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セミの脱け殻みたいなチャイルドとの出逢い


私は、人と関わることに対してずっと苦手意識をもってきていた。

それは、心理学を学んで臨床心理士になっても、人にセラピーをするようになっても、外側では「うまくいっている」ように見せかけて、無意識下ではずっと持ち続けていたイシューだった。

セラピストとして仕事をしているときはあまり感じないけど、社会に出ると人と腹で関わるのがこわい。

ママ友とか、ご近所とか、こどもたちの学校の場とか。

いろんな場で愛想よく当たり障りないように関わり、「必要以上に輪に入らない」ことが信条だった。

だって、自分をオープンにするとき、どの自分をオープンにしたらいいか、わからない。

丸裸の自分か、鎧の自分か。

その両極端の間で葛藤する。

機能不全家族で育ったいわゆるサバイバーは、こんな風に「両極」の間で激しく揺れ動くらしい。

私も、もれなくそうだ。

そりゃ、苦しいし、こわいはずだ。


「お姉ちゃん、いいコ」という役割依存

過酷な現実を生き抜くために、いろんな自分を演じ続け、役割依存して、自分がわからなくなってる状態。

今の対人関係に大きな影響を与えている、私の役割キーワードは「お姉ちゃん、いいコ」

「お姉ちゃん、いいコ」と体に響かせてみる。

体全体がキューっと委縮するような、いてもたってもいられない感覚。

その感覚をたぐりよせ、出会ったチャイルド。


5歳のゆみちゃん。

長い髪の毛でしゃがみこみ、下をうつむき、泣いてる。

上では大人たちが口論。



おじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さん。

それぞれ、けんかみたいになってる。

ゆみちゃんを感じると、胸が張り裂けそうで、息ができない感じ。

ゆみちゃん自身も張り裂けてしまいそうな感覚。


なんか、大人たちは自分のことで口論してるみたい。

お母さんがみんなからいじめられてるみたいにも感じる。

罪悪感。


あー、そっか。

このころ、「私はお姉ちゃんになろう、私がいいコにしてれば、みんなけんかしないかも」って決めたのかも。


そのあと、七五三というキーワード。

私が髪の毛のばしてたのは、この5歳のときだけ。

あとは、ずっとショートカット。

七五三は、うちのいなかでは、近所や仕事の人たちをよんで、盛大に祝う。

まるで、結婚式。

私も真ん中の妹と一緒に、みんなにお祝いしてもらった記憶がある。


5歳のゆみちゃん。

七五三は自分のことなのに、自分は意見も言えないし、関わっちゃいけないし、自分はお人形でいなきゃいけない感覚。

あーでもない、こーでもないと大人たちが険悪なムードで話をすすめていく。

私のことは置いてきぼりで。

つらすぎて、自分の体からぬけていく感覚。

ゆみちゃん、脱け殻になる

そこにいるのは、「お姉ちゃん、いいコ」の皮をかぶった脱け殻のわたし。

妹と共に、人形みたいに、みんなにもてはやされ、ニコニコ笑う、着物のわたし。

祝いの席にいるのは、本体のわたしではなく、脱け殻のわたし。


あー、私の今の対人関係に対するイシューはこの辺から影響してるんだろうな。

境界線の問題とも大いに関わるだろう。


まだ殻だけの状態なので、本体を探し、本体を感じる。

本体は殻から抜けだし、ファンタジーの世界で主役になろうとしてた。

現実では無理だからって、殻で生きてくことを決めて。


本体に「つらすぎて、耐えきれなかったね。あなたに気づかなくてごめんね。

でも、今はママがそばにいるから、体に戻ってぜんぶまるごと感じて大丈夫だよ。」
と伝えてみる。


すると、ものすごい罪悪感。

ゆみちゃん
私が主役でいると、みんながバラバラになっちゃう。

おかあさんも責められる。

そんなのはいや。

だから、私は主役になることをあきらめて、この世界(ファンタジー)で生きようとしたの。

でも、それももう耐えられない。

つらい。

ほんとは現実で主役でいたい。


なんか、私の現実世界での葛藤にもつながり、すごく納得。


ゆみちゃんに「この現実世界で主役でいていいんだよ。

大人たちがバラバラなのは、ゆみちゃんのせいじゃないよ。

ゆみちゃんがどんなにがんばっても、大人たちはそれぞれ問題を解決できなかったでしょ?

それは大人たちの問題なの

ゆみちゃんが背負わなくて大丈夫なんだよ。

ゆみちゃんはゆみちゃんの人生を生きていいんだよ。

ゆみちゃんが安心して主役でいられるように、ママがサポートするよ。」

伝えると、ゆみちゃん安心して胸がゆるまり、泣きじゃくる。

そして、落ち着くと、ゆみちゃんから色んなアイディアがわいてくるのを感じる。

「みんなが楽しめる七五三ショーをしたい」とゆみちゃん。



チャイルドのニーズを満たす


まずは、七五三の衣装。

ゆみちゃんと相談しながら、どんなのがいいか決める。

ゆみちゃんが選んだのは、ドレスと着物をミックスした、とってもかわいいオリジナルなデザイン。


そして、七五三のショーでは、みんなに楽しんでもらえるよう、自分もパフォーマンスするし、みんなの得意なものでも盛り上げてもらえるよう、プログラムを企画。

ゆみちゃんもすごく楽しんでる♪

すごいパワー。

ゆみちゃんはすごく輝いてる、太陽のようなエネルギー。

そこからひきつせられるように、みんなが寄ってきて、バラバラだった家族の個性が七五三ショーでひとつになる。

ショーをみてるお客さんも楽しそう。


私はステージママになって、舞台袖でみんなの様子をみたり、タイムスケジュールの管理をしたり。


いきいきとしたエネルギー。

ゆみちゃん、やりたかったことはこれなんだね。


主役になるのがこわかった理由


私は、主役でいることがずっとこわいと思っていた。

でも、ほんとは主役になることがこわかったんじゃなくて、

私が主役でいることでみんながバラバラになることがこわかったんだ。

だけど、実際に主役でいてみると、自分が心地いいだけでなく、周りともつながれるって大発見!!!

なんか、長年の葛藤が溶けてく感じ。

嬉しくて涙がでてくる。


今までも、「私は人生の主役でいていい」って顕在意識では思ってたけど、無意識の部分で自分にオーケー出せてなかったんだね。

「自分が主役でいること」と、
「周りが険悪になること」は、

まったくの別問題なんだ。

そんな当たり前の理解に行きつき、ようやく腑に落ちた!!!

幼い頃の理解のまま、置き去りになりフリーズした過去の記憶。

それってすごく厄介!

だって、真実がみえなくなるから。

今回の場合、

「主役になるのがこわい」って長年、思い込んでたけど

実際は・・・

私が主役の七五三の場面で、大人たちの口論が始まり、幼い私は自分のせいだって感じてしまったんだな。

そして、「私が主役になる」→「みんながバラバラになってしまう」→「こわい」という方程式が

いつしか、「私が主役になる」→「こわい」になっちゃったんだ。


自分の問題と周りの問題と境界線がようやく明確にできたこと。

それって大きな前進だと感じる。

ゆみちゃんと出逢えて、そこに気づけてよかった。

ゆみちゃん、ありがとう❤️

ゆみちゃんの居場所はこの体にあるよ。

ずっと、ここにいていいんだよ。

大好きだよ。

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