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彼酔イ坂〜街角美身~遥か道の幸へ 004/小説+詞(コトバ)


 そして、翔(カケル)の腕の力がふっと抜け、ようやく遥風(ハルカ)は起き上がり、翔を助け起し、タクシーを拾い、家の前まで送り届けました。

 というより、翔をタクシーから追い出し、おきざりにして来てしまいました。

 あのとき、唇が触れたのは偶然なのか、故意なのか…。

 タクシーの中で、遥風は、ずっとそのことを考えていました。

 遥風は、人妻です。

 三人の子供と、働き者の夫に囲まれ、家庭は円満。

 何も不満はない。

 ただ一つ、セックスレス夫婦だということを除いては…。

 それは、三人目の子供が産まれたころからなので、もう一年以上になります。

 別に、夫は浮気をしているわけではなく、家族のために、懸命に働いてくれています。

 仕事の話は、家では一切しませんし、毎日帰りが遅いので、話す機会も減り、いつも疲れ切って、そのまま寝てしまいます。

 だから、確証はありません。

 女のカンです。

 とはいえ、浮気に関しては、遥風には罪悪感がありました…。



 あのとき、遥風は二十歳になり、このまま私の女は終わるのだろうかと考えていました。

 母であり、妻であることは間違いのない事実です。

 しかし、女としても存(あ)り続けたい。

 誰々ちゃんのお母さんとか、何々さんの奥さんとか、私はそんな名前じゃない!

 遥風という名の女です!

 そう…心の中で叫んでいました。

 そんなある日、街のスーパーで高校の同級生の伴田規則(トモダタダノリ)に遇いました。

「遥風、久しぶりだな」

 ふいに自分の名前を呼ばれた遥風は、驚いて、その声の方を向きました。

「え…あのォ…あ、キソク!」

 思わず、伴田の高校時代のあだ名を叫びました。

「その呼び方は止めてくれよ。俺も、もう一児の父親だぜ」

「キソクはキソクよ。でも、結婚出来たんだぁ」

「失礼だな。確かに高校のときはダサかったけど、社会に出て、俺は変わったんだぜ」

「整形したの?」

「違うよ!」

「冗談よ」

「変わらないな、遥風は。時間はある? お茶でも飲まないか、久しぶりに」

「キソクと、お茶なんか飲んだことないわよ」

「だから…」

「冗談よ。でも、ゴメン。今日はすぐに帰って、子供たちの夕飯を作らないといけないのよ。また今度ね。あ、ケータイの番号を教えるから、電話して。夕方じゃなくて、昼間の方がいいな」

「わかった。電話するよ」

「じゃあ、またね」


 そして、日を置かず、翌日の昼に、伴田から電話が掛かって来ました。

 遥風は、普段は知らない番号の電話には出ないのですが、もしかしたら伴田かもしれないと思い、出てみました。

「もしもし」

「あ、俺」

「やっぱりキソクか。知らない番号だから、どうしようかと思ったんだけど」

「俺の番号も聞かずに急いで帰っちゃったから、遥風のことだから、二、三日経ったら忘れちゃうと思って、今日、電話したんだよ」

「忘れないけど、電話には出なかったかもね」

「だろォ。どう、これから出て来られる?」

「大丈夫だけど、スッピンだから一時間後でいい?」

「まだまだスッピンでもイケるだろォ」

「まぁね。でも、ダメ。もうスッピンで外には出ないって決めたの」

「なんで?」

「女でいたいから」

「ふ~ん。まぁいいや。じゃあ、駅ビルの前で待ってるよ」

「わかった。子供を義母(はは)に預けに行くから、少し遅くなるかも」

「了解。とにかく待ってるよ」

「じゃあ、後でね」

 遥風は、電話を切った後、自分がウキウキしているのを感じました。

 伴田は、自分でも言っていましたが、高校のころは本当にダサかったのです。

 髪の毛は寝グセのままですし、制服は汚いし、革靴は、これでもかというくらいカカトが磨り減っていましたので、伴田に話し掛ける女子生徒は、あまりいませんでした。

 今は、見違えるほどこざっぱりとはしていますが、高校のとき、そんなに接したこともない男と逢って、いったい何を話すのだろう?

 そんなことを考えながらも、遥風は念入りに化粧をし、一番好きな服を着て出かけて行きました。

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