだったのだと認めること自体、以前は抵抗感でいっぱいでした。

私なんかより、つらい想いをしてる人がいっぱいいるんだから、こんなことたいしたことないってね。

自分が受けた傷を低く、低く見積もることで、何とかここまで生きてこれた・・・という感じです。

それはさておき、いろんなところで私のトラウマの原点となっていると感じるのは、私が2歳前のときに年子の妹が生まれてから、両親から引き離されて、長女の私だけ、祖父母の寝室で寝かされていた・・・という事実です。

もちろん、幼かったので、引き離された当時の記憶は全くありません。

ただ、夜、ふと目を覚ました時にママが近くにいないというだけで、パニックを起こし、泣きわめく私の下のこどもたち(3歳&5歳)の姿を思い起こしてみても、2歳前の幼い自分にとって、この出来事が相当のショックだったことは安易に想像がつきます。

私は物心ついた頃から、「妹たちはお父さん・お母さんと一緒に寝られるのに、どうして私だけ、じーちゃん・ばーちゃんと寝なきゃいけないんだろう?」と素朴な疑問と、漠然とした疎外感をもっていました。

今の状況とつながる記憶

「本当は輪の中に入りたいのに、自分からその輪に入れない」というのは、私が人間関係の中で持ち続けてきたパターンです。

友人関係でももちろん、そういう場面はありましたが、一番強烈に記憶に残っているのは家族とのシーン。

父と妹二人が楽しそうにじゃれあっていて、小学1年生くらいの私はちょっと離れたところからそれを見ています。

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「うらやましいなぁ」「楽しそうだなぁ」と思う反面、「自分は絶対、あの輪の中には入らない!!!!」と固く強く決心していたのを思い出しました。

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決意のチャイルドとの出会い

口を一文字にしてうらやましそうに、父と妹たちを外から眺めてるチャイルド。

でも、「絶対に自分からあの輪に加わるのはいやだ!!!!」と、強く抵抗している感覚も伝わってきます。

妹・父たちと自分の間に見えない壁のようなものを感じ、「私とは違う世界の人なんだ」「私はどうせ邪魔者なんだ」と打ちひしがれ、どうしようもない疎外感で行き場をなくして途方に暮れるチャイルド。

たぶん、それはあの2歳のときにできたもの。

自分だけ両親とは別の寝室にわけられたこと。

「捨てられた」
「悲しかった」

もう二度と、あんな想いをするのはいやだ。

どうしても、いや。
痛すぎる。

大好きな人たちに裏切られるのがこわい。

だから、輪には加わらない。
最初から、輪の外にいることを選ぶ。
だけど、どうしても、楽しそうなあの場所が気になる。
ほんとうは、あの中で一緒に笑いたい。

そんな感じのメッセージが、内なるチャイルドから響いてきます。

「疎外感」=愛だと勘違いしていた!?

チャイルドの声に耳を傾けつつ、私の中に違和感が生じていました。

こんなに苦しい想いをしているのに、チャイルドはなんで、ここから抜け出すことを選ばないのか?

安心感を感じられるように務め、私の方から手を差し伸べているのに、チャイルドはその手は取らず、ただただ、ふさぎ込んでいます。

チャイルドの本当のニーズは何なのか!?と、自分の体の感覚を感じなおしてみると・・・

チャイルドにとって、『疎外感』が両親(特に母)とのつながりになっていたことにハッと気がつきました。

思えば、母自身も父のところに嫁いで、姑からも厳しく接せられ、まさに『疎外感』を感じていたでしょう。

人間の心理として、幼い時に、両親(養育者)から与えられたものをすべて愛だと勘違いしてしまう習性があるそうです。

ハートエデュケーションで学んでびっくりしたことですが、小さなチャイルドにとっては、それが『愛』なのか、それとも『痛み』なのかの識別はできず、与えられたものはすべて自分の中に取り入れていきます。

幼い私は、「親に捨てられた」という強烈な想いがあるからこそ、両親に与えられ、母と同じにおいがする『疎外感』にしがみつき、そこから離れることを拒んだのだと気づきました。

幼い私にとって、『疎外感』を感じていることで母を近くに感じことができ(=メリット)、本当の愛を選択することは、母から離れなくてはいけない恐怖があり、躊躇していたようです。

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「何があっても私を離さないで、そばに置いてほしかった。」

幼い私は、そこで、まだ来ぬ母を待っていたのでした。

「絶対、許さない!!!!」と母への怒りを抱えたまま、かすかに「母が謝り、私を迎えに来ること」を期待して。。。。


決意のチャイルドとの和解

ようやく、幼いチャイルドの真意に触れたとき、チャイルドが泣き崩れました。

「お母さんをここで待ち続けたかった」

「お母さんがもう迎えに来ないことを認めたくなかった」

チャイルドが深い痛みとともに、はじめて「お母さんが来なかった」という事実を認められた瞬間でした。

不思議とキュッと固く握りしめたこぶしが、スーッと開いていくのを感じました。

チャイルドにとって、それは、それは、大きな勇気が必要だったはずです。

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イメージの中で私はその子のママとしてチャイルドを抱きしめ、

「とっても残念な事実だったね。

痛すぎて、なかなか『お母さんがもう来ない』って認めることはできなかったよね。

この事実を認めるのには、大きな勇気が必要だったね。

本当によくがんばったね。

ママは、あなたを誇りに思うよ。

それを認めても、お母さんと親子であることに変わりはないよ。

これからは、『疎外感』を手放していいよ。

あなたらしく、人との関わりを楽しんでいいんだよ」

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深い悲しみとともに

今まで拒否してきた事実を受け入れると、深い深い悲しみが私の中にやってきました。

「悲しんでもいい」

「もう、終わりにしてもいい」という安心感とともに。

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これから、この内なるチャイルドがどういう歩みをしていくか、私にもまだわかりません。

だけど、今回のチャイルドとの関わりで、「私は人の輪の中に入ってもいい」という自己尊厳の感覚を感じられたことは大きな一歩だと感じています。

この記事が、皆さまの何らかの気づきのお役に立てれば嬉しいです。

それでは、また!


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