点が線にそして憎しみから和解へ 1/2

父親との確執。
40年近く抱えていた感情がふとした会話、気付きから、過去を客観的に俯瞰でき、負の感情で押し殺していた感情も繋がり、和解の気持ちに至る経験をしましたので、皆さんの何かの気付きになればと思いシェアします。

過去からどんな経緯があったのかも書くと長文になると思いますので二回に分けて。本当は色んな複合的要素があるのですが、ここはシンプルに父との確執にフォーカスして紹介します。

私は記憶にある子供の頃から父親が嫌いでした。
怒ると新聞紙丸めて叩く、学校行事はもちろんのこと、入院時も全くお見舞いにも来ない。
テレビのチャンネル権利も父。年末はいつも誰か会社関連の人が我が家に泊まりに来て、年始は会社上司などのご挨拶まわり等、人見知りの私には心休まらない苦痛の時間。
唯一、礼儀には厳しい人だったので、そこは良かったのかもしれないが、当時は息苦しく感じるだけ。

そして、小学生高学年になる頃には家庭崩壊状態、私自身もメンタルに来て、自殺願望も出てきたり、体調も絶不調。二世帯住宅で祖母・叔母が上に住んでましたが、その頃にはほとんど上に入り浸り。
中1が終わったある日、遂に事件が。
両親の喧嘩がヒートアップ、仲裁に入った叔母が一番の被害に遭い、頭から流血、床が血の海に。
私は二階でその怒号、悲鳴を聞いて、ただ震えるだけで怖くて動けず。
救急車で病院へ行き、その後は警察の事情聴取。私は廊下で終わるのを待つだけの無力感。
幸いにも春休み突入していたため、1週間は親戚の家を渡り歩き、その間に父が家を出ていくことに。
恐怖からは逃れるものの、家を建てた時の借金は残し、養育費はゼロ。
父親への憎しみは増大していました。

母は40からの再就職。条件は厳しく、収入は僅かでしたが、お正月もパジャマで家族だけでのんびり過ごせる幸せ。心は豊かに性格も明るくなり、この先に希望を持てる状況に変化。
私ができるのは勉強を頑張ること。高校の無償奨学金はかなりの難関と言われ担任には申込すら辞めた方が、、、というところを母娘で説得し、ダメ元チャレンジしたら、見事に獲得✨
担任には奇跡と言われましたが、アクションせずに得られるものはない、信じて行動したら叶う。

慎ましくも幸せな生活を続け、高校卒業したある日、奇遇にも離散した時と同じ春休みに行方不明だった父親と交差点でバッタリ。
お互いが瞬間に存在に気づくのはやはり血縁なのだろうか。
父は当時事件化はしなかったものの会社にはいれなくなり、ある女性に救ってもらえたと。
反省の気持ちはあるようで、少しでもとお小遣いを貰い、ご飯をご馳走してくれました。
でも、当時の気持ちはそんなことで懐柔しないよと反発心でいっぱい。これまでの苦労の代償と考えるとこんなことで、、、という思いが強く、憎しみは変わらず。

その後、就職して上京した後は年に数回、北海道食材を送ってくれましたが、それもそれくらいでという思いが強く、憎しみの気持ちが無くなることはなかった。。。
次回に続く。

読んでくださり、ありがとうございます✨ ほっこりする、ハッと気づく、何かを感じていただけると嬉しいです。