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まだ旅の途中

今日は半夏生。2020年も折り返し地点までやって来た。さっき見たテレビはこの半年のコロナ禍の怒涛の日々を振り返っていた。

自分自身の半年を振り返ってみると、武漢でのコロナウイルスの発生から今まで本当にいろんなことがあった。あったと過去形にできるくらいまでにはなったかな。この間にもちろん渡航する機会は一度もなく日本でずっと過ごしていたのだけど、こんなに長く旅をしない日常を送ったことは、もう何年もなかったので今も何だか不思議な感じがする。この半年の間に家族の入院・闘病といった個人的な出来事も重なって、一時は疲労困憊という時期もあった。現在は家族もおかげさまで退院し普段の暮らしに戻っている。

それでも、自分の内面やそれを取り巻く状況はやはり変化していて、以前とは異なる様相になった。去年までは旅が多かったのもあって、いつも旅支度がセットしてあったし、帰国してスーツケースから洗濯物を取り出し荷物を片付けたら、また次の旅のためのセット(洗面用具や常備薬など)を補充し、きちんと揃えておくのが習慣になっていた。こういう準備があると、旅に限らず災害時などの備えにもなるので、一石二鳥だな〜なんて思っていた呑気な自分が懐かしい。

今はそのスーツケースも埃をかぶったまま。次の出番はいつになることやら。去年の夏から毎日日記をつけているので読み返してみると、どうやら2月の立春頃は夏には渡航できるんじゃないかという薄っすらとした希望があったみたいで夏至には台湾に行けると思っていたようだ。(←甘かったな・・・)その後は坂道を転がるかのように世界中で状況は悪化、そして家族の緊急入院もあって、フラフラだった。

世界を旅しながら仕事をするという、自分がこれまで築いて来た生き方の盲点を突かれたかのような事態に陥って、なかなか出口が見えなかった。そんなときに支えになってくれた友人たちには本当に感謝の気持ちでいっぱいになる。特に何か変わったことはなく普段通り淡々と、これまでと同じ時間を過ごすことができたのが何よりも心強かった。オンラインでスクリーン越しに言葉を交わすだけでも安心できたし、インターネットのありがたみをつくづく感じた日々でもあった。

そうして春を迎え、こんなときでも満開の花を咲かせる櫻の姿に自然のタフさを垣間見て、ちょっとずつ、じりじり前進。一時は対面での仕事を休止し、オンラインのみに切り替えて初夏までを乗り切った。

この半年は家の中で「読書」という旅を楽しんだ。幸いなことに人の移動は制限されていたけれど、物流はほぼ滞ることなく機能していたし、いつもと変わらぬくらいの時間で注文した本も届いていた。あるときは台湾から、あるときはイギリスから。さっきも発送完了メールが届いていた。エアチケット代が本代に化けた感じになったけれど、それはそれで良かった。

異国の書物をとおして、自分の脳内で妄想旅を楽しみ、新たな世界を旅した時間。この半年はインプットの時間が流れていて、今まで興味がなかったことにも手を伸ばしたり、これまでの成果をまとめたり、一歩ずつだけど新たな試みを始めたりもしている。一時期、熱中した料理も少し熱は下がったものの続行している。最近はイタリア語熱に火がついて、イタリアの映画を見るのも楽しい。

ここ何年も旅をしながら過ごして来た自分が毎日同じベッドで眠る、そんな日常を送るとは思いもしなかったけれど、こうして振り返りながら書き出してみて、この半年で得たものは失ったものよりも実は大きかったことに気づいた。旅から旅へと動き続けていた時間には見えなかったものが目に入るようにもなった。

そして今、自分に与えられているもの、自分や周りの人の命や時間というものを以前よりも大切に扱えるようになった気がする。まあ、気がする、程度のことなので大袈裟に何かが変わった感じはしないし、表面的には何も変わってないように見えると思う。だけど、ちょっとだけ何かが以前と違う感じがするのだ。半年前とは違う何か、新しい生命力のようなものが自分の中に宿った感じがする。

今後、世界がどのような状況になったとしても、その力がいざっていう時に自分や誰かを助けてくれると思うのだ。

世界から少しずつ自由が奪われていくような気持ちにさせられるニュースを見ても、動揺して巻き込まれるのではなく、今自分にできることに注力しながら、ちゃんと世界とつながって未来を創造していくことができる、そういう力を自分はこの半年という時間の中で養って来たのかもしれないな。



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