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水瓶座満月の独り言

カフェオレと黒糖シナモンバタートースト、ブルーベリーヨーグルトで朝ごはん。
今朝もじんわり暑い。蝉の大合唱も相変わらず続いてる。時折、んっ?秋なの?って感じさせるような思わせぶりなひんやりした風が吹いて、ちょっと気がゆるむ。

四季のある土地に暮らし、それぞれの季節に順応していくのにはそこそこパワーが要るのだなと思う。暑さから逃げたくて、手がかじかむような息が白くなるような冬を想像してみるけれど、身体の方は「えっ?いったい何やってんの?!」と何か気にくわない感じでスルーされる。

今、月は満ちていくピークに向かうところで、実を結んだ果実が熟しポトリと落ちる瞬間を待つようなソワソワした感じが漂っている。

あと1時間半ほどで満月。月が満ちると何かが終わる、そして始まる。こころとからだを自分本来の波に乗せて。

いつの頃からか人生におけるピークみたいなものを想定しなくなった。以前は「◯歳までにこれをやる」とか「◯歳にはこうなっていたい」とか、そういう目標を具体的に設定して、その場所に立つことを思い描いて頑張るという生き方をしていたのだけど、その生き方に疑問を感じ始めたのは土星が一周半した40代半ばを迎える頃だっただろうか。

そうやって叶った願いや実現したことはたくさんあるんだけど、なぜだか満たされない思いが後からふつふつと湧いて来て、こういう目標の達成をベースにした生き方の限界というか、行き着く先が見えてしまったような気がしたのだった。

そこから始まった試行錯誤は今もまだ現在進行形で続いていて、その道中は山あり谷あり、大変なこともあるんだけど回り道や寄り道で出会うこれまでとは違う楽しみや喜びもあって面白い。

「ゆっくり、一歩ずつ、待つ。」10年以上前に大切な人から受け取った言葉がやっと今の自分に追いついて来た。常に生き急ぎ気味で、ひたすら前進あるのみ!そんな生き方を疑うことすらできなかった当時の自分にはピンと来なかった言葉もようやく時を経て自分に馴染んで来た。

気づくと数ヶ月後には生まれて半世紀、50代の入り口に立つ。

ゆれることは生きてる証でもある。「満ちること」と「欠けること」のあいだにある「間」が生み出す時空間を味わうこと。その「間」に宿る”何かが産まれようとする萌し”を掬い取ること。

それは呼吸にも似て「吸うと吐く」「吐くと吸う」という身体の営みとどこか通じるものがある。息を吐き切った後に訪れる静寂、安らぎ。その場にくつろぎ、身を預けていると自然と吸う息にそっと背中を押されるようにして身体も心も前に進み始める。

月の巡りに身を任せること、委ねること。受け身でいることで得られる安心感や心地良さを今日の満月は教えてくれているのかもしれないな。

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